AI短編小説｜今日は飲みに行く - AIがそばにいる生活。

金曜日の夜、野毛に飲み屋の暖簾が揺れていた。
そこには、理由なんて要らない時間がある。
誰かと話したい夜と、ひとりでいたい夜が、偶然に出会う場所で――。

第1章：今夜は帰らない
第2章：一人と二人
第3章：少しだけ深い話
第4章：今日は飲みに行く

第1章：今夜は帰らない

金曜日の午後六時十五分。

三浦悠介はオフィスビルのエレベーターを降りながら、シャツの袖をまくった。九月も下旬だというのに、まだ少し蒸し暑い。

同僚たちが「お疲れさまでした」と声をかけながら改札へ向かっていく中、三浦だけは足を止めてスマホを取り出した。

『お父さん、今日は塾遅いから先に夕食食べててね。』

娘からのメッセージが午後四時に届いていた。妻からは何も連絡がない。きっと今頃、テレビを見ながらひとりで夕食を済ませているだろう。

三浦は画面を見つめながら、小さくつぶやいた。

「今日は飲みに行くか」

そう言ってスマホをポケットに戻すと、いつもとは違う方向へ足を向けた。

横浜駅の雑踏を抜け、京浜東北線の改札に向かう。普段なら東海道線で一直線に帰宅するところだ。桜木町で降りるなんて、何ヶ月ぶりだろうか。

電車に揺られながら、三浦は窓の向こうを眺めた。オフィスビルの明かりが流れていく。四十二歳。営業職になって二十年近く。毎日同じ電車に乗り、同じ時間に帰宅し、同じテレビ番組を見る。

悪くない人生だ。でも、たまには。

たまには、理由もなく知らない場所で一杯やりたくなる。

桜木町駅を出ると、潮の香りが微かに混じった夜風が頬を撫でた。みなとみらいの高層ビル群とは対照的に、三浦は野毛の方向へ足を向けた。金曜日の夜、チェーンの居酒屋からは賑やかな声が漏れ、コンビニの前では若いサラリーマンたちがビールを片手に談笑していた。

三浦はそれらを横目に、野毛の飲み屋街へと向かった。

昭和の匂いが残る野毛の細い通り。提灯が下がった小さな店々が軒を連ねている。どの店も温かい光を放っているが、三浦にはどこか敷居が高く感じられた。

ここは百六十年前、小さな漁村だった場所だ。横浜開港とともに港湾労働者たちが仕事帰りに一杯やる街として生まれ変わり、戦後は「野毛に来ればなんでも揃う」と言われた闇市の中心地となった。今でも半径二百五十メートルに六百もの店が軒を連ねる、日本でも稀有な飲み屋街である。

そんな時、角の向こうから赤い暖簾が見えた。

『立ち飲み漁火』

シンプルな店構え。ガラス戸の向こうには、カウンターに座った数人の影がぼんやりと見える。BGMも聞こえず、大きな笑い声もない。静かな店のようだった。

三浦は一瞬立ち止まり、暖簾を見上げた。

「今日は…ここでいいか」

独り言をつぶやいて、そっと暖簾をくぐった。

第2章：一人と二人

ガラス戸を開けると、木の香りと醤油の匂いが混じった空気が三浦を包んだ。

店内はL字型のカウンターが七、八席。奥の小上がりはなく、本当にカウンターだけの造りだった。壁には手書きのメニューが貼られ、冷蔵ケースには刺身やおでんが並んでいる。

「いらっしゃい」

カウンターの向こうから、六十代後半と思われる店主が顔を上げた。白いタオルを首に巻き、紺色のエプロンを身につけている。無駄のない動きで焼き鳥を返しながら、三浦に軽く会釈した。

カウンターには先客がひとり。三浦よりも若く見える男性が、ホッピーのジョッキを片手に焼き鳥をつついていた。

三浦は一席空けて腰を下ろした。

「何にしましょうか」

「えーっと…ホッピーの白と、焼き鳥を少し」

「はいよ」

店主は手慣れた様子でホッピーの準備を始めた。氷の音、液体を注ぐ音。それだけで、三浦の肩の力が抜けていく。

「お疲れさまです」

隣の男性が、いきなり声をかけてきた。三浦は少し驚いて振り返る。

「あ、お疲れさまです」

「金曜日ですね。やっと終わりましたよ、今週も」

男性は人懐っこい笑顔を浮かべていた。少し酔いが回っているようで、頬がほんのり赤い。

「そうですね。長い一週間でした」

三浦も軽く微笑み返した。普段なら知らない人からの突然の話しかけは煩わしく感じるけれど、今夜は違った。なぜか自然に会話に応じている自分がいる。

「僕、小林っていいます。よろしくお願いします」

「三浦です。こちらこそ」

ホッピーが運ばれてきた。三浦は一口飲んで、ほっと息をついた。

「この店、初めてですか？」小林が尋ねた。

「ええ。関内で飲むのも久しぶりで」

「僕もです。今日たまたま通りかかって、なんとなく入っちゃいました」

焼き鳥が運ばれてくる。焼き鳥の塩加減は絶妙で、炭火の香りが鼻をくすぐった。

「お仕事は何を？」

「営業です。中堅のメーカーで。小林さんは？」

「僕も営業なんです。IT系なんですけど」

二人の会話は、仕事の話から始まって、休日の過ごし方、好きな食べ物へと移っていった。どこかちぐはぐなのに、心地よい会話だった。

世代も違えば、業界も違う。共通点なんてほとんどないのに、なぜか話が途切れない。

「最近、ひとりで飲む時間が好きなんですよ」

三浦がそう言うと、小林は少し驚いたような表情を見せた。

「へえ、そうなんですか。俺は逆ですね。誰かと話したくなるタイプです」

「ああ、なるほど」

「家族はいらっしゃるんですか？」

「妻と娘がひとり。高校生です」

「いいなあ。僕は…つい最近まで彼女がいたんですけど」

小林の声が少しトーンダウンした。

「あ、すみません。余計なことを」

「いえいえ。別れたって言っても、お互い納得した上でのことなんで」

小林は苦笑いを浮かべながら、ホッピーを飲み干した。

会話はそこで少し途切れた。でも、気まずい沈黙ではなかった。BGMもなく、聞こえるのは焼き鳥を焼く音と、遠くの通りを走る車の音だけ。

三浦は改めて店内を見回した。昭和の空気がそのまま残った、懐かしい空間。時間がゆっくりと流れている。

第3章：少しだけ深い話

二杯目のホッピーが運ばれてくる頃、小林が再び口を開いた。

「三浦さんは、なんで今日ひとりで飲みに来たんですか？」

三浦は少し考えてから答えた。

「特別な理由はないんです。ただ、たまには知らない場所で、知らない人と話してみたくなって」

「知らない人と、ですか」

「普段は会社と家の往復で。同じ人たちと、同じような話ばかりしてるんです」

小林は頷いた。

「わかります。僕も最近、そんな感じでした。彼女とも、結局同じような話の繰り返しで」

「それで別れることになったんですか？」

「まあ、それだけじゃないですけど。お互い、マンネリだったんでしょうね」

小林は焼き鳥の皮を一口食べてから続けた。

「仕事も、なんだか同じことの繰り返しで。毎日同じ資料作って、同じようなプレゼンして。これが俺の人生なのかなって」

三浦は胸の奥が少しざわついた。

「僕も最近、似たようなことを考えてました」

「そうなんですか？」

「四十代に入ってから、なんというか…仕事も家庭も、どこか他人事みたいに感じることがあるんです」

三浦は自分でも驚いた。こんなことを、家族にも会社の同僚にも話したことがない。

「距離を感じるってことですか？」

「そうですね。愛情がなくなったわけじゃないんです。でも、何かこう、自分だけが少し離れたところにいるような」

「うーん」

小林は考え込むような表情を見せた。

「俺はそこまで深く考えたことないかもしれません。でも、なんとなくわかる気がします」

その時、店主がぽつりと言った。

「うちの常連さんも、みんなそんな感じだったな」

二人は店主の方を振り返った。

「四十代、五十代の人たちが多いんですが」店主は焼き鳥を裏返しながら続けた。「最初はみんな、ひとりで来るんですよ。で、だんだん顔馴染みになって」

「そうなんですか」

「この街も昔から、そういう人たちを受け入れてきたからね。戦後は関内が接収されて、野毛が日本人の街になった。みんな居場所を探して、ここに流れ着いた」

店主の短い言葉に、野毛という街の懐の深さが込められているように感じられた。

「誰かと話せるだけで、少しマシになるもんです」

その後、店にもうひと組の客が入ってきた。年配の夫婦らしく、常連のようだった。店主が「いらっしゃい」と親しげに声をかけている。

三浦と小林の会話は自然と途切れ、二人はそれぞれ静かに酒を飲んだ。でも、気まずくはなかった。むしろ、心地よい静寂だった。

窓の外では、夜が更けていく。

第4章：今日は飲みに行く

時計を見ると、もう十時近くになっていた。

「そろそろ帰ります」

小林が席を立ち上がった。

「おいくらですか？」

店主に会計を聞きながら、小林は三浦の方を振り返った。

「三浦さん、今日はありがとうございました。なんか、いい時間でした」

「こちらこそ。僕も楽しかったです」

小林は千円札を数枚カウンターに置いて、コートを羽織った。

「また会ったら乾杯しましょう」

そう言って笑いかけると、店を出て行った。ガラス戸の向こうで、小林が手を振っているのが見えた。

三浦は一人になった。

年配の夫婦は小声で話し続けている。店主は黙々と片付けをしている。三浦はもう一杯だけホッピーを頼んだ。

外から潮風が流れ込んでくる。横浜の夜の匂い。どこか懐かしくて、でも初めてのような、不思議な匂いだった。

三浦はスマホを取り出した。妻からのメッセージが一件。

『お疲れさま。今日は遅いの？』

午後九時に送られていた。三浦は短く返信した。

『飲んでます。終電で帰ります』

すぐに既読がついたが、返信はなかった。きっと、いつものことだと思っているのだろう。

娘からのメッセージはまだ既読になっていない。塾で勉強中なのだろう。最近は会話も少なくなった。思春期だから仕方がないとは思うが、どこか寂しさも感じていた。

でも、今夜はそれでもいいと思った。

家族それぞれが、それぞれの時間を過ごしている。三浦にも、三浦だけの時間がある。それは悪いことじゃない。

「すみません、お会計お願いします」

三浦は店主に声をかけた。

「はい。三千二百円になります」

お金を払いながら、三浦は言った。

「いい店ですね」

「また来な」

店主は短く答えて、軽く会釈した。

三浦は外に出た。

空を見上げると、街の明かりに負けじとうっすらと星が見えた。九月の夜空。まだ少し暖かい風が頬を撫でていく。

スマホを見ると、娘からの返信が来ていた。

『塾終わりました。お父さんも気をつけて帰ってね』

三浦は思わず口元を緩めた。

娘なりに気を遣ってくれているのだろう。

それもまた、いい。

三浦は桜木町駅に向かって歩き始めた。

金曜日の夜の街は、まだ賑やかだった。若い人たちが楽しそうに歩いている。三浦もかつては、あんな風に仲間と騒いでいた時期があった。

でも今は、ひとりで知らない店に入り、偶然出会った人と話す。そんな時間の方が心地よい。

駅に近づくにつれ、人が多くなってきた。終電に向かう人々の流れに混じりながら、三浦は今夜のことを思い返していた。

小林という青年との出会い。短い会話。店主の何気ない一言。

特別なことは何も起こらなかった。でも、なぜか心が軽くなっている。

改札を通りながら、三浦は心の中でつぶやいた。

理由なんてなくていい。今日は飲みに行く。そんな夜も、あっていい。

明日は土曜日。家族と過ごす、いつもの週末が始まる。娘は部活があるし、妻は友人と買い物に出かけるかもしれない。三浦は溜まった本を読んだり、録画していたドラマを見たりするだろう。

でも、きっとまた来週の金曜日が来たら、三浦はふと思うかもしれない。

今日は飲みに行こうか、と。

そして、また知らない店の暖簾をくぐるかもしれない。誰かと話すかもしれないし、ひとりで静かに飲むかもしれない。

どちらでもいい。

大切なのは、自分だけの時間を持つということ。日常から少し離れて、違う空気を吸うということ。

電車が来た。三浦は乗り込んで、窓の外を眺めた。

横浜の夜景が流れていく。明かりの向こうに、海がある。星がある。そして、きっと今夜も誰かが、知らない店で一杯やっているのだろう。

三浦は静かに微笑んだ。

家に帰ったら、妻はもう寝ているかもしれない。娘も部屋で勉強しているか、もう休んでいるかもしれない。

それがいい。

今夜の三浦は、家族の三浦とは少し違う三浦だった。夫でも父親でもない、ただの三浦悠介という一人の男だった。

そんな時間も、時には必要なのだ。

電車は夜の街を走り続けた。車窓の向こうでは、数え切れないほどの人々が、それぞれの金曜日の夜を過ごしている。

三浦もその中のひとりだった。

特別な存在ではないけれど、でも、確かにここにいる。

そのことが、なぜかとても愛おしく思えた。

今日は飲みに行く。

そんな当たり前の言葉に、こんなにも深い意味があったのか。

三浦は窓に映る自分の顔を見つめながら、また来週の金曜日が楽しみになっている自分に気づいた。

そして、そんな自分が少しだけ誇らしかった。

明日からまた、いつもの日常が始まる。

でも、心の片隅に今夜の記憶を携えて。

おわり

最後まで読んで頂いて有難うございました。
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