誰もが何かに選ばれたいと願っている。でも、選ばれなかった者たちはどこへ行くのだろう。
晩秋の風が団地の隙間を吹き抜けていく午後、私は落ち葉を見つめながらそんなことを考えていた。
落選者――その言葉が、胸の奥で静かに響いていた。
第1章 選ばれなかった風景
団地の五階のベランダから見下ろす景色は、いつも同じだった。
大谷修司は手すりに肘をついて、中庭に散らばった枯れ葉を眺めていた。十一月の終わり、木々の葉は茶色に変わり、冷たい風に舞い散っている。
三十八歳になった今、彼の日常は驚くほど単調だった。
朝七時に起き、コンビニでコーヒーを買い、郊外の配送センターへ向かう。倉庫の中で荷物を仕分けし、伝票にチェックを入れ、夕方まで黙々と働く。そして帰宅すると、このベランダで落ち葉を見つめる時間が待っている。
四年前まで、修司は美術教師だった。
県立高校で生徒たちに絵を教え、文化祭では作品展示の指導もしていた。それなりに充実していたはずだ。
でも、あの出来事が全てを変えた。
『先生の指導が悪いから、僕の絵は入選しなかったんです』
三年生の田中という生徒が、コンクールの結果発表の後で言った言葉だった。確かに修司の指導は完璧ではなかった。田中の絵には才能があったが、構図や色使いにもう少し工夫の余地があった。
でも修司は、その時何も言い返せなかった。
なぜなら、修司自身がずっと「選ばれなかった人間」だったから。
大学時代から描き続けた絵は一度も入選したことがなく、個展を開く機会もなく、ただ人に教えることでかろうじて絵に関わり続けていただけだった。
『僕だって、選ばれたことなんてないんだ』
そう言いかけて、飲み込んだ。
結局、田中は美術部を辞め、修司も翌年には教師を辞めた。
ベランダで夕暮れを見つめながら、修司は小さくため息をついた。明日は母の面会日だ。施設に入って二年になる母・瞳は、最近息子の顔も忘れがちになっている。
「お疲れさま」
修司は誰にともなく呟いて、部屋に戻った。
第2章 再会と沈黙
翌日の夕方、修司は市民センターに立ち寄った。
母の面会を終えた帰り道、以前ここで開催された展覧会のポスターが目に留まったからだ。もうとっくに終わった展示だったが、なぜか足が向いた。
「あの、大谷さんですよね?」
振り返ると、二十代後半と思われる女性が立っていた。肩まで伸ばした髪を一つに束ね、優しそうな目をしている。
「申し訳ないんですが……」
「長谷川です。長谷川美咲。お母様の書道教室に通っていました」
修司は驚いた。母・瞳が自宅で開いていた書道教室は、もう十年以上前に閉じている。
「ああ、思い出しました。よく母の隣で絵を描いていた子ですね」
美咲は微笑んだ。
「そうです。大谷先生の書く文字がとても美しくて、憧れていました。修司さんが隣で絵を描いているのも、よく覚えています」
二人は市民センターのロビーに並んで腰を下ろした。美咲は現在、ここで非常勤職員として働いているという。
「お母様はお元気ですか?」
修司は少し躊躇してから答えた。
「認知症が進んで、施設にいます。今日も面会に行ったんですが……もう僕のことがわからないみたいで」
美咲の表情が曇った。
「そうでしたか。お母様にはたくさんのことを教えていただいたので……」
しばらく沈黙が続いた。外では街灯が点き始めている。
「美咲さんは、今も書道を?」
「いえ、もうずっとやっていません」
美咲は首を振った。
「実は、昔は舞台女優になりたくて。書道も、舞台での所作を美しくするために習っていたんです。でも、オーディションに受からなくて……」
修司は美咲を見つめた。
「僕も、絵描きになりたかった。でもダメでした。教師になったのも、結局は絵に関わり続けたかっただけで……それも辞めてしまいました」
美咲は修司の横顔を見つめた。
「私たち、似ていますね」
「何が?」
「選ばれなかった者同士」
修司は苦笑した。確かにそうかもしれない。
「でも、それが悪いことだとは思わないんです」
美咲が続けた。
「選ばれることだけが、価値じゃないと思うからです」
修司は何も答えなかった。でも、その言葉が胸の奥で小さく響いた。
第3章 落選者たちの午後
それから、修司と美咲は時々一緒に過ごすようになった。
特に恋愛感情があるわけではない。ただ、互いの孤独を理解し合える相手として、自然に惹かれ合ったのだ。
十二月に入った日曜日、二人は市内の公園を歩いていた。
「ここでスケッチでもしませんか?」
美咲の提案で、修司は久しぶりにスケッチブックを開いた。落ち葉の絨毯が敷かれたベンチに座り、鉛筆を動かす。
手が覚えていた。線を引く感覚、影の付け方、構図の取り方。
「素敵ですね」
美咲が覗き込んだ。
「四年ぶりに描きました」
修司は手を止めて絵を見つめた。決して上手いとは言えないが、何かが少しずつ蘇ってくるような感覚があった。
「私も、これを持ってきたんです」
美咲が鞄から取り出したのは、古い台本だった。
「『桜の園』のチェーホフ。最後のオーディションで使った台本です」
修司は台本を受け取った。ページの端々に書き込みがあり、所々に涙の跡のようなシミもある。
「今でも読み返すことがあるんです。あの時の気持ちを忘れたくなくて」
「後悔してませんか?」
「後悔というより……諦めた自分を受け入れるのに時間がかかりました」
美咲は遠くを見つめた。
「でも今は思うんです。舞台に立てなくても、あの台本で学んだことは、今でも私の一部になっていると思うんです」
修司は台本を美咲に返した。
「僕の部屋にも、封印しているものがあります」
「何ですか?」
「昔描いた絵と、使いかけのキャンバス。見るのが辛くて、ずっと押し入れの奥にしまってあります」
美咲は修司を見つめた。
「いつか、見せてもらえませんか?」
修司は躊躇した。でも、美咲の真剣な表情を見て、小さく頷いた。
公園を出ると、街のあちこちに選挙ポスターが貼られているのが目に入った。
『早川俊一 あなたの声を市政に』
修司の高校時代の同級生だった。今や市議会議員として活動している。
「知り合いですか?」
「同級生です。俺と違って、選ばれた人間ですね」
修司の声に、わずかな苦みが混じった。
「選ばれることと、選ばれないことの違いって何でしょうね」
美咲が呟いた。
修司は答えなかった。でも、心の中で思った。もしかしたら、その違いはそれほど重要ではないのかもしれない、と。
第4章 母の字、僕の線
施設の面会室で、母・瞳は窓ガラスに指を当てていた。
何かを書くような動作を繰り返している。修司が近づくと、母は振り返った。
「あら、どちら様でしょうか」
いつものように、母は修司のことがわからないようだった。
「修司です。息子の」
「修司?」
母は首をかしげた。そして、また窓ガラスに指を向けた。
「おしゅうじ、まだやってるの?」
母が呟いた。
修司は母の指の動きを見つめた。確かに、文字を書くような動作だった。体が覚えている書道の所作を、無意識に繰り返しているのだ。
施設の廊下で、修司は美咲と合流した。美咲も母に会いたいと言って、一緒に来てくれたのだ。
「お母様の様子はいかがでしたか?」
「僕のことはわからないけど、書道のことは覚えているみたいです」
修司は母の指の動きのことを話した。
「素敵ですね。体が覚えているって、きっと大切なことだったんでしょうね」
美咲の言葉に、修司は子どもの頃のことを思い出した。
母の書道教室で、墨の匂いに包まれながら絵を描いていた日々。母の美しい文字を横目で見ながら、自分も何か美しいものを作りたいと思っていた頃。
「母の書をトレースして、それに絵を組み合わせた作品を作ったことがあるんです」
修司が突然言った。
「大学時代に、一度だけ。でも誰にも見せたことがありません」
「それも、押し入れの中ですか?」
「はい」
美咲は修司の手を軽く握った。
「今度、一緒に見ませんか?その作品も、スケッチブックも、全部」
修司は美咲を見つめた。彼女の目には、優しい光が宿っている。
「わかりました」
修司は小さく頷いた。
帰り道、修司は久しぶりに画材店に立ち寄った。新しい筆と絵の具を買うために。
第5章 この道を、歩く
二月の初めに、市民センターの空きスペースで小さな展示会が開かれた。
「修司&美咲 二人展 ―選ばれなかった者たちの軌跡―」
修司は久しぶりに筆を取り、母の書をトレースした文字に水彩画を組み合わせた新作を描いた。美咲は台本の一部を書道で清書し、それに添える形で舞台への想いを綴った文章を展示した。
来場者はそれほど多くない。でも、親子連れや年配の夫婦、そして修司がかつて教えた生徒も何人か足を止めてくれた。
「先生の絵、素敵ですね」
高校時代の教え子の一人が声をかけてくれた。修司が教師を辞めた後に卒業した生徒だった。
「ありがとう」
修司は素直に答えた。
展示会の最終日、施設から母・瞳がやってきた。車椅子に座った母を、職員の方が連れてきてくれたのだ。
母は修司の作品の前で立ち止まった。
いや、車椅子を止めた。
「これは……」
母がゆっくりと口を開いた。
「修ちゃんが描いたのね」
修司は胸が詰まった。母が自分のことを思い出してくれた。
「そうです、お母さん。あなたの書いた文字を使って描きました」
母は微笑んだ。認知症が進んでいても、芸術への感性は残っているのだ。
「きれい」
母が呟いた。
修司の目に涙が浮かんだ。
展示会の片付けを終えた夕方、修司と美咲は市民センターの外で缶コーヒーを手に座っていた。
「お疲れさまでした」
美咲が言った。
「こちらこそ。一人では、きっとできませんでした」
修司は空を見上げた。もうすぐ春がやってくる。
「次は何をしましょうか?」
美咲の問いに、修司は微笑んだ。
「わからないけど、何かを続けていきたいですね。選ばれるためじゃなく、自分たちのために」
美咲も頷いた。
「私も、また朗読をしてみたいんです。舞台ではなくても、声を使って何かを伝える方法があるかもしれません」
修司は美咲を見つめた。
「僕たちは落選者だ。でも、それは終わりじゃない」
「別の道の始まりですね」
美咲が続けた。
最終章 落選者の夜明け
三月の朝、修司は久しぶりに早起きをした。
ベランダに出ると、中庭の木々に新しい芽が出始めているのが見えた。落ち葉はもうほとんどなく、代わりに薄緑の若い葉が風に揺れている。
修司は小さなスケッチブックを開いて、その風景を描き始めた。
誰かに見せるためではない。誰かに選ばれるためでもない。ただ、この瞬間の美しさを残しておきたいと思ったから。
「おはようございます」
美咲の声が下から聞こえた。約束していた朝の散歩の時間だった。
修司は微笑んで手を振った。
「今行きます」
二人は並んで団地の道を歩いた。朝の光が二人の影を長く伸ばしている。
「今日は母の面会日です。一緒に来ませんか?」
「はい、喜んで」
修司は歩きながら思った。選ばれることと選ばれないこと。その境界線は、実はそれほど明確ではないのかもしれない。
大切なのは、自分が何を選ぶかだ。どんな道を歩くかだ。
美咲が小さく鼻歌を歌い始めた。聞いたことのない曲だったが、とても美しいメロディーだった。
「何の歌ですか?」
「即興です。今の気分を歌にしてみました」
修司は笑った。
俺たちは落選者。
でも、それは終わりじゃなく、別の道のはじまりだ。
朝日が二人の頬を照らしながら、新しい一日が始まった。選ばれなかった者たちの、静かで確かな歩みと共に。
そして修司は気づいた。
選ばれなかったからこそ見える風景があることを。
選ばれなかったからこそ出会える人がいることを。
選ばれなかったからこそ歩める道があることを。
春風が頬を撫でていく朝、修司と美咲は並んで歩き続けた。落選者として生きることの静かな誇りを胸に抱きながら。
おわり
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