世界が横になって頭のすぐ上に雲があるのに何故かとても落ち着いている。

雲がすぐ頭の上にあるのに、空はどこまでも近い。
目覚めたリノの世界は、常識の外側にひっそりと傾いていた。
これは、ひとりの少女が“自分”と出会う物語。

第1章:静かな傾き

「うっわ、マジか…」

朝、目を覚ましたリノは天井を見て思わず声が出た。だって、天井がいつもの位置にないのだ。

スマホのアラームを止めようとして手を伸ばしたとき、リノは決定的な違和感に気づいた。世界が、ほぼ90度、横に傾いているのだ。

「夢?いや、夢にしては現実感ありすぎるし…」

リノは慎重に体を起こした。不思議なことに、世界が横になっているのに、自分は普通に動ける。重力は相変わらず自分の足の方向を「下」としているらしい。

「物理の先生が見たら大騒ぎするレベルだな、これ」

窓の外を見ると、リノは思わず息を呑んだ。空が、ありえないほど近かった。まるで巨大な天井画のように、雲が頭上すぐのところに広がっている。白い綿菓子みたいな雲の下側がオレンジと群青のグラデーションに染まっていて、それがもう、写真映えしすぎてやばいレベル。

「これ、誰かに見せたい…」

とっさにスマホを手に取り、カメラを起動したが、画面は真っ黒なまま。電源も入らない。

部屋の中を見回すと、すべての家具が横に傾いている。机も椅子も本棚も、まるで壁に貼り付けられたかのよう。でも、奇妙なことに、物が落ちたりはしていない。

「お母さん、これ見て!」

リノは大声で呼んでみたが、返事はなかった。

「もしかして、寝坊した?」

しかし、置き時計は7時を指している。まだ学校に遅れるような時間ではない。

廊下に出て、キッチンを覗いてみる。居間も、洗面所も、誰もいない。シーンとしている。家の外に目をやると、見慣れた住宅街ではなく、まったく見たことのない風景が広がっていた。

「まるで不思議な童話の世界に迷い込んだみたい…」

音がない。鳥の声も、風の音も、遠くの車の音もしない。匂いもない。でも、不思議なことに、リノは不安を感じなかった。むしろ、心は清々しいほどに静かだった。

「まあ、テスト週間の真っ最中だし、現実逃避の夢を見てるのかもね」

リノは肩をすくめると、ワンピースとカーディガンに着替え、ドアを開けた。

ドアを開けた先には、思っていた以上に奇妙な光景が広がっていた。家のある通りは確かにあるのだが、それが空中に浮かんでいるように見える。道路の端からは何もない虚空が広がり、まるで細い帯の上を歩いているようだった。

「これは…怖いかも」

でも、不思議なことに恐怖は感じない。むしろ、新しい冒険の始まりのような高揚感があった。

リノは慎重に一歩を踏み出した。地面は確かな感触がある。まるで、目に見えている世界と実際に感じる感覚が少しずれているようだった。

「この夢、かなりリアルだな…」

リノは自分の手を見つめた。指先は少し透き通って見える。光に透かすと、骨の影が見えるような気がした。

「私の体も、ちょっとおかしい?」

自分の腕をつねってみる。痛みはある。でも、どこか遠くの感覚のようにも感じた。

「これって…私がまだ半分寝てるってこと?」

リノはふと、空を見上げた。そこには、相変わらず巨大な雲が浮かんでいる。その雲の形は、よく見ると刻一刻と変化していた。まるで、ゆっくりとした呼吸をしているかのように。

「この雲、生きてるの?」

そう思った瞬間、雲が微かに色を変えた。リノの問いかけに反応したかのように。

「うわ、マジで反応した?」

リノは手を伸ばしてみたが、雲には届かない。でも、雲の端から小さな雲の一部が分離し、リノに向かって降りてきた。

「ちょっと、何これ…」

小さな雲が、リノの手のひらに乗った。綿菓子のような感触だが、湿っていない。むしろ、温かく、生き物のような感触があった。

「こんにちは?」

リノが言うと、小さな雲が形を変えて、まるで挨拶をするように揺れた。

「これ、コミュニケーション取れるの?」

雲は再び形を変え、まるでうなずいているかのようだった。

「私の名前はリノ。あなたは?」

雲は形を変えていくつかの文字を形作ろうとしたが、風に煽られてすぐに形が崩れてしまった。

「名前、難しい?」

雲は再び揺れるように動いた。

「じゃあ、私が名前をつけてもいい? えっと…クモ丸(くもまる)とか?」

雲は激しく揺れ、拒否しているようだった。

「そっか、それじゃダメか。じゃあ…フワリ?」

今度は雲が穏やかに揺れ、承諾しているようだった。

「よし、フワリに決定!よろしくね」

フワリがリノの肩に乗り、まるでペットのように寄り添った。温かく、優しい存在感。リノは不思議と心が落ち着くのを感じた。

「フワリ、この世界について知ってる?私、どうやったらお家に帰れるかな?」

フワリは少し動き、道の先を指し示すような形になった。

「あっちに行けばいいの?」

フワリは再び承諾するように揺れた。

「よし、行ってみよう」

リノは足を前に進めた。フワリを連れて、この不思議な世界を探索する旅が始まった。

第2章:雲の下の森

外に踏み出したリノの頭上には、相変わらず雲が浮かんでいた。まるで、リノだけに付き添うパーソナル天井のように。

「どこに行くべきかな…? まあ、夢なら行き先なんてどうでもいいか」

足が自然と前に進んでいく。ふと思いついて、リノはジャンプしてみた。

「わっ!」

普通の力で飛んだつもりが、かなり高く舞い上がった。まるでスローモーションのように、ふわりと宙に浮いてから、ゆっくりと地面に戻る。

「これは楽しい!」

数回ジャンプしてみると、リノは笑い出した。こんなに自由に飛べるなんて、子供の頃からの夢だった。フワリも一緒に跳ねるようにして、喜びを共有しているようだった。

「ちょっと、競争しようか?」

リノがそう言うと、フワリは雲の体を長く伸ばして、まるで走る姿勢をとったかのようになった。

「よーい、どん!」

リノが駆け出すと、フワリもすぐ横を浮かぶように進む。リノの動きに合わせて速度を調整しながら、時には前に出たり、後ろに下がったりする。まるで本当に競争を楽しんでいるようだった。

最初は住宅街に似た風景だったが、走るにつれて徐々に変化していった。家々が消え、代わりに背の低い木々が現れ、やがて森のような場所に入っていく。

「もしかして、これって異世界?」

リノは独り言を言いながら歩いていた。「でも、特殊な力とか特になさそうだし、イケメン王子様も見当たらないな。残念」

その時、前方で何かが動いた気がした。

「誰かいるの?」

リノは足を止め、じっと見つめた。木々の間から、小さな光の粒が舞い上がってくる。まるで蛍のようだが、色とりどりで、動きも不規則だった。

「きれい…」

光の粒たちは、リノの周りを回り始めた。フワリが少し身を引くように、リノの後ろに隠れる。

「フワリ、大丈夫?怖いの?」

フワリはリノの肩の後ろから、小さく揺れた。

「心配しないで。悪いものじゃなさそうだよ」

光の粒の一つが、リノの鼻先に止まった。近くで見ると、それは本当に小さな光の玉で、中心には小さな渦が見える。

「こんにちは、小さな光さん」

光は明滅し、何かを伝えようとしているようだった。

「残念ながら、私には光の言葉はわからないんだ」

すると、光の粒たちが集まり始め、空中に文字を形作った。

「『歓迎する』…私を歓迎してくれてるの?」

光の文字が消え、また新しい文字が形成された。

「『長い間、訪問者を待っていた』…ここに来る人って少ないの?」

光たちは再び文字を作る。

「『あなたは特別』…私が?なんで?」

光たちはリノの周りを回りながら、今度は一つの大きな光の塊となって、人型の姿を形成した。その姿はぼんやりとしているが、少女のようにも見える。

「あなたは…この森の妖精?」

光の少女は頭を傾げ、否定するように揺れた。そして、手を差し伸べてきた。

「一緒に来て欲しいの?」

光の少女はうなずいた。

「フワリ、どう思う?行ってみる?」

フワリは少し警戒するような動きを見せたが、やがて承諾するように揺れた。

「わかった、案内してくれる?」

光の少女は向きを変え、森の奥へと進み始めた。リノとフワリはそれに続く。

光の少女に導かれるまま、森の中を進んでいく。木々はどんどん高くなり、空が見えにくくなってきた。でも、頭上には相変わらず雲が見える。木々の間から覗く、パーソナル天井のように。

「このままどこまで行くの?」

光の少女は立ち止まり、振り返った。そして、手で前方を指し示す。

「あそこに何かあるの?」

視線の先を見ると、木々の間に小さな水辺が広がっていた。水面は鏡のようで、そこに映る空と雲が逆さまに見える。

「きれい…」

リノは水辺に近づき、その縁に腰を下ろした。水面に映る自分の顔を覗き込む。

「髪、ボサボサじゃん…まったく」

と言いながらも、リノは自分の顔に微笑みかけた。フワリも水面に映り込み、まるで水中の雲のように見える。

光の少女が水面に触れると、波紋が広がった。しかし、その波紋は普通ではない。波紋が広がるにつれて、水面に映る景色が変わっていく。

「これは…」

水面に映っていたのは、リノの知らない風景だった。学校のような建物。でも、リノが通う高校ではない。

「これは何?」

光の少女は手を水に入れ、リノにも同じようにするよう促した。

「水に触れればいいの?」

リノは恐る恐る手を水面に近づけた。指先が水に触れた瞬間、不思議な感覚が全身を包んだ。まるで電流のような、でもそれほど強くない刺激。

「なんか、変な感じ…」

そして、水面の景色がさらに鮮明になった。校舎の中、教室の様子が見えてくる。そこには生徒たちがいて、授業を受けている。よく見ると、その中にリノ自身の姿もあった。

「これ、私?でも、記憶にない…」

水中のリノは笑顔で友達と話している。リノにはそんな記憶がない。むしろ、学校では一人でいることが多かった。

「これは…別の世界線の私?」

光の少女はリノの肩に手を置いた。触れることはできないが、その存在を感じることはできた。

「これは、あり得たかもしれない現実ってこと?」

光の少女はうなずいた。

水面をじっと見つめていると、場面が変わる。今度は家族との食事の風景。リノと両親、そして…兄弟?リノには兄弟がいない。一人っ子だった。

「これは…」

光の少女が水面に何かを書いた。文字が浮かび上がる。

「『可能性の水』…これが見せてくれるのは、あり得たかもしれない私の人生?」

光の少女はまたうなずいた。

「でも、どうして私に見せるの?」

水面に再び文字が浮かぶ。

「『選択肢』…私の選択が、こういう現実を作り出したってこと?」

光の少女は首を横に振った。そして、新たな文字を描く。

「『選択肢は、まだある』…これからの選択次第で、違う未来があるってこと?」

光の少女は微笑むように光を明滅させた。

リノは水面を見つめ続けた。様々な可能性の断片が映し出される。笑顔の多い人生。挑戦に満ちた人生。静かな人生。どれも、今のリノとは少し違う。

「私は…どんな選択をしてきたんだろう」

フワリがリノの肩に触れ、慰めるように寄り添った。

水辺を過ぎると、今度は大きな岩が浮かんでいる場所に出た。文字通り「浮いている」のだ。地面から数十センチ離れて、空中に静止している石たち。

「物理法則、完全に無視してるじゃん」

リノは手を伸ばして、一番小さな石に触れてみた。冷たく、確かな感触。でも、軽く押すと、石はゆっくりと動いた。まるで水中にあるかのように。

「宇宙飛行士気分!」

リノは浮かぶ石を次々と押してみる。すると、石同士が軽く衝突して、鈴のような音を奏でた。

光の少女は石の周りを回りながら、それぞれに触れていく。触れるたびに、石が微かに光る。

「これも何か特別な石なの?」

光の少女はリノの方を向き、また手を差し伸べた。

「私も触れってこと?」

リノは光の少女が示した大きな石に近づき、手を伸ばした。

第3章:逆さまの記憶

大きな石に触れた瞬間、リノの頭上の空に、何かが映し出された。

「うわっ!」

まるで巨大な天井スクリーンのように、空が光り始め、そこに映像が浮かび上がる。

「これって…私?」

それは、リノ自身の記憶だった。

3歳の頃、母と公園で遊んでいる場面。母の笑顔。リノが転んで泣いたとき、優しく拭いてくれた手の温もり。

だが、映像は逆さまに映し出されていた。上下が反転した状態で、まるで別の視点から自分の記憶を見ているよう。

「なんか、映画の予告編みたいだな…」

次に映し出されたのは、小学校の教室。窓際の席で一人、放課後を過ごすリノの姿。周りの子たちは楽しそうに話しているのに、リノはただ静かに本を読んでいる。

「あー、この日か」

逆さまの映像を見ていると、リノは気づいた。あの日、自分はずっと寂しかったのだと。でも、その感情を認めることさえしていなかった。

「あのとき、ほんとうは泣きたかったんだ」

言葉が自然と口から出た。胸の奥が熱くなる。でも、不思議と辛くはない。

「ていうか、天井スクリーンでトラウマ映像上映会とかやめてほしいんだけど」

リノはそう言いながらも、目を逸らさなかった。

映像は次々と変わっていく。小学校の卒業式。中学校の入学式。クラスメートとの会話。先生との対話。

全ての記憶が逆さまになることで、リノは初めて気づくことがあった。自分が見ていなかった表情。聞こえていなかった言葉。感じていなかった空気。

「私、結構いろんなもの見ないふりしてたんだな」

リノは少し苦笑した。「無視してたというか…正面から向き合うのが怖かったのかな」

中学3年のときの写真。クラスメイトと写っているが、リノだけが少し距離を置いている。

「あのとき、一緒に写りたかったな」

現在の高校一年生のクラス。先生の質問に答えられず、俯いているリノ。

「次から、手を挙げてみたいな」

光の少女が空に向かって手を伸ばすと、映像が一時停止した。そして、何か別の映像に切り替わろうとしている。

「何を見せようとしてるの?」

次に映し出されたのは、覚えのない風景だった。見知らぬ公園。そこで遊ぶ小さな女の子。よく見ると、それは幼い頃のリノだった。

「これ、私の記憶じゃない…」

映像の中の幼いリノは、一人で砂場に座っていた。周りには他の子供たちもいるが、誰も一緒に遊ぼうとしない。リノは砂の城を黙々と作っている。

その時、映像の中に別の少女が入ってきた。短い髪と明るい笑顔の女の子。彼女はリノに近づき、一緒に遊ぼうと声をかけた。

「その子は…」

映像の中の少女の顔が、近くで見られるようにズームした。見覚えのある顔。でも、名前が思い出せない。

「私、この子知ってるはずなのに…」

光の少女が空に向かって何かを書いた。文字が浮かび上がる。

「『忘れた記憶』…これは本当にあった出来事なの?」

光の少女はうなずいた。

映像は続き、幼いリノと少女が一緒に砂の城を作る場面が映し出される。二人は笑い、話し、楽しそうに遊んでいる。

「でも、なんで忘れちゃったんだろう…」

次の場面。今度は小学校の教室。リノは一人で席に座っている。その同じ少女が近づいてくる。でも、リノは彼女を無視した。

「どうして?せっかく話しかけてくれたのに…」

その後の場面。少女は何度もリノに声をかけたが、リノはいつも冷たく応対した。やがて、少女は声をかけなくなった。

「私、なんてことを…」

最後の場面。少女の引っ越しの日。教室で送別会がある。リノは参加せず、図書室に隠れていた。

「どうして忘れちゃったんだろう」

光の少女が再び空に文字を書く。

「『痛みから身を守るため』…私が忘れたのは、自分の行動を思い出したくなかったから?」

光の少女はうなずいた。

「私、あの子に謝りたい…」

映像が変わり、別の風景が映し出された。今度は中学校の廊下。リノは一人で歩いている。廊下の向こうから、クラスメイトのグループが近づいてきた。

「あ、この時も…」

映像の中のリノは、クラスメイトたちが近づくと、わざと目を逸らし、足早に通り過ぎた。クラスメイトの一人が声をかけようとしたが、リノは聞こえないふりをした。

「私、自分から距離を作ってたんだ…」

光の少女は新しい文字を空に書いた。

「『恐れていたのは拒絶』…そうか、誰かに拒絶されるより、先に自分から距離を置いてたんだ」

映像はさらに変わり、高校の入学式の日が映し出された。新しい環境。新しい顔ぶれ。リノは少し緊張しながらも、期待に胸を膨らませていた。

「新しい始まりかもって思ってたんだよね」

でも、映像の中のリノは、クラスメートが話しかけてきても、また同じ態度をとっていた。短い返事。視線を合わせない。自分から壁を作っている。

「私、パターン化してる…」

最後に映し出されたのは、昨日の夜、ベッドで一人、天井を見上げていたリノの姿。「もういや」と小さくつぶやいていた。

その言葉が空に響いたとき、映像は消え、また静かな雲だけが残った。

「なんか、恥ずかしい…」

リノは赤くなった頬を手で覆った。でも、同時に心がすっきりしたような気もしていた。

「でも、わかったよ。私、自分から誰かとの関係を壊してた。でも、本当は…」

リノはフワリを見た。フワリは優しく揺れ、リノに寄り添うように近づいた。

「本当は、誰かとつながりたかった」

光の少女も近づき、手を差し伸べた。リノは立ち上がると、その手を取ろうとした。手は触れることはできなかったが、温かさを感じることはできた。

「ありがとう、私に気づかせてくれて」

光の少女は微笑み、また前方を指し示した。

「もっと先に進めってこと?」

光の少女はうなずいた。リノとフワリは、浮かぶ石のエリアを後にして、光の少女に導かれるまま進んでいった。

第4章:石の声

深い森を抜けると、開けた場所に出た。そこには一面の花畑が広がっていた。風もないのに、花々は微かに揺れている。

「わぁ、きれい…」

光の少女は花畑の中に入って行った。リノとフワリもそれに続く。花の間を歩いていくと、そこかしこに小さな石が置かれているのに気づいた。

「さっきは浮いてたけど、今度は地面に置いてあるんだ」

花の間の石たちをじっくりと観察してみる。大きさも形も様々だ。表面には模様があり、よく見ると、それぞれ異なる模様が刻まれていた。

「これって…表情みたいなマーク?」

リノは一番大きな石に近づき、手を伸ばした。触れた瞬間、石が微かに震え、そして、声がした。

「あのとき、本当は言いたかったんだ」

女の子の声。リノ自身の声だった。

「うわっ!びっくりした!」

驚いて手を離すと、声も消える。

「これってボイスメッセージ?石に録音されてるの?」

リノは再び石に触れた。

「友達に本当は言いたかったんだ。私も一緒に行きたいって。でも、誘われないんじゃないかって怖くて、先に断ってしまった」

これは、リノの心の中に眠っていた言葉。重くて忘れたかった思い出が、この石に封じられていたのだ。

「なるほど…ここは『言えなかったことストレージ』ってこと?」

光の少女は微笑んで、別の石を指し示した。リノは少し小さな石に触れてみる。

「テストで百点取ったとき、本当は嬉しかった。でも、みんなに自慢げだと思われるのが怖くて、何も言わなかった」

「あー、覚えてる。国語のテスト。でも、石にまでセーブされなくていいじゃん…」

次の石。

「お母さんが落ち込んでいるとき、声をかけたかった。でも、何を言えばいいのかわからなくて、部屋に閉じこもった」

「これ、先月のことか…」

石から石へと移動しながら、リノは自分の中に押し込めていた言葉たちと再会していく。悲しみ、怒り、不安、恐れ、喜び、期待。

「まるで、心の中のドキュメンタリー番組だな」

不思議なことに、それらの感情と向き合っても、もう苦しくない。むしろ、一つ一つ聞くたびに、胸の中が軽くなっていくような感覚。

白い小石に触れると、別の声が聞こえた。クラスメートの声。

「リノって、どうして一人でいるんだろう?話しかけづらい雰囲気作ってるけど…」

「え、これは…他の人の声?」

光の少女はうなずいた。

青い石に触れると、また別の声。

「あのテストの問題、リノに聞きたかったんだけど、忙しそうだったから…」

「私、そんな風に見えてたの?」

緑の石。母の声。

「リノ、最近元気ないけど、どうしたのかな。聞いても答えてくれないし…」

「お母さん…」

黄色い石。先生の声。

「山田さんは成績いいけど、もっと積極的に発言してほしいな。能力はあるんだけど…」

次々と、リノの周りの人たちの声が石から聞こえてくる。リノが知らなかった、彼らの本当の思い。

「みんな、私のこと見てたんだ…」

光の少女は大きなピンク色の石を指し示した。リノが触れると、複数の声が一度に聞こえた。友達の声、クラスメートの声、先生の声、家族の声。

「リノと話したい」 「一緒に遊びたい」 「もっと知りたい」 「笑顔が見たい」

「みんな…そう思ってくれてたの?」

リノの目から涙が溢れた。

「なんで泣いてんだろ、私…」

リノは涙を拭いながら笑った。「夢の中で泣くとか、誰にも言えないな」

フワリがリノの肩に乗り、優しく頬に触れた。雲の柔らかな感触が、涙を拭ってくれる。

光の少女は前方を指し示した。花畑の先には、小さな丘があり、そこに一本の大きな木が立っていた。

「あそこに行くの?」

光の少女はうなずいた。

リノは立ち上がり、花畑を抜けて丘に向かった。後ろを振り返ると、浮かぶ石のエリアや、可能性の水があった場所が見える。この異世界の地図が、少しずつ頭の中で形作られていく。

「なんだか、自分の心の中を旅してるみたいだな」

そう呟きながら、リノは丘を登り始めた。

第5章:流れる道、止まる時

丘を登り切ると、大きな木の下に出た。その木は、リノが今まで見たどの木よりも大きく、枝葉が広がって小さな屋根のようになっていた。

「すごい木…」

リノが木の幹に近づくと、木が微かに震えた。まるで生き物のように。

「こんにちは?」

リノが声をかけると、木の幹に亀裂が入ったかと思うと、目のような模様が浮かび上がった。

「うわ!」

リノは驚いて一歩後ずさった。木の目が、リノをじっと見つめている。

「あなたは…生きてるの?」

目が瞬き、肯定の意思表示をした。

「この世界、全部生きてるんだね…」

木の周りを見回すと、根元から水が湧き出ているのに気づいた。でも、水は地面を流れるのではなく、空に向かって流れていた。下から上へ。重力に逆らうように。

「物理の先生、これ見たら絶対喜ぶな。『重力って何?』ってクイズ出題できるし」

リノはその水の流れる道を辿り始めた。水の脇を歩いていくと、徐々に周りの景色が変わっていく。色が薄れ、やがて全てがモノクロームになっていった。

「まるでモノクロ映画の世界…」

そして突然、風の音が止んだ。水の流れる音も消え、完全な静寂が訪れた。

リノは動きを止めた。そのとき気づいた。水の流れが停止している。まるで、時間が止まったかのように。

でも、リノだけは動ける。水に触れてみる。固まっているわけではない。ただ、流れが止まっているだけ。

「これって時間停止?誰かの特殊能力?」

冗談めかして言ってみたが、声はしっかりと出た。

「何が起きているの?」

その瞬間、リノは対岸に誰かの姿を見つけた。こちらを見ている少女。

「誰?」

近づいてみると、それは「もうひとりのリノ」だった。同じ顔、同じ体格。でも、表情がない。目に光がなく、まるで人形のよう。

「マジか…こわ!」

リノは思わず一歩後ずさりした。

「あなたは…私?」

相手は答えない。ただ、じっと見つめている。

「ね、喋れないの?」

しかし返事はない。フワリは警戒するように、リノの後ろに隠れた。光の少女も、距離を置いて見守っている。

「もしかして…」

リノは、彼女が何者なのか理解し始めた。自分の中にある、感情を凍らせた部分。痛みを感じないようにするために作り上げた、もうひとりの自分。

「ちょっと待って、これってホラー展開?」

でも、怖いというより、どこか悲しい気持ちが湧いてきた。

「ごめんね、あなたに全部押し付けて」

リノは近づき、その少女の手を取った。冷たい。でも、触れた瞬間、少女の目に少しだけ光が戻った。

「一緒に帰ろう」

リノがそう言うと、少女はわずかに頷いた。そして、ゆっくりとリノの体内に溶け込んでいった。光になって、リノの胸に吸収されていく。

「うあっ…何これ…」

その瞬間、リノの体を強い疲労感が包んだ。今まで感じなかった痛みや悲しみが、一気に押し寄せてくる。

膝から崩れ落ちそうになったが、リノは踏みとどまった。

「大丈夫。これが私なんだ」

そう言った瞬間、再び時間が流れ始めた。水が動き、色が戻り、風の音が聞こえてきた。

「自分と融合するなんて、ファンタジー小説みたいな展開だな…」

リノは小さく笑った。

フワリが心配そうにリノの周りを回る。

「大丈夫だよ、フワリ。むしろ、今までよりずっといい感じ」

光の少女が近づき、リノの肩に手を置いた。温かさを感じる。

「ありがとう。あなたたちのおかげで、自分自身と向き合えた」

光の少女は微笑み、また前方を指し示した。水の流れが作る道の先には、輝く光のような何かが見える。

「あれは何?」

光の少女は答えず、ただリノを促すように手を差し伸べた。

「行ってみればわかるってこと?」

第6章:夜の中の月

リノは光の少女とフワリに導かれるまま、水の流れる道を進んでいった。道が続くにつれて、風景が再び変わっていく。モノクロームだった世界に、ゆっくりと色が戻ってきた。でも、それは元の色ではない。新しい、より鮮やかな色彩。

「こんな色、見たことない…」

空の青はより深く、草の緑はより生き生きとしていた。まるで、全てのものが内側から輝いているかのよう。

どれくらい歩いただろう。気がつけば、空の色が変わっていた。群青色が濃くなり、やがて夜の色に染まっていく。

でも星はない。ただ、大きな月だけが空に浮かんでいた。

「うわ、迫力ある…」

その月が、リノの方に近づいてくる。どんどん大きくなり、最後には頭上いっぱいに広がった。

月の光がリノを照らす。柔らかい、銀色の光。

「この先、ピクニック用の布とかないよね?月が落ちてきそうで怖い…」

その光の中で、月が語りかけてきた。

「よく来たね、リノ」

温かく、優しい声。性別も年齢も分からない、不思議な声。

「えっ、月が話した? SFの世界かよ!」

リノは驚きの声を上げた。

「ここはどこ?」

リノの問いに、月はゆっくりと答える。

「君の内側の世界だよ。君が自分自身と向き合うために作った場所」

「私が…作った?精神世界的な?」

「そう。君は自分の心の中で、ずっと叫んでいた。誰にも聞こえない声で。その声が、この世界を作り出したんだ」

リノは自分の手を見つめた。確かに実体があるのに、どこか透明感のある手。

「でも…なんで今なの?」

「時が来たからさ」

「禅問答みたいだな…」

「君は、もう戻る準備ができたのかい?」

月の問いかけに、リノは答えられなかった。ここにいると、心が静かだ。現実に戻りたいという気持ちと、このままここにいたいという気持ちが混在している。

「ここって、いつでも来られるの?」

「君が望むなら、いつでも」

「それなら…」

リノの心の奥では、少しだけ「帰りたい」という思いが芽生えていた。

「まだ…わからない」

リノの正直な言葉に、月は柔らかく光を揺らした。

「急がなくていい。この世界は君がいつでも来られる場所だから。ただ、忘れないで。現実も、君の一部だということを」

「それって…逃げちゃダメってこと?」

「逃げることと、休むことは違うよ」

「なるほど…」

その言葉を胸に、リノは月の下で静かに座り込んだ。柔らかな光に包まれながら、自分の内側と向き合う時間。

「現実の試験勉強も、こんなに集中できたらいいのに…」

リノは呟きながら、小さく笑った。

月の光が強まり、リノを包み込むように降り注いできた。その光の中に、リノは様々な映像を見た。過去の記憶ではなく、未来の可能性。

「これは…」

リノが手を挙げて質問に答えている教室。友達と笑いながら下校する姿。母親と一緒に料理をしている風景。

「私の…未来?」

「可能性の一つだよ」と月は答えた。「君が選べば、実現する未来」

次の映像。部活動に入って、仲間と一緒に活動するリノ。緊張しながらも、発表会で堂々とスピーチをするリノ。

「私にこんなことできるかな…」

「できるさ。君はもう、最初の一歩を踏み出している」

映像はさらに変わり、大人になったリノの姿が映し出された。自信に満ちた表情で、オフィスで働くリノ。誰かに何かを教えるリノ。笑顔で人と話すリノ。

「これが…私?」

「なれる君だよ」

リノは映像に見入っていた。今のリノからは想像できないほど堂々とした姿。でも、どこか懐かしさも感じる。まるで、本来の自分を見ているよう。

「どうすれば…こうなれる?」

「小さな選択の積み重ねさ。勇気を出すこと。自分を信じること。そして、人とつながること」

リノはフワリと光の少女を見た。二人は静かに寄り添っていた。

「人とつながるって…こういうこと?」

月は優しく答えた。「そう。最初は怖いかもしれない。でも、徐々に慣れていくさ。一歩ずつ」

リノは深く息を吸い込んだ。勇気を出して、人と関わること。自分から壁を作らないこと。それは確かに怖い。でも…

「やってみる価値はあるよね」

「その通り」

月の光がさらに明るくなり、リノを優しく包み込んだ。暖かさと安心感に満たされる。

「ねえ、月さん」

「なんだい?」

「この世界の住人は、みんな私の心の一部なの?フワリも光の少女も?」

月はゆっくりと答えた。「彼らは君の心の一部でもあり、独立した存在でもある。この世界のすべてのものは、君と繋がっている。でも、それぞれが自分の意思を持っているんだ」

「なんだか複雑…」

「人の心も複雑だからね」

リノはフワリに手を伸ばした。フワリは優しく手に触れる。

「フワリ、ありがとう。これからもよろしくね」

フワリは嬉しそうに揺れた。

光の少女も近づき、リノの前に座った。

「あなたにも感謝してる。私に気づかせてくれて」

光の少女は微笑み、リノの手を取った。手が触れた瞬間、光の少女の体が明るく輝き、その一部がリノの中に流れ込んでいく感覚があった。

「これは…」

リノの体の中に、小さな光が宿った感覚。温かく、励ましてくれるような存在。

「私の中に…あなたがいる?」

光の少女はうなずいた。そして、指で自分の胸を指し、次にリノの胸を指した。

「私の中にあなたもいるってこと?」

光の少女は再びうなずいた。

月の声が響いた。「つながりとは、そういうものだよ。お互いの一部を交換すること。記憶を共有すること。感情を理解すること」

「深いな…」

リノは自分の胸に手を当てた。確かに、何か新しいものを感じる。勇気、かもしれない。自信、かもしれない。

月は再び話し始めた。「さて、リノ。もう少し先に進む準備はできたかい?」

リノはフワリと光の少女を見た。二人もリノを見つめ返している。

「うん、行ってみる」

月の光が道を示すように、前方に伸びていった。リノは立ち上がり、その道を進み始めた。

第7章:雲が雨になる

月の光に導かれるまま、リノは新しい道を進んでいく。道の両側には、これまで見たことのない植物が生えていた。まるで海の中の珊瑚のように、ゆらゆらと揺れる植物。触れると、優しく身を引くように動く。

「ここはどこ?」

月の声が答えた。「記憶と感情が交わる場所。過去と未来の狭間」

「なんだか詩的だね」

月の光を辿って歩いていると、前方に大きな広場が見えてきた。その中心には、巨大な噴水があった。でも、水は上から下ではなく、下から上に噴き出している。

「この世界は重力が逆なの?」

「いいや、重力は普通だよ。変わっているのは水の性質さ」

リノは噴水に近づいた。水は透明ではなく、ほんのりと青く光っている。

「この水は何?」

「思いの水。心の奥底から湧き出る、純粋な思い」

リノは恐る恐る手を差し伸べ、水に触れてみた。冷たくはなく、むしろ温かい。そして、触れた瞬間、心が軽くなるような感覚があった。

「気持ちいい…」

水面に映るリノの顔は、いつもより晴れやかに見える。目に力があり、表情が生き生きとしていた。

「これが本当の私?」

「そうだよ」と月は答えた。「君の本質だ」

噴水の周りには、小さな池が広がっていた。池の中を覗くと、小さな魚のような光の粒が泳いでいる。

「これは?」

「思いの断片だよ。まだ形になっていない、小さな希望や願い」

リノは池の縁に座り、光の魚たちを見つめた。時々、魚が水面近くまで上がってきて、リノを見上げる。

「かわいい」

フワリもリノの横に浮かんで、興味深そうに池を覗き込んでいる。

突然、フワリが震えるように動いた。

「フワリ、どうしたの?」

リノの頭上で、変化が起きた。ずっと付き添ってきた雲が、ぽたりと滴を落とし始めたのだ。

「あっ」

最初は小さな一滴。そして、徐々に増えていき、やがて柔らかな雨となった。

「雨なのに、濡れない?」

でも不思議なことに、雨は冷たくない。むしろ、温かい。まるで優しく包み込むような温もりがあった。

雨の音は、どこか音楽のようだった。リズムがあり、メロディーがある。それを聞いていると、リノの目が重くなってきた。眠気のような、優しい感覚に包まれる。

「これ、心地よい音楽か何か?」

雨は、リノの体を通り抜けていく。それは単なる水ではなく、感情そのものが形を変えたもののように思えた。

「雨が…透けてる?」

月の声が静かに響いた。「それは浄化の雨。心の中の余分なものを洗い流してくれる」

リノは静かに目を閉じて、雨の中に身を委ねた。そして、自分の感情も一緒に雨に預ける。

流れていくのは、痛みや恐れ。残るのは静かな核。自分自身の本質。

「あったかい…」

雨が強くなり、リノの視界が白く染まっていく。でも、恐れはなかった。むしろ、心地よさがあった。

光の少女が近づき、リノの隣に立った。彼女も雨に顔を上げ、目を閉じている。

「あなたも気持ちいい?」

光の少女は微笑んだ。

リノはフワリを見た。フワリは雨の中で、形を少し変えていた。もっと大きく、広がっているように見える。

「フワリ、大きくなったの?」

フワリは喜ぶように揺れた。

「雨が、フワリを成長させてるの?」

月が答えた。「フワリも君の一部。君が成長すれば、フワリも成長する」

リノは微笑んだ。「そっか、私たちは一緒に成長してるんだね」

雨の中で、リノは過去の出来事を思い出していた。小学校の頃、一人で給食を食べていたこと。中学校での文化祭、参加せずに見学だけしたこと。高校に入って、新しい環境に希望を持ちながらも、また同じパターンを繰り返していたこと。

でも、不思議なことに、それらの記憶を思い出しても、もう苦しくない。ただ、自分の一部として受け入れられる。

「変わりたい」とリノは呟いた。「もう、一人でいたくない」

すると、雨の滴が光り始めた。一滴一滴が、小さな星のように輝く。

「きれい…」

光の雨が、リノを包み込む。その光の中で、リノは自分の体が少しずつ変わっていくのを感じた。透明だった部分が、しっかりとした実体を持ち始める。

「私、元に戻ってる?」

「いいや」と月は答えた。「新しくなっているんだ」

リノは両手を広げ、光の雨を受け止めた。一滴一滴が、新しい力を与えてくれるよう。

「ありがとう」

最後にそうつぶやいて、リノは完全に目を閉じた。

「なんか、音楽聴いてるみたい…」

雨の音が、心地よいメロディーになっていく。リノは、その音楽に身を任せた。

どれくらいの時間が経ったのだろう。ゆっくりと目を開けると、雨は止んでいた。でも、世界は変わっていた。色彩がさらに鮮やかになり、全てのものが輝いて見える。

「これは…」

月の声が答えた。「君の世界だよ。新しく生まれ変わった」

リノは立ち上がり、周りを見回した。噴水はまだそこにあるが、水はさらに明るく輝いている。池の光の魚たちも、より活発に泳ぎ回っている。

「何が変わったの?」

「君が変わったんだ。だから、君の見る世界も変わった」

リノは自分の手を見た。以前より確かな実体がある感じ。自分自身の存在感が強まったような気がする。

「でも、まだここは夢の中なんだよね?」

「そうとも言える。でも、この体験は現実と同じくらい本物だ」

リノはフワリと光の少女を見た。二人も変わっていた。フワリはより大きく、より形がはっきりしている。光の少女は以前より実体があり、顔の表情もはっきりと見える。

「フワリ、光の少女、ありがとう。二人のおかげで、私は変われた」

フワリは嬉しそうに揺れ、光の少女は微笑んだ。

月の光が再び道を示した。「もう少し先に進もうか」

リノはうなずき、フワリと光の少女と共に歩き始めた。

第8章:目を開けたそのとき

道を進むうちに、風景が再び変わっていく。噴水のある広場が遠ざかり、新しい場所が見えてきた。それは、丘の上に立つ一軒の家だった。

「あれは…」

リノは足を止めた。それは、リノの家だった。でも、現実の家とは少し違う。より明るく、より温かそうに見える。

「私の家?」

月の声が答えた。「君の心の中の家だよ。帰るべき場所」

リノは丘を登り始めた。近づくにつれて、家の詳細が見えてくる。窓から漏れる温かな光。玄関先に置かれた季節の花。風に揺れる洗濯物。

「なんだか懐かしい…」

家の前に立つと、ドアが開いた。でも、中には誰もいない。

「入っていいの?」

月が答えた。「もちろん。君の家だから」

リノは恐る恐るドアを開け、中に入った。玄関を抜けると、そこには懐かしいリビングがあった。家族の写真。使い込まれたソファ。台所から漂う料理の匂い。

「本当に我が家みたい…」

光の少女が、リノの肩に手を置いた。彼女の表情は、少し寂しそうだった。

「どうしたの?」

光の少女は、別れを告げるように、リノを抱きしめようとした。体は触れることができないが、その思いは伝わってきた。

「もう、会えないの?」

月が答えた。「彼女はここにとどまる。でも、君の中にも存在している。必要なときは、いつでも会える」

リノはフワリを見た。フワリも少し距離を置いている。

「フワリも?」

フワリは寂しそうに揺れた。でも、肯定の動きでもあった。

「二人とも、ありがとう。本当に助けてもらった」

光の少女は微笑み、フワリは最後にリノの頬に触れた。その感触は、いつまでも忘れることはないだろう。

月の声が静かに響いた。「さて、リノ。もう戻る時間だ」

リノは窓の外を見た。空には、大きな月が浮かんでいる。その光が、リノを照らしていた。

「ここに来たら、また会える?」

「もちろん。いつでも」

リノはうなずき、深呼吸をした。

「じゃあ、行ってくる」

リビングの中央に立つと、月の光がリノを包み込んだ。目が眩むような明るさ。その中で、リノは体が軽くなっていくのを感じた。

「ありがとう、みんな。また会おうね」

最後にそう言って、リノは目を閉じた。

ピピピピピ。

スマホのアラーム音が、リノの耳に飛び込んできた。

「んん…?」

ゆっくりと目を開けると、見慣れた天井が目に入った。自分の部屋。現実の世界。

リノは体を起こした。世界はちゃんと縦になっていて、窓の外を見れば、空は高く、雲はあるべき場所にあった。

「夢…だったの?でも、すごくリアルだったな…」

でも、それは単なる夢とは違った。胸に残る確かな感覚。まるで、本当に別の世界を旅してきたかのような実感。

心は以前と違う。雲が頭上にあったときの「落ち着き」が、確かに残っていた。

「やっぱ、変な夢だったのかな…」

リノはスマホを手に取り、SNSをチェックした。いつもの友達のポスト。いつもの芸能ニュース。いつもの世界。

でも、何かが違う。自分の見え方が変わったような気がする。

リノは窓を開け、朝の空気を深く吸い込んだ。鳥の声、遠くの車の音、風の匂い。全てが鮮やかに感じられる。

「おはよう、リノ」

ドアの外から、母の声がした。

「おはよう、お母さん。今日、何か手伝うことある?」

思いがけない自分の言葉に、ドアの向こうで母が少し黙った。

「え、ほんと?じゃあ、朝食の準備手伝ってくれる?」

「うん、いいよ!」

リノの返事を聞いて、母は嬉しそうな声で「ありがとう」と言った。

制服に袖を通し、カバンを手に取る前に、リノは鏡を見た。昨日と同じ自分がそこにいた。でも、何かが違う。目の奥に、静かな光がある。

「よし!」

スマホをポケットに入れ、リノは部屋を出た。今日から、少しだけ違う自分で学校に行こう。

「あ、そうだ」

母に手伝いながら、リノは思いついた。

「放課後、友達と遊びに行ってもいい?」

「いいわよ。珍しいね」

母は少し驚いた様子だったが、嬉しそうに頷いた。

「実は、誘われてたんだ。でも、今まで断ってた」

「どうして?」

「なんか…怖かったっていうか」

母は優しく微笑んだ。「人と関わるのは、時々怖いこともあるよね。でも、素敵なことでもあるのよ」

「うん、わかった気がする」

食卓に座り、いつもより会話の多い朝食。母の話す日常の出来事が、なぜか新鮮に聞こえる。

「お母さん、最近どう?元気?」

母は少し驚いた表情をした。「あら、珍しいね。ええ、元気よ。ちょっと仕事が忙しいけど…」

「大変そうだね。何か力になれることある?」

母の目が少し潤んだ。「リノ…ありがとう。大丈夫よ。こうして話してくれるだけで、とっても嬉しいの」

朝食を終え、リノは学校へと向かった。いつもの道。いつもの風景。でも、全てが少し違って見える。

「空、高いな…」

見上げると、青い空に白い雲が浮かんでいた。ふと、雲の形が微かに動いたように見えた。まるで、誰かが手を振っているかのように。

「フワリ…?」

リノは小さく手を振り返した。

教室に入ると、いつものクラスメートたちがいた。でも今日は、少し違って見える。彼らの顔に、これまで気づかなかった表情が見えるような気がした。

「おはよう」

リノは、いつもより少し大きな声で言った。すると、何人かが振り返って、笑顔で「おはよう」と返してくれた。

近くの席の女の子が、リノに話しかけてきた。

「ねえ、リノ。今日の放課後、私たちとカフェに行かない?新しいケーキの店ができたんだって」

いつもなら「ごめん、用事がある」と答えていたリノ。でも、今日は違った。

「行きたい!連れてってよ」

女の子の顔が明るくなった。「本当?やった!じゃあ、放課後に正門で待ち合わせね」

「うん、楽しみ!」

授業が始まると、リノはいつもと違う気持ちで臨んだ。質問があれば手を挙げる。分からないことは素直に聞く。少しずつだけど、変わり始めている自分を感じる。

昼休み、リノはいつもと違う場所に座ってみた。クラスメートたちの輪の中。最初は緊張したが、徐々に会話に参加できるようになる。

「リノって、実は面白いんだね」 「もっと早く話せばよかったな」 「これからもランチ一緒に食べよう」

温かい言葉に、リノは心が満たされるのを感じた。

放課後、約束通りカフェに行く。おしゃべりと笑い声の中で過ごす時間。初めての経験ではないのに、なぜか全てが新鮮に感じられた。

帰り道、リノは空を見上げた。夕焼けに染まる雲。その形が、どこか懐かしく感じられる。

「雲の下で学んだこと、忘れないようにしよう」

リノは窓の外の空を見上げた。青い空に、小さな雲が浮かんでいる。高く、遠くにあるけれど、確かに見守っているような気がした。

その夜、ベッドに横になったリノは、天井を見つめていた。

「フワリ、光の少女、月さん。みんな元気かな」

目を閉じると、心の中で、あの不思議な世界が微かに輝いているのを感じた。いつでも戻れる場所。自分自身と向き合う場所。

「また会いに行くよ」

リノはそうつぶやきながら、優しい眠りに落ちていった。今度は、普通の夢を見るために。

第9章:ささやかな変化の始まり

次の日の朝、リノはいつもより少し早く目が覚めた。窓から差し込む朝日が、部屋を優しく照らしている。

「今日も頑張ろう」

そう自分に言い聞かせながら、リノはベッドから飛び出した。昨日までとは違う、新鮮な朝の始まり。

朝食の席で、父がリノの変化に気づいた。

「どうしたんだ?最近、元気があるね」

「そう?別に普通だよ」

リノは照れ隠しに紅茶を一口飲んだ。

父は微笑んで新聞に目を戻した。「そうか。でも、いい変化だと思うよ」

母はリノに向かってウインクした。二人だけの秘密を共有するように。

学校への道すがら、リノは空を見上げた。雲の形が、人の顔のように見える。

「おはよう、フワリ」

小さくつぶやくと、風が優しく髪を撫でていった。

教室に入ると、昨日カフェに行った女の子たちが手を振ってくれた。

「リノ、おはよう!」 「昨日楽しかったね!」

リノは笑顔で応えた。「うん、本当に楽しかった!また行こうね」

授業中、国語の先生が質問をした。誰も手を挙げない。リノは迷った。正解かどうか自信がない。でも…

「やってみよう」

リノはゆっくりと手を挙げた。

「はい、山田さん」

「えっと…それは『諦念』という心境を表していると思います」

先生は満足そうにうなずいた。「その通り。よく気づきましたね」

クラスメートたちの視線を感じる。でも、それは批判的なものではなく、むしろ尊敬のようなものだった。

「すごいね、リノ」後ろの席の男子が小声で言った。

「ありがとう」リノは少し恥ずかしそうに答えた。

昼休み、図書室に行こうとしていたリノに、文化祭の委員をしている同級生が声をかけた。

「山田さん、ちょっといい?」

「うん、何?」

「実は文化祭の展示で、イラストを描ける人を探してるんだ。山田さん、美術の時間のスケッチ上手だったよね?手伝ってくれないかな」

以前なら、すぐに断っていただろう。人前に出るのが怖かった。失敗するのが怖かった。でも今は…

「やってみる!どんなイラスト?」

同級生の顔が明るくなった。「本当?助かるよ!放課後、ミーティングあるから来てくれる?」

「うん、行くよ」

放課後のミーティングで、リノは文化祭委員の仲間たちと出会った。最初は緊張したが、皆が温かく迎えてくれた。

「山田さんが描いてくれるなんて心強いよ!」 「美術室、一緒に使おう」 「私たちも手伝うから、一緒に頑張ろう」

プロジェクトの一員として受け入れられる感覚。チームの一部になる喜び。リノは初めて、所属感というものを味わった。

帰り道、空を見上げると、雲が夕日に染まっていた。昨日よりも、さらに世界が鮮やかに見える。

「小さな一歩だけど…」

家に帰ると、母がキッチンで夕食の準備をしていた。

「お帰り。今日はどうだった?」

「うん、いろいろあったよ。文化祭の委員会に入ることになったんだ」

母は驚いた表情をした。「まあ!それは素晴らしいわ。どんなことをするの?」

「イラストを描くんだ。壁画みたいな大きいやつ」

「リノ、それ、得意だものね。お父さんに言ったら喜ぶわよ」

リノは母の横に立ち、夕食の準備を手伝い始めた。

「ねえ、お母さん」

「なあに?」

「私、変わりたいと思ってる」

母は手を止め、リノを見つめた。「どう変わりたいの?」

「もっと…自分らしく生きたい。自分の気持ちに正直に」

母は優しく微笑んだ。「それは素晴らしいことね。でも、リノはリノのままでいいのよ。無理に変わる必要はないわ」

「うん、わかってる。でも、本当の自分を出せるようになりたいんだ」

母はリノの頬に触れた。「応援してるわ。いつでも話を聞くからね」

夕食後、リノは部屋で文化祭のイラストのアイデアを考えていた。スケッチブックに向かい、鉛筆を走らせる。

「どんなイラストがいいかな…」

ふと、あの不思議な世界を思い出した。横になった世界。頭上に広がる雲。浮かぶ石。流れる水。

「これだ」

リノはスケッチブックに、あの世界の風景を描き始めた。現実とは少し違う、でも心に響く風景。

第10章:光の少女の再訪

文化祭の準備が本格的に始まった。リノは放課後、美術室に通うようになった。大きなキャンバスに向かい、あの不思議な世界を再現していく。

「山田さん、それすごくいいね!」 「幻想的な感じがする」 「どうやって思いついたの?」

クラスメートたちの質問に、リノは少し照れながら答えた。

「夢で見たんだ。世界が横になって、雲が頭のすぐ上にある夢」

「面白い夢だね!」 「その発想、天才的かも」

誰かに自分の内面を共有することの喜び。リノは初めて、自分の思いを表現することの楽しさを知った。

一週間が過ぎ、イラストは少しずつ形になっていく。横になった世界。頭上の雲。浮かぶ石。逆さに流れる水。それらを繋ぐ小道。

ある日の放課後、美術室で一人で作業をしていたリノ。窓の外は夕暮れで、室内は橙色の光に包まれていた。

「上手くいかないな…」

光の少女を描こうとしていたが、イメージ通りにならない。何度も消しては描き直す。

「どんな顔だったっけ…」

窓の外を見ると、夕日に染まる雲が見える。その形が、なんとなく人の顔に見えた。

「フワリ…会いたいな」

その瞬間、窓から差し込む夕日の光が強くなった。まぶしさに目を細めると、その光の中に、うっすらと人影が見えた。

「え…?」

光の中から、あの光の少女が現れた。夢の中で会った、あの少女。

「本当に…あなた?」

少女は微笑み、リノに手を差し伸べた。その姿は半透明で、現実の世界に完全には属していないよう。でも、確かにそこにいる。

「どうして…ここに?」

光の少女はキャンバスを指し、それからリノの胸を指した。

「私を呼んだの?」

少女はうなずいた。それから、イラストの中の自分の姿を指し、首を傾げた。

「あ、上手く描けなくて…ごめん」

少女は微笑み、リノの隣に立った。まるでモデルになるように、静かに佇む。

「ありがとう」

リノは新しいキャンバスに向かい、光の少女の姿を描き始めた。夕日の光を浴びる少女の姿。半透明の体。優しく微笑む表情。

描いている間、二人の間には言葉のない会話があった。筆の動きと、少女の微かな仕草。互いを理解し合う静かな時間。

「できた」

完成したイラストを見て、光の少女は嬉しそうに身振りをした。そして、リノに近づき、肩に手を置こうとした。手は触れることはできないが、その温かさは感じられた。

「ありがとう。また会えて嬉しいよ」

光の少女はリノの頬に触れるような仕草をした。そして、ゆっくりと後ずさり、窓から差し込む光の中へと戻っていく。

「また来てね」

リノが言うと、少女は最後に手を振り、夕日の中に溶けていった。

窓の外では、雲が夕日に照らされて輝いている。その形は、どこかフワリに似ていた。

「フワリも見てるのかな」

リノは窓に手を当て、空に向かって小さく手を振った。

その夜、ベッドに横になったリノは、新しいスケッチブックを開いた。昼間に見た光の少女の姿を、もう一度描いてみる。

「会えるんだ。現実の世界でも」

描きながら、リノは考えた。あの世界は単なる夢ではなかった。どこか別の次元で、確かに存在している場所。そして、その世界と現実は、時々繋がることがある。

「明日、イラストを完成させよう」

リノはスケッチブックを閉じ、目を閉じた。今夜は、どんな夢を見るだろう。

第11章:秘密の共有

翌朝、リノは爽やかな気分で目覚めた。窓の外は晴れていて、青空に白い雲がポツポツと浮かんでいる。

「今日も頑張ろう」

学校に着くと、文化祭委員の友達が駆け寄ってきた。

「山田さん、おはよう!イラスト、どう?進んでる?」

「うん、もうすぐ完成するよ」

「見せてほしい!今日の放課後、見に行ってもいい?」

「もちろん」

授業中、リノはノートの隅に小さなスケッチを描いていた。フワリの姿。雲の形をした、あの優しい存在。

「山田さん」

突然名前を呼ばれ、リノは飛び上がった。

「はい!」

「黒板の問題、解いてみてくれますか?」

数学の先生が、リノを指名していた。以前なら、こんな時パニックになっていただろう。でも今は…

「はい、やってみます」

黒板に立ち、チョークを手に取る。問題を見て、考える。少し不安はあるが、冷静に一歩ずつ解いていく。

「これでいいですか?」

先生は満足そうにうなずいた。「正解です。よく理解していますね」

席に戻ると、クラスメートたちが小さな拍手をしてくれた。

「すごいね」 「どうやって解いたの?」

リノは少し照れながらも、解法を教えた。誰かの役に立つという実感。新しい喜びだった。

放課後、美術室には文化祭委員の友人たちが集まっていた。

「見せて!見せて!」

リノはキャンバスのカバーを取った。そこには、夢の世界の風景が広がっていた。横になった世界。頭上の雲。浮かぶ石。逆さに流れる水。そして、光の少女とフワリの姿。

「うわぁ…」 「すごい…」 「これ、本当に夢で見たの?」

友人たちは感嘆の声を上げた。

「うん。変な夢だったんだけど、なんか大事な感じがして」

「この雲、かわいい」 「この光の子は誰?」 「水が上に流れてるの、不思議な感じ」

質問に答えながら、リノは少しずつ、夢の内容を話した。自分と向き合う旅。感情との再会。恐れの克服。

「山田さん、それって何かの象徴じゃない?」 「心理学とか、そういうの好きなの?」 「小説みたいだね」

「そうかも」リノは微笑んだ。「でも、すごくリアルだったんだ。今でも覚えてる」

帰り道、文化祭委員の一人、佐藤さんがリノに話しかけた。

「あのさ、山田さんの話、すごく興味深かったよ」

「ありがとう。変な話だったけど」

「いや、すごく共感できるんだ。実は私も…似たような経験があるかも」

リノは足を止めた。「本当?」

佐藤さんは少し恥ずかしそうに笑った。「私の場合は、森の中の古い神社みたいな場所だったんだけど。そこで自分の色んな面と対話するみたいな…」

「それ、すごく似てる!」

二人は公園のベンチに座り、お互いの体験を語り合った。似ている部分と違う部分。でも根底にある、自分自身との対話という本質は同じ。

「こんな話、誰にもしたことなかったんだ」佐藤さんは言った。「変だと思われそうで」

「私も」リノは頷いた。「でも、話せて良かった」

「うん、なんか繋がった感じ」

その日から、リノと佐藤さんは特別な友情で結ばれた。秘密を共有する、深いつながり。

「明日から、イラストに色を付けていこう」帰り際、佐藤さんが言った。「私も手伝うね」

「ありがとう。それ、嬉しい」

家に帰ると、母が台所で夕食の準備をしていた。

「おかえり。今日はどうだった?」

「うん、すごく良かった」リノは笑顔で答えた。「新しい友達ができたかも」

「それは素晴らしいわね」

「お母さん…」リノは少し迷った後、続けた。「私、変わったと思う?」

母は手を止め、リノをじっと見つめた。そして優しく微笑んだ。

「変わったというより…本来のリノが出てきたのかな、という感じよ」

「本来の?」

「そう。小さい頃のリノは、とっても好奇心旺盛で、人懐っこい子だったのよ。でも、小学校の終わりくらいから、少しずつ殻に閉じこもるようになって…」

「そうだったんだ…」

「何かあったのかしら?と思ったけど、思春期のことだし、無理に聞くのもね」母は優しく言った。「だから、最近のリノを見て、『あぁ、戻ってきたな』って思ったの」

リノは母の言葉を噛みしめた。自分の中の変化は、実は「元に戻る」ことだったのかもしれない。

「お母さん、ありがとう」

母に抱きつくリノ。母は少し驚いたが、すぐに優しく抱き返してくれた。

「どういたしまして。私こそ、リノが心を開いてくれて嬉しいわ」

その夜、リノはベッドに横になり、天井を見つめた。今日一日を振り返る。新しい友情。秘密の共有。母との対話。

「小さな変化だけど…」

窓の外に目をやると、月明かりに照らされた雲が見えた。その形が、まるで誰かの顔のように見える。

「おやすみ、フワリ。おやすみ、光の少女。おやすみ、月さん」

リノは小さくつぶやき、静かに目を閉じた。

第12章:イラストの完成

文化祭まであと一週間。美術室は準備に追われる生徒たちで賑わっていた。リノと佐藤さんは、大きなキャンバスに向かって最後の仕上げをしていた。

「この青、もう少し深くしてみようか?」佐藤さんが提案した。

「うん、いいね。空の部分には、もっと神秘的な感じを出したいんだ」

二人で協力しながら、イラストに色を加えていく。夢の世界の風景が、鮮やかに甦っていく。

「ねえ、山田さん」佐藤さんが言った。「このイラスト、タイトルは何にするの?」

リノは少し考えた。「『世界が横になって』…かな」

「素敵なタイトルだね」

作業を続けていると、クラスの他の生徒たちも興味を持って近づいてきた。

「これ、すごいね」 「文化祭で一番目立つ展示になりそう」 「私たちも手伝っていい?」

リノは嬉しそうに頷いた。「もちろん!一緒にやろう」

そして、イラストは多くの人の手で完成に向かっていった。一人一人が、少しずつ自分の色を加えていく。でも不思議なことに、全体の調和は崩れなかった。むしろ、より豊かな作品になっていった。

「みんなの力で、もっと素敵になった」

リノはそう感じていた。最初は自分だけの夢だったものが、今は多くの人と共有される作品になっている。

完成間近のある日、美術室に顧問の先生が訪れた。

「素晴らしい作品だね」先生は感心した様子で言った。「こんなに大きな作品を、よくまとめたね」

「ありがとうございます」リノと佐藤さんは同時に答えた。

「山田さん、君はいつからこんな絵を描くようになったの?」

「最近です…」リノは少し照れながら答えた。「でも、ずっと心の中にあったものかもしれません」

先生はうなずいた。「表現するということは、自分の内側と向き合うことでもあるんだよ。この作品からは、君たちの真摯な姿勢が伝わってくる」

その言葉に、リノは胸が熱くなるのを感じた。

「先生、この絵、文化祭の後はどうなるんですか?」佐藤さんが尋ねた。

「そうだね…」先生は考えるように言った。「よかったら、校内に飾っておくのはどうかな?他の生徒たちの刺激にもなると思うよ」

リノと佐藤さんは顔を見合わせ、笑顔になった。

「嬉しいです!」

その日の放課後、イラストは完成した。大きな、横長のキャンバスいっぱいに広がる、夢の世界の風景。

中央には横になった世界。頭上には手が届きそうなほど近い雲。水は重力に逆らうように上に流れ、石は空中に浮かんでいる。木々は緑に輝き、光の少女は優しく微笑んでいる。そして、フワリは雲の姿で空を漂っている。

「本当に完成した…」

リノは少し離れた場所から、作品全体を眺めた。他の生徒たちも集まり、感嘆の声を上げている。

「これ、すごいよ」 「見れば見るほど、新しい発見がある」 「物語があるみたいだね」

佐藤さんがリノの隣に立った。「山田さん、あの夢の世界…もう一度行けるといいね」

「うん」リノは微笑んだ。「きっと、また行けると思う」

窓の外を見ると、夕暮れの空に雲が浮かんでいた。その形が、どこかフワリに似ているような気がした。

「また会おうね」

リノは小さく呟いた。

その週末、リノは再び例の夢を見た。横になった世界。頭上の雲。でも今回は、以前とは少し違っていた。

世界はより鮮やかで、より実体があるように感じられた。フワリと光の少女が待っていて、二人はリノの到着を喜んで迎えてくれた。

「ただいま」リノは言った。

フワリは嬉しそうに揺れ、光の少女は微笑んだ。

「また来られるって、言ったでしょ?」月の声が響いた。

リノは頷いた。「うん。また来たかったんだ」

「今回は何をしたい?」

リノは少し考えた後、答えた。「みんなに会って、話がしたいな。あと、新しい場所も探検してみたい」

「いいだろう」月は優しく光った。「この世界は常に変化している。新しい発見があるはずだよ」

リノはフワリと光の少女と共に、新しい冒険へと出発した。

朝、目覚めたとき、リノは夢の続きを鮮明に覚えていた。スケッチブックを取り出し、新たに見た風景や出会った存在たちを描き始める。

「次の絵のテーマは決まったな」

リノは笑顔で呟いた。

第13章:文化祭の日

文化祭の朝、学校は早くから活気に満ちていた。教室やグラウンドの装飾、出店の準備、パフォーマンスのリハーサル。興奮と緊張が入り混じる空気。

リノたちの展示は、中央校舎の大きな壁面を使うことになった。設置作業は前日に終わっていたが、最後の調整のために早めに集まっていた。

「緊張する…」リノは小声で言った。

「大丈夫」佐藤さんが肩を叩いた。「私たちの作品、絶対に素晴らしいよ」

文化祭が始まると、多くの来場者が校内を巡り始めた。保護者、地域の人々、他校の生徒たち。リノたちの展示の前にも、次第に人が集まってきた。

「これ、すごいね」 「どんな意味があるの?」 「幻想的な世界だね」

来場者たちの感想を聞きながら、リノは少しずつ緊張がほぐれていくのを感じた。

「山田さん、説明してあげたら?」佐藤さんが提案した。

「え?私が?」

「うん。これはあなたの夢から始まったんだから」

リノは深呼吸して、集まった人々に向き合った。

「これは…私が見た夢の世界です。世界が横になって、雲が頭のすぐ上にある不思議な場所。そこで、自分自身と向き合う旅をしました」

最初は小さな声だったが、話すうちに自信がついてきた。夢の内容、象徴の意味、感じたこと。言葉は自然と流れ出た。

「この雲のキャラクターはフワリと言って、私のガイド役です。そして、この光の少女は、私の中にある、表現したい気持ちの象徴かもしれません」

聞いている人々の目が、興味深そうに輝いていた。

「水が上に流れているのは、常識や固定観念を超えるというメッセージで、浮かぶ石は秘められた言葉や感情の象徴です」

説明を終えると、小さな拍手が起こった。

「素晴らしい解説ね」 「深い意味があるのね」 「あなたの夢、私にも伝わってきたわ」

リノは照れながらも、嬉しさを感じていた。自分の内面を表現し、それが誰かに届く喜び。

昼過ぎ、両親が展示を見に来た。

「リノ、これが噂の絵?」父が驚いた様子で言った。

「うん、みんなと一緒に作ったんだ」

「素晴らしいわ」母は感動した表情で言った。「こんな素敵な作品を作れるなんて」

「ありがとう」

両親の前で自信を持って立つリノ。数ヶ月前の自分からは想像できない姿。

「リノ」父が静かに言った。「本当に成長したね」

その言葉に、リノは胸が熱くなるのを感じた。

文化祭は大盛況のうちに終わり、片付けが始まった。リノたちの展示は、先生の言葉通り、学校に残されることになった。

「山田さん」片付けの最中、文化祭委員長が話しかけてきた。「君たちの展示、評判良かったよ。学校新聞で特集したいんだけど、インタビュー受けてくれない?」

以前なら、すぐに断っていただろう。人前に出るのが怖かった。でも今は…

「うん、やってみる」

佐藤さんが驚いた顔をした。「本当に?」

リノは微笑んだ。「うん。私の番だよ」

その日の夕方、疲れきったリノは家に帰ると、すぐにベッドに横になった。充実感と疲労が入り混じる心地よさ。

窓の外を見ると、夕日に染まる雲が見える。その形が、人の顔のように見えた。

「今日は楽しかったよ、フワリ」

リノは小さく呟き、目を閉じた。すぐに、穏やかな眠りに落ちていった。

夢の中で、リノは再びあの世界にいた。フワリと光の少女が待っていて、二人は嬉しそうにリノを迎えた。

「今日は文化祭だったんだ」リノは二人に話した。「みんなの前で、この世界のことを話したよ」

フワリは嬉しそうに揺れ、光の少女は微笑んだ。

「恥ずかしかったけど、でも楽しかった。みんな、興味を持ってくれたんだ」

月の声が優しく響いた。「君は変わったね、リノ」

「うん。少しずつだけど」

「恐れを越えて、一歩踏み出す勇気を持った。それが大きな変化だよ」

リノは頷いた。「まだまだ怖いことはあるけど、でも前よりは…」

「一歩ずつでいいんだ」月は言った。「そして、この世界はいつでも君を待っている」

「ありがとう」

リノは微笑み、新しい冒険へと歩み出した。

第14章:つながりの広がり

文化祭から一週間が過ぎた。リノの日常は、少しずつ変わっていった。

「山田さん、今日も一緒に昼食べる?」 「リノちゃん、放課後カラオケ行かない?」 「山田、この問題教えてくれない?」

クラスメートからの声かけが増えた。以前は壁を作っていたリノだが、今はその声に応えるようになっていた。

「学校新聞、出たよ!」

ある日、佐藤さんが教室に駆け込んできた。手には学校新聞が握られている。

「どれどれ」

見開きページに、文化祭の特集が組まれていた。中央には、リノたちのイラストが大きく載っている。そして、リノと佐藤さんのインタビュー記事。

「わっ、恥ずかしい…」

友人たちが集まってきた。

「すごいね、リノ!」 「有名人だ」 「インタビュー、落ち着いてたよ」

照れながらも、リノは嬉しさを感じていた。

「佐藤さん、ありがとう。一緒に頑張ってくれて」

「私こそ、素敵な体験をさせてもらったよ」佐藤さんは笑顔で答えた。「ねえ、放課後、新しいカフェ行ってみない?」

「うん、行こう」

放課後、二人は学校近くの新しくオープンしたカフェに向かった。窓際の席に座り、お互いの今後の夢や目標について話し合う。

「私、実は美術部に入ろうかと思ってるんだ」リノは少し照れながら言った。

「それ、いいね!」佐藤さんは目を輝かせた。「私も考えてた。一緒に入ろうよ」

「うん!」

話しているうちに、同じクラスの女の子たちが入ってきた。

「あ、山田さんと佐藤さんだ」 「一緒に座ってもいい?」

数か月前なら、リノは緊張して言葉少なになっていただろう。でも今は…

「もちろん!こっちおいで」

テーブルを囲む賑やかな会話。笑い声と雑談。リノは新しい自分を実感していた。

「リノって、最近明るくなったよね」一人の女の子が言った。

「そう?」

「うん。前は話しかけづらかったんだ。でも今は、すごく話しやすい」

「ごめんね、壁作ってたみたいで…」

「ううん、今が楽しいから良いんだよ」

帰り道、リノは夕焼けの空を見上げた。頭上には、オレンジ色に染まった雲。

「フワリ、見てる?私、少しずつ変わってるよ」

風が優しく髪を撫でた。まるで、フワリの返事のように。

家に帰ると、リビングで父と母が話していた。

「ただいま」

「おかえり、リノ」母が笑顔で迎えた。「学校はどうだった?」

「うん、楽しかった。友達とカフェに行ってきたんだ」

父は新聞から顔を上げた。「友達と?それはいいね」

「あと、美術部に入ろうと思う」

両親は顔を見合わせ、微笑んだ。

「それは素晴らしいわ」母が言った。「好きなことを見つけたのね」

「うん。描くのが楽しいって、最近気づいたんだ」

「応援するよ」父は優しく言った。「何か必要なものがあれば言ってくれ」

「ありがとう」

リノは二階の自分の部屋に上がった。机の上には、スケッチブックと画材が広がっている。最近始めた習慣。毎日少しずつ、夢の世界を描くこと。

窓の外を見ると、もう日が落ちかけていた。星が一つ二つ、空に輝き始めている。

「あの世界も、こんな夜があるのかな」

リノはスケッチブックを開き、夜空の下の夢の世界を想像して描き始めた。

第15章:もう一つの学校

週末の夜、リノは再び夢の世界を訪れた。今回は、これまでとは少し違う場所に来ていた。

「ここは…」

目の前には、学校のような建物が立っていた。でも、現実の学校とは違う。壁は半透明で、中が透けて見える。屋根には小さな雲が浮かんでいて、風に揺られている。

「リノ、来たね」

振り返ると、光の少女が立っていた。前よりも実体があるように見える。

「この場所は何?」

「もう一つの学校だよ。ここで、様々なことを学ぶんだ」

光の少女は手を差し伸べた。リノはその手を取り、一緒に校舎に入った。

中は広々としていて、壁がなく、空間がつながっている。天井からは光の粒が降り注ぎ、床には不思議な模様が描かれている。そこかしこに、様々な年齢の人々がいた。

「みんな、ここで学んでるの?」

「そう。それぞれが必要なことを」

すぐ近くでは、幼い子どもが色とりどりの泡を作っていた。泡には感情が宿っているようで、色によって表情が変わる。

「あれは感情を知るための学び」光の少女が説明した。

別の場所では、老人が大きな本を開いていた。ページからは光の文字が浮かび上がり、空中に物語を紡いでいく。

「あれは記憶との対話」

リノは興味深く見回した。「私は何を学ぶの?」

「それは、自分で見つけるものだよ」

光の少女は中央の広場へとリノを導いた。そこには大きな水晶が置かれており、その中に映像が映っていた。

「これは…」

水晶の中には、現実世界のリノの姿が映っていた。友達と話すリノ。授業で手を挙げるリノ。母と料理をするリノ。

「現実の私?」

「そう。これが今のあなた」

映像は変わり、過去のリノの姿が映し出された。一人で本を読むリノ。周りと距離を置くリノ。不安そうな表情のリノ。

「昔の私…」

「変わったね」光の少女は優しく言った。

「うん。でも、まだまだこれから」

「そうだね。成長に終わりはないよ」

水晶の中の映像が再び変わり、未来の可能性が映し出された。自信に満ちた表情でスピーチをするリノ。絵を描き、人々に見せているリノ。様々な人と交流するリノ。

「これは…私の未来?」

「可能性の一つだよ」

リノは水晶に手を当てた。冷たくはなく、むしろ温かい感触。

「この学校で、私は何を学べばいいの?」

光の少女は微笑んだ。「それを知るために、まず授業に参加してみよう」

光の少女はリノを連れて、校舎の別の場所へ向かった。そこには円形の教室があり、中央に一人の老師が立っていた。周りには、様々な年齢の人々が座っている。

「ここは感情の教室」光の少女が説明した。「自分の感情と向き合い、理解するための場所」

リノは恐る恐る中に入った。老師がリノに気づき、優しく微笑んだ。

「新しい生徒さんかな。どうぞ、座りなさい」

リノは輪の中に加わった。老師は光る球体を取り出し、それを空中に浮かべた。

「今日は、恐れについて学びましょう」

球体の中に、様々な場面が映し出される。失敗の恐れ。孤独の恐れ。変化の恐れ。拒絶の恐れ。

「恐れは自然な感情です。でも、恐れに支配されると、本来の自分を見失います」老師は静かに語りかけた。「大切なのは、恐れを認識し、それでも前に進む勇気を持つこと」

リノは自分の恐れを思い出していた。人と話す恐れ。自分を表現する恐れ。変わることへの恐れ。

「自分の恐れに名前をつけてごらんなさい」老師は言った。

生徒たちが順番に立ち上がり、自分の恐れを声に出していく。リノの番が来た。

「私の恐れは…拒絶される恐れです。自分を出すと、誰かに嫌われるんじゃないかって」

老師はうなずいた。「その恐れを認識できましたね。では次に、その恐れを持ちながらも、何ができるか考えてみましょう」

リノは深く考えた。「恐れていても、少しずつ自分を表現する。最初は小さな一歩から」

「素晴らしい」老師は微笑んだ。「恐れは消えないかもしれません。でも、恐れと共に歩む方法を学べば、恐れに支配されることはなくなります」

授業が終わると、リノは不思議と心が軽くなっていた。

「どうだった?」光の少女が尋ねた。

「すごく…腑に落ちる感じ。自分の中にあったものが、言葉になった気がする」

「それが学びだよ」

次に向かったのは、創造の教室だった。そこでは、思いを形にする方法を学ぶ。生徒たちは空中に手を動かし、光の粒子から様々なものを創り出していた。

「ここでは、想像力の力を学びます」教師が説明した。「心に思い描いたものを、現実に生み出す技術を」

リノも挑戦してみた。手を動かし、心の中のイメージを集中して思い描く。最初は形にならなかったが、何度か試すうちに、小さな光の花が浮かび上がった。

「できた!」

「素晴らしい」教師は称えた。「この力は現実世界でも使えます。心に思い描いたものを、芸術や言葉、行動に変換する力です」

授業が終わると、リノと光の少女は校舎の屋上に上がった。そこからは、夢の世界の風景が一望できた。横になった世界。頭上の雲。流れる水。浮かぶ石。全てが一つの風景として広がっている。

「この世界も、私の想像から生まれたの?」

「そうとも言えるね」光の少女は答えた。「でも、想像以上のものになっている。それが創造の力だよ」

遠くを見ると、月が大きく浮かんでいた。その光が、優しく二人を照らしている。

「リノ」月の声が響いてきた。「学びの時間はどうだった?」

「すごく良かった」リノは答えた。「自分の中にあったものが、はっきりと見えるようになった気がする」

「それが成長だよ」月は優しく光った。「知識ではなく、自分自身の理解が深まること」

リノは頷いた。「これからも学び続けたい」

「いつでも来なさい」月は言った。「この学校はいつでも開いている」

光の少女はリノの手を取った。「さあ、もう一つの教室に行ってみよう」

リノは頷き、光の少女と共に次の場所へと向かった。

第16章:現実と夢の架け橋

美術部の入部が認められ、リノは新しい活動を始めた。学校の美術室で過ごす時間が増え、絵を描く技術も少しずつ上達していく。

「リノちゃん、上手になったね」先輩が言った。

「ありがとうございます。まだまだですけど」

「独特の世界観があるよね。何かイメージの源があるの?」

リノは少し考えた後、答えた。「私、時々変わった夢を見るんです。それをイメージして描いています」

「へえ、それは面白いね。その夢、もっと聞かせてよ」

美術部の仲間たちと、夢や創造性について語り合う時間。リノにとって、新しく貴重な体験だった。

「リノの絵、見てると不思議と落ち着くんだよね」佐藤さんが言った。

「本当?」

「うん。何か懐かしい感じがするっていうか…」

美術室の窓から差し込む夕日の光。その中で、リノは新しいキャンバスに向かっていた。テーマは「架け橋」。現実と夢をつなぐ架け橋。

筆を動かしながら、リノは夢の中の学校で学んだことを思い出していた。想像を形にする力。恐れと共に歩む勇気。自分自身と向き合う誠実さ。

「リノ」

振り返ると、光の少女が窓辺に立っていた。夕日の光の中に溶け込むように、半透明の姿。

「あ…」

周りには他の部員もいるが、誰も光の少女に気づいていないようだった。リノだけが見えている存在。

光の少女は微笑み、リノの描いているキャンバスを指さした。そして、自分の胸に手を当て、次にリノの胸を指した。

「心でつながってるってこと?」リノは小声で尋ねた。

光の少女はうなずいた。そして、窓の外を指さす。空には、夕日に染まる雲が浮かんでいた。その形が、どこかフワリに似ている。

「みんな見てるんだね」

光の少女は再び微笑み、ゆっくりと夕日の光の中に溶けていった。

「リノ、誰と話してたの?」佐藤さんが尋ねた。

「え?あ、ちょっと独り言」

「そっか。それにしても、その絵素敵だね」

キャンバスには、二つの世界をつなぐ虹の橋が描かれていた。橋の上には、小さな人影。そして、橋の周りには雲が漂い、光の粒子が舞っている。

「ありがとう。大切な場所と、大切な人たちへの橋なんだ」

その日から、リノは時々、現実世界でも夢の世界の住人たちを垣間見るようになった。教室の窓際に立つ光の少女。校庭の上を漂うフワリ。夜空に輝く、優しい月の光。

最初は驚いたが、やがてリノはそれが特別なことではないと理解するようになった。二つの世界は、常につながっている。分かれているようで、実は一つ。

ある日の放課後、佐藤さんと二人で美術室に残っていた。

「ねえ、佐藤さん」リノは少し迷った後、続けた。「信じられないかもしれないけど…私、時々あの夢の世界の存在を、現実でも見ることがあるんだ」

佐藤さんは驚いた顔をしたが、すぐに優しく微笑んだ。

「実は…私も」

「え?」

「私の場合は、あの古い神社の神様。時々、通学路で見かけるんだ。他の人には見えないみたいだけど」

二人は顔を見合わせ、そして笑い出した。

「やっぱり、特別なんだね、私たち」佐藤さんが言った。

「うん。でも、みんな何かしらの特別を持ってるんじゃないかな」

「それ、深いね」

帰り道、二人は空を見上げた。夕暮れの空に、オレンジ色の雲が浮かんでいる。

「あれ、フワリに似てない?」佐藤さんが指さした。

「うん、そう見える」リノは笑顔で答えた。「たぶん、見守ってくれてるんだと思う」

家に帰ると、リノはスケッチブックを開き、今日見た景色を描き始めた。現実と夢が混ざり合う風景。学校の屋上に立つ光の少女。空に浮かぶフワリ。友人と笑うリノ自身。

描きながら、リノは思った。「これが私の現実。二つの世界をつなぐ架け橋に立つ私」

夜、ベッドに横になったリノは、窓から見える月を見つめていた。

「ありがとう、みんな。これからも一緒にいてね」

月の光が、優しくリノの顔を撫でた。まるで返事をするかのように。

第17章:小さな冒険、大きな一歩

時が流れ、季節は変わった。リノの高校生活も、少しずつ形を変えていく。

美術部の活動は活発になり、リノは校外の展示会に作品を出すようになった。「世界が横になって」シリーズは、見る人の心に不思議な感覚を呼び起こすと評判になった。

「山田さんの絵は、見ていると別の世界に連れていかれるような感覚になります」あるギャラリーのオーナーが言った。

「ありがとうございます」

「この感性を大切にしてください。将来が楽しみです」

そんな言葉に、リノは新しい可能性を感じ始めていた。

学校生活も変わった。以前は後ろの方の席で目立たないようにしていたリノだが、今ではクラスの中心的な存在になりつつあった。

「リノ、文化委員やってみない?」担任の先生が勧めてきた。

「えっと…私にできるでしょうか」

「もちろん。君は人の心を動かす才能がある。そういう感性が必要なんだよ」

迷った末、リノは挑戦してみることにした。文化委員としての仕事。学校行事の企画。生徒会との連携。初めてのことばかりで戸惑うこともあるが、佐藤さんをはじめとする友人たちが支えてくれる。

「リノ、今度の芸術鑑賞会、こんなのはどう?」佐藤さんがアイデアを出してくれる。

「それいいね!でも、予算的には…」

「じゃあ、こうしてみたら?」

意見を出し合い、協力して作り上げていく喜び。リノは新しい自分を発見していた。

家族との関係も深まった。以前は自分の部屋に閉じこもりがちだったが、今ではリビングで過ごす時間も増えた。

「リノ、この週末、家族でドライブに行かない?」父が提案した。

「うん、行きたい!」

「どこか希望はある?」

「海が見たいな。絵のモチーフにしたいから」

「いいね。それじゃ、海の見える場所にしよう」

家族との時間。何気ない会話。共有する経験。リノはそれらの大切さを、改めて感じていた。

夢の世界も変わっていた。訪れるたびに、新しい場所、新しい出会いがある。時には、夢の中で友人たちと再会することもあった。

「佐藤さん?どうしてここに?」

「わからないけど、呼ばれた気がして…」

夢の中での友人との冒険。現実では体験できないような不思議な場所への旅。リノは二つの世界を行き来しながら、少しずつ成長していった。

ある日、学校の廊下でリノは立ち止まった。窓の外に、見知らぬ少女が立っていた。短い髪と明るい笑顔の少女。どこかで見たような気がする。

「あれって…」

記憶の中を探ると、逆さまの記憶の中で見た少女の顔。幼い頃、砂場で一緒に遊んだ少女。リノが避け、やがて忘れてしまった少女。

「佐々木さん…」

名前が思い出された。佐々木明日香。小学校の同級生。引っ越してしまった友達。

リノは校舎を飛び出し、グラウンドに向かった。でも、そこに少女の姿はなかった。

「気のせいかな…」

その夜、リノは決意した。佐々木さんを探し出し、謝りたいと。小さい頃の自分の行動を思い出し、心から謝りたいと。

翌日、リノはインターネットを使って調べ始めた。佐々木明日香。名前で検索。SNSで探してみる。

「あった!」

見つかったSNSのプロフィール。確かに佐々木明日香だ。プロフィール写真は大人になった彼女だが、面影は残っている。住んでいる場所は隣町らしい。

「どうしよう…」

連絡すべきか迷った。でも、光の少女の顔が浮かんだ。「勇気を出して」と言っているように思えた。

「よし…」

リノはメッセージを送った。「佐々木さん、覚えてるか分からないけど、小学校の同級生の山田リノです。もし良ければ、お会いしたいです。お話ししたいことがあって…」

送信ボタンを押した後、緊張で胸がドキドキした。

「返事、来るかな…」

二日後、返信があった。「山田さん、もちろん覚えてるよ。会えるの楽しみにしてる。週末、どう?」

リノは飛び上がりそうになった。「行くよ!ありがとう!」

週末、リノは隣町のカフェで佐々木さんと待ち合わせた。緊張で手が震える。

「山田さん?」

振り返ると、そこに佐々木明日香が立っていた。小学生の時よりずっと大人になったが、笑顔は変わっていない。

「佐々木さん…」

「久しぶり。変わらないね」

「うん…座りましょうか」

二人はテーブルに向かい合って座った。最初は気まずい沈黙。

「あの…」リノは深呼吸して続けた。「小学校の時、ごめんなさい。私、あなたが話しかけてくれたのに、冷たくしてしまって…」

佐々木さんは驚いたような表情をした。「えっ、そんなこと覚えてたの?」

「最近思い出したんだ…私、あなたが引っ越す時も、ちゃんとさよならも言わなくて…」

佐々木さんは優しく微笑んだ。「気にしないで。子供の頃だもの」

「でも、私…」

「実は私も覚えてるよ。でも、山田さんには何か理由があったんだと思ってた。みんなと違って、一人でいることが多かったし」

「理由というか…怖かったんだと思う。人と関わるのが」

「そっか」佐々木さんはうなずいた。「でも、今こうして会いに来てくれて嬉しいよ」

「本当に?」

「うん。私、山田さんのこと、いつも気になってたから」

二人は徐々に打ち解け、互いの近況を語り合った。佐々木さんは看護学校に通っていて、将来は小児科の看護師になりたいとのこと。

「子供が好きなんだ」佐々木さんは笑顔で言った。「小さい頃から、人を助けるのが好きで」

「素敵な夢だね」

「山田さんは?」

「私は…今、絵を描くことに夢中かな。将来はアートの道に進みたいと思ってる」

「それも素敵!見せてもらえる?」

リノはスマホのギャラリーから、自分の作品の写真を見せた。「世界が横になって」シリーズ。夢の風景。二つの世界をつなぐ架け橋。

「すごい…」佐々木さんは感嘆の声を上げた。「なんだか、見ていると不思議な感覚になるね」

「ありがとう」

「これからも、見せてほしいな」

「うん!」

別れ際、二人は連絡先を交換した。

「また会おうね」佐々木さんが言った。

「うん、今度は私が隣町を案内してもらいたいな」

「もちろん!」

帰り道、リノは空を見上げた。青空に浮かぶ白い雲。その形が、人が手を振っているように見えた。

「ありがとう、フワリ」

小さく手を振り返すリノ。心は晴れやかだった。過去の小さな後悔を解消し、新しいつながりを取り戻した喜び。

その夜、リノは再び夢の世界を訪れた。学校の屋上で、光の少女とフワリが待っていた。

「会えたよ、佐々木さんに」リノは報告した。「謝れたし、仲直りできたよ」

光の少女は微笑み、フワリは嬉しそうに揺れた。

「これからも、勇気を出して進んでいく」リノは決意を語った。「小さな一歩でも、確実に前に」

月の光が優しく降り注ぐ中、リノは夢の世界の新しい冒険へと踏み出した。

第18章:目を開けたそのとき

一年が過ぎ、リノの高校二年生の夏が来た。多くのことが変わり、多くのことが始まった一年。

美術部の活動は充実し、リノは地域の若手アーティスト展に招待された。「世界が横になって」シリーズは、多くの人の心を動かすようになった。

「山田さんの作品には、現実と非現実の境界を溶かす力がある」と評された。

学校では文化委員長に選ばれ、様々な行事の企画に携わるようになった。以前は考えられなかったことだ。

友人関係も広がった。佐藤さんを中心とした親しい仲間。時々会う佐々木さん。美術を通じて知り合った他校の生徒たち。

家族との関係も深まり、リノは両親と様々なことを話すようになった。将来の夢。日々の出来事。心の内側の思い。

「リノは本当に変わったね」父がある日言った。

「そうかな?」

「うん。自分の殻を破って、どんどん世界に羽ばたいている」

「お父さんたちのおかげだよ」

「いや、全て自分の力だよ」父は優しく微笑んだ。「私たちは、ただ見守っていただけさ」

夢の世界との関わりも変わった。以前は「行く」ものだったが、今では「つながる」ものになった。現実と夢の境界が薄れ、両方が一つの連続した経験のように感じられるようになった。

フワリと光の少女は、いつでもリノのそばにいた。時には目に見える形で、時には感覚として。二つの世界をつなぐ架け橋のような存在。

ある夏の朝、リノは早く目が覚めた。窓から差し込む朝日が、部屋を明るく照らしている。

「今日は、絵を描こう」

リノは新しいキャンバスを用意した。テーマは「始まり」。新しい一日、新しい季節、新しい自分の始まり。

筆を動かしながら、リノは思い返していた。あの不思議な夢から始まった旅。自分自身との対話。恐れの克服。つながりの構築。

「全て、あの朝から始まったんだ」

あの日、目覚めて世界が横になっていることに気づいた朝。頭上すぐのところに雲があった朝。不思議なことに、とても落ち着いていた朝。

「フワリ」

窓の外を見ると、朝の空に小さな雲が浮かんでいた。その形が、どこか懐かしい。

「おはよう」

リノは微笑んで、筆を動かし続けた。キャンバスには、二つの世界が一つに溶け合う風景が広がっていく。現実と夢の境界がなくなり、全てが一つの大きな体験として存在する世界。

その中心に立つのは、リノ自身。両手を広げ、空に向かって飛び立とうとする姿。

「これが私の物語」

絵を描き終えたとき、リノは深い満足感に包まれた。窓から見える空は、いつもより青く、雲はいつもより白く感じられた。

「ありがとう、みんな」

リノは静かに呟いた。フワリへ。光の少女へ。月へ。そして、自分自身へ。

「これからも、一緒に歩いていこう」

キャンバスに向かい合って座り、リノは目を閉じた。深く呼吸する。心を静める。

目を開けたそのとき、世界は変わっていなかった。でも、リノの見方が変わっていた。全てがより鮮やかに、より意味深く感じられる。

「今日も、新しい一日の始まり」

窓から入る朝日を浴びながら、リノは新しい一日への第一歩を踏み出した。

おわり


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