リュックひとつで、どこまで行けるんだろう。
逃げたかったわけじゃない。ただ、少しだけ遠くに行ってみたかった。
これは、そんな20歳のわたしの、小さな旅の記録。
目次
第一章「詰めたもの、詰めなかったもの」
沙耶は十分考えた上で、大きなリュックに必要最低限の荷物を詰め込んだ。下着、着替え、タオル、歯ブラシ、スマホの充電器。あとは財布と携帯電話だけ。
「これで十分だよね」
窓から差し込む四月の柔らかな光が、部屋の隅に置かれた大学の教科書を照らしていた。それらはもう必要ない。沙耶は一週間前に大学を休学し、三日前にはコンビニのアルバイトも辞めた。
「とにかく遠くに行ってみたくなった」—それだけが今回の旅のきっかけだった。特別な目的地もなく、誰かに会いに行くわけでもない。ただ、毎日の生活に漂う得体の知れないもやもやから逃れたかっただけ。
小さな一人暮らしのアパートを見回す。わずか六畳一間のスペースに、二十年の人生が詰まっているはずなのに、不思議と何も残していかないような気がした。思い出も、夢も、目標も、このリュックには入っていない。
「行ってきます」
誰もいない部屋に向かって小さく呟いた言葉は、壁に吸い込まれるように消えていった。
駅のホームは思ったより空いていた。平日の午前中、多くの人は学校や会社に向かう時間だ。沙耶はベンチに座り、行き先を決めずに時刻表を眺めた。北へ行くか、南へ行くか。海の方がいいか、それとも山の方がいいか。
結局、次に来た電車に乗ることにした。それは隣県へと向かう各駅停車だった。
電車が動き出し、窓の外の景色がゆっくりと流れ始める。見慣れた街並みが少しずつ遠ざかっていく。沙耶は空っぽの胸の中で、何かが小さく動くのを感じた。不安? 期待? それとも後悔? 名前を付けられない感情が、心の中でもやもやと渦を巻いていた。
第二章「駅カフェのノート」
三時間ほど電車に揺られた後、沙耶は知らない駅で降りた。小さなローカル駅で、改札を出るとすぐに田んぼの広がる風景が広がっていた。四月の空気は冷たく澄んでいて、遠くの山々がくっきりと見えた。
「とりあえず、お腹が空いたな」
駅前にはコンビニもなく、小さな商店が数軒あるだけだったが、駅舎の一角に小さなカフェを見つけた。「駅舎喫茶 線路」という古めかしい看板が掛かっていた。
中に入ると、木の温もりを感じる内装で、客は誰もいなかった。カウンターの向こうには六十代くらいの女性が一人、編み物をしていた。
「いらっしゃい」
寡黙だが、嫌なところはない雰囲気の店主だった。沙耶はカウンター席に座り、メニューを見た。
「ホットサンドとコーヒーをお願いします」
店主は無言で頷き、黙々と準備を始めた。店内は静かで、時折風鈴の音だけが響いていた。沙耶は店内を見回した。壁には古びた写真や切り絵が飾られ、棚には古書が並んでいた。そして奥の小さなテーブルの上に、一冊のノートが置かれているのが目に入った。
「あれ、見てもいいですか?」沙耶が尋ねると、店主は「どうぞ」と短く答えた。
それは厚手の革表紙のノートで、表紙には「旅人の記録」と手書きで書かれていた。中を開くと、様々な筆跡で綴られた文章や絵、貼られた切符や写真が詰まっていた。このカフェを訪れた旅人たちが、それぞれの思いを綴ったノートだった。
「素敵ですね、これ」沙耶が言うと、店主は少し表情を緩めた。
「二十年以上前から置いてるんだよ。私が駅員だった頃からね」
沙耶はゆっくりとページをめくった。そこには見知らぬ人たちの人生の断片が記されていた。喜びも、悲しみも、後悔も、希望も。
そして一ページに書かれた一言が、沙耶の目に留まった。
「旅に理由がいらないなら、生きるのにもたぶん要らない」
シンプルな一文だったが、沙耶の心のどこかが少しだけほどけるような感覚があった。理由を探し求めていた自分がいたことに、初めて気がついた。
コーヒーとホットサンドが運ばれてきた。沙耶は感謝の意を込めて笑顔を向けた。店主は無言で頷き、また編み物に戻った。
沙耶はそのノートの最後のページを開き、ペンを取り出した。何を書こうか少し考え、こう記した。
「まだ見つからないけれど、それでも歩いてみる」
第三章「雨宿りの東屋」
カフェを出て、特に目的もなく沙耶は辺りを歩き回った。小さな町だったが、古い建物と新しい建物が混在していて、時々思いがけない発見があった。古い映画館や、昔ながらの駄菓子屋、綺麗に手入れされた神社など。
歩いているうちに空が急に曇り始め、やがて雨が降り出した。最初は小雨だったが、みるみる激しくなる。沙耶は急いで近くの公園に駆け込み、東屋に避難した。
東屋には既に誰かがいた。小学生くらいの少年だ。彼は沙耶を見ると少し身を引いたが、挨拶はしてくれた。
「こんにちは」
「こんにちは。急な雨だね」沙耶は気さくに話しかけた。
少年は黙って頷いた。彼は学校のランドセルではなく、小さなリュックを背負っていた。学校をサボっているのか、それとも別の理由があるのか。
しばらく二人は黙って雨音を聞いていた。やがて少年がポツリと言った。
「家出してるんだ」
沙耶は驚いたが、余計な質問はしないようにした。
「そうなんだ」
「パパとケンカしたから」少年は膝を抱えて座り、足元の石ころを見つめていた。「でも、もうすぐ帰る。ママが心配するから」
沙耶は自分の旅と少年の家出が、何となく似ているような気がした。どちらも逃げているだけなのかもしれない。
「あのさ」少年が言った。「大人って、つまらないことで怒るよね」
「そうだね。大人はね、自分が不安だと怒りやすくなるんだ」沙耶は自分の父親を思い出しながら答えた。
「ふーん」少年は納得したような、していないような表情だった。
雨は少し弱まり始めていた。少年はポケットから小さなチョコバーを取り出し、半分に折った。
「はい」少年は半分を沙耶に差し出した。
「え、いいの?」
「あんた大人なんでしょ? じゃあ、がんばんなきゃじゃん」
その言葉に、沙耶はわけもなく涙が出そうになった。小さな子供に励まされるなんて、何て情けない大人なんだろう。でも、その言葉は純粋で、沙耶の心に直接届いた。
「ありがとう」沙耶はチョコバーを受け取った。
少年は照れたように立ち上がり、「じゃあね」と言って東屋を出た。雨はまだ完全には止んでいなかったが、少年は帽子を深くかぶり、小走りで去って行った。
沙耶はその小さな背中を見送りながら、チョコバーを口に入れた。甘さが広がる。
第四章「なくしたはずの財布」
次の日、沙耶は電車に乗って小さな港町にやってきた。海を見たくなったのだ。朝から晴れていて、海は青く輝いていた。砂浜を歩き、波の音を聞きながら、沙耶は少し心が落ち着くのを感じた。
昼過ぎ、小腹が空いたので食事をしようと財布を探したが、見つからない。ポケットもリュックも何度も確認したが、財布はどこにもなかった。
「まさか…」
パニックになった沙耶は、今日歩いたコースを必死で思い出しながら引き返した。砂浜、海沿いの遊歩道、小さな土産物屋…。どこかで落としたのか、それとも盗まれたのか。
財布の中には、現金で三万円ほどと、キャッシュカード、それに身分証明書が入っていた。すべての所持金だった。
三時間ほど町中を探し回ったが、財布は見つからなかった。疲れ果てた沙耶は駅前のベンチに座り込んだ。このままどうするか考えなければならない。家に電話して、お金を送ってもらうか。でも、そんなことをしたら、この旅自体が無意味に思えてくる。
「お嬢さん、大丈夫かい?」
声をかけられて顔を上げると、駅前の青果店らしき年配の女性が立っていた。
「あ、はい…」沙耶は取り繕うように笑った。
「さっきから、ずっとそこに座って、辛そうな顔してたから」女性は心配そうに言った。
沙耶は状況を説明した。女性は「それは大変だね」と言って、店の方へ沙耶を招いた。
「今日は店じまいの時間だから、これ持ってきな。タダでいいから、お腹は満たしてけ」
女性は惣菜パックといくつかのリンゴを紙袋に入れてくれた。
「あ、でも…」
「いいんだよ。私もね、若い頃は旅ばかりしてたんだ。知らない土地で困ったことも多かったよ。誰かに助けてもらったことも、たくさんあってね」
沙耶は感謝の気持ちを込めて何度もお礼を言った。
その日は駅の待合室で一晩過ごすことにした。夜になり、リュックから寝間着を取り出そうとしたとき、沙耶は信じられないものを見つけた。リュックの裏ポケット、普段使わない場所から財布が出てきたのだ。
「あり得ない…」
沙耶は笑いながら少し泣いた。「なにやってんだろ、ほんとに」
第五章「ポートレート」
翌朝、お礼を言うために青果店に立ち寄った沙耶は、昨日の女性に財布が見つかったことを報告し、お礼の気持ちとしてお金を渡そうとした。しかし女性は受け取らず、「次に困ってる人がいたら、その人に優しくしてあげなよ」と言った。
その言葉を胸に、沙耶は再び歩き始めた。港町の細い路地を歩いていると、小さな写真館の前に出た。古い建物だったが、「営業中」の札が掛かっていた。好奇心から中を覗くと、無口そうな青年が一人、カメラの手入れをしていた。二十代後半くらいだろうか。
「あ、すみません。営業中ですか?」
青年は静かに頷いた。
「何か、撮りたいものでも?」
「いえ、ただ…」沙耶は少し迷った。「写真館って、あまり入ったことなくて」
青年はカメラから顔を上げた。「試しに撮ってみますか? ポートレート」
特に予定もなかった沙耶は、「お願いします」と答えた。
簡単な説明の後、白い背景の前に座った沙耶に向かって、青年はカメラを構えた。緊張する沙耶に、青年は「リラックスして」と言った。
「どんな表情がいいですか?」
「あなたらしい表情でいいです」青年は冷静に答えた。「最近、笑ってますか?」
その質問は唐突だったが、沙耶は考え込んだ。最近、心から笑ったことはあっただろうか。
「あまり…かも」
「では、旅で見た一番好きな景色を思い出してみてください」
沙耶は昨日の海を思い出した。青い空、きらめく波、遠くの船。それから駅カフェのノート、雨宿りの少年、青果店のおばちゃん…。
シャッター音が鳴った。
撮影が終わると、青年はモニターで写真を確認した。沙耶も隣に立って見た。そこには久しぶりにまっすぐ前を見ている自分の姿があった。不思議と穏やかな表情だった。
「これ、いいですね」
「後日、現像して送りますね」青年は言った。「住所を教えてください」
沙耶は自宅の住所を伝えた。一時的に離れているとはいえ、いずれは帰る場所だから。
「ところで」沙耶は尋ねた。「どうしてこんな小さな町で写真館を?」
青年は少し考えてから答えた。「旅の途中で、ここが好きになったんです」
その言葉に、沙耶は少し驚いた。彼もまた、旅人だったのだ。
第六章「ベンチの向こうのわたし」
港町を後にした沙耶は、さらに南下することにした。電車を二回乗り換え、夕方には小さな温泉街に到着した。安い宿を見つけて一泊することにした。
翌朝、温泉に入って体を温めた後、駅に向かった。今日はどこへ行こうか。まだ決めていなかった。
駅のベンチでぼんやりと時刻表を見ていると、向こう側のベンチに小さな女の子が座っているのに気づいた。七、八歳くらいだろうか。泥だらけのスニーカーを履き、膝にはバンドエイドが貼られていた。でも、その目は笑っていた。
女の子は沙耶と目が合うと、にっこりと笑った。沙耶も自然に笑顔を返した。
「どこか行くの?」女の子が聞いてきた。
「うん、まだ決めてないけどね」
「冒険?」
「うん、まあ、そんな感じかな」
女の子は満足そうに頷いた。「わたしも、大きくなったら冒険する」
「そう」沙耶は微笑んだ。「どんな冒険がしたいの?」
「うーん」女の子は真剣に考え込んだ。「なんでも!」
「なんでも?」
「うん。わたし、何でもやってみたかっただけだよ」
その言葉に、沙耶はハッとした。シンプルだけど、どこか心に響く言葉だった。
その時、女の子の名前を呼ぶ声がした。女の子は「じゃあね」と言って走り去った。
沙耶はその小さな背中を見送りながら、不思議な感覚に包まれた。その子が"昔の自分"のように思えたのだ。何でもやってみたかった、好奇心に満ちた自分。いつからか忘れていた自分。
なぜか、少し元気が出てきた。
第七章「地図のいらない帰り道」
沙耶の旅は五日目に入った。次第に心が落ち着いてきて、最初に感じていたもやもやとした気持ちは少しずつ晴れていった。旅先で出会った人々の言葉や優しさが、少しずつ沙耶の心に染み込んでいった。
そして沙耶は決意した。地元に戻ろう。逃げるように出てきた場所だけど、今は少し違う気持ちで帰れそうな気がした。
帰りのバスに乗り込んだ沙耶は、窓の外の景色を眺めながら、この数日間を振り返った。特別なことは何も起きなかったけれど、日常から少し離れただけで、見える景色が変わったような気がした。
リュックは来たときよりも軽くなった気がした。でも心は少し重くて、でもあたたかい。
バスが走り出して間もなく、沙耶のスマートフォンに通知が入った。メールだった。開いてみると、あの写真館からだった。
「写真ができました。とても良い写真が撮れました。データも添付しておきます。」
添付ファイルを開くと、そこには旅のどこかで笑っている自分の姿があった。知らない土地で、知らない人と話しているときの、リラックスした表情。沙耶自身も忘れていた、素直な笑顔だった。
「ありがとう」沙耶は小さく呟いた。誰に向けての言葉かは、自分でもわからなかった。出会った人すべてかもしれないし、この旅そのものかもしれなかった。
バスは夕暮れの中を走り続けた。沙耶は写真を見つめながら、地図のいらない帰り道を思った。
明日からまた日常が始まる。大学に戻るか、別の道を探すか、まだわからない。でも、少しずつ考えていけばいい。急ぐ必要はない。
バスが地元の駅に到着した。沙耶はリュックを背負い直し、ゆっくりと歩き出した。
「ただいま」
夕暮れの街に向かって、小さく呟いた言葉は、今度は風に乗って、どこかへ届いたような気がした。
おわり
終わりに最後まで読んで頂いて有難うございました。
もしこの小説がよかったと思って頂けたら、スキ・フォロー・チップを頂けると励みになります。
お願いがあります。
この小説は有料版のChatGPTを使用して執筆しています。
そこで、もしAmazonでお買い物予定がある方は以下のリンクから購入して頂けないでしょうか。
広告収益をChatGPT有料版の費用にさせて下さい。
(Amazonアソシエイト広告です。)