金曜の夜、新宿の雑踏に紛れてしまった小さな愛情と、10円玉ひとつで繋がろうとした心。
人波に消えた恋人を探しながら、私は初めて一人の夜を知った。
つながることの不完全さと、それでも歩き続ける軽やかさについての物語。
第一章 混雑と手放し
十月の終わり、金曜日の午後七時を過ぎた新宿は、いつものように人と光で溢れていた。
「やっぱり串焼きは美味しいよね」
私、日向さくらは、歩きながら田島律の腕に軽く触れた。焼き鳥屋から出てきたばかりで、ほんのり酒の香りが服に染み付いている。秋の空気は少し湿っていて、ネオンの光が路面に揺れていた。
「次どうする? カラオケ? それとも――」
律が振り返ろうとした時、私は慌てて彼のカバンを引き寄せた。
「あ、そうそう。スマホ預かって」
「え?」
「バッテリー残り少ないから、モバイルバッテリーと一緒に入れておいて。重いし」
律は少し困ったような顔をしたけれど、結局私のスマホを受け取って、自分のリュックの中に入れてくれた。スマホを渡す律の手は、お酒でほんのり温かくて、指先が少し震えているのがわかった。
「大丈夫? 酔った?」
「ちょっとね。でも歩けるよ」
私たちは再び歩き出した。平日なのに、どこもかしこも賑やかだった。律は私の半歩後ろを歩いていて、時々「あ、危ない」と言いながら、通り過ぎる人や自転車を避けようとする。
「どこ行く?」
「んー、適当に歩いて、良さそうな店見つけない?」
「そうだね」
手をつないで、私たちは雑踏の中を歩いた。排気ガスと焼き鳥のにおい、それに香水やコーヒーの香りが混ざって、いかにも東京の夜という感じがした。律の手のひらは案外大きくて、私の手を包み込むようにしてくれている。
「あ、あそこのお店、前から気になってたんだ」
律が指差した方向を見ようとして、私は少し身体をよじった。その瞬間だった。
誰かが私たちの間を通り抜けようとして、ぶつかって——
手が離れた。
「あ」
振り返ると、律の姿が見えない。
「律?」
私は声を出したけれど、周りの騒音にかき消されて、自分の声すら聞こえなかった。人、人、人。みんな同じような服を着て、同じような速度で歩いている。律の黒いパーカーも、リュックも、どこにもない。
「律……?」
もう一度呼んでみたけれど、返事はなかった。
まわりを見回すと、知らない顔ばかりが通り過ぎていく。私は立ち止まって、来た道を戻ってみた。焼き鳥屋の赤い提灯は見えるけれど、律はいない。今度は前に進んでみる。コンビニの前で待っているかもしれない。でも、やっぱりいない。
心臓がドキドキし始めた。
「まさか、こんなことって……」
私は人混みの中で、一人ぼっちになってしまった。
第二章 10円玉の距離
「どうしよう」
私は駅の方向に向かいながら、状況を整理しようとした。スマホは律のカバンの中。つまり、LINEも通話もできない。律のスマホの番号は覚えていない——いつもLINEで連絡していたから。
「やば……連絡手段、ゼロじゃん」
歩きながら、律がどこにいるか考えてみた。きっと私を探している。でも、新宿駅周辺は広すぎる。東口、南口、西口……どこで待てばいいのかもわからない。
人混みをかき分けながら、私は駅に向かった。とりあえず、わかりやすい場所に行こう。改札の前とか、大きな看板の下とか。
でも、新宿駅の改札は複数ある。JRだけでも、東西南北に出口がある。私鉄もある。律がどこにいるのか、見当もつかない。
「困った……」
ふと、駅の端っこで緑色の何かが目に入った。
「公衆電話?」
思わず声に出してしまった。本当にあるんだ、公衆電話。テレビでしか見たことがなかった。緑色のボックスが、昔からそこにあるみたいに、ぽつんと立っている。
「これ、使えるのかな」
近づいてみると、確かに電話だった。受話器があって、お金を入れるところがある。10円玉と100円玉が使えるらしい。私は財布を開けて、10円玉を探した。
「えーっと……」
人生初の公衆電話。使い方がよくわからない。まず10円玉を入れるのか、それとも受話器を取ってからなのか。
試しに受話器を取ってみる。「ツー」という音がした。それから10円玉を入れてみる。「ガシャン」という音がして、戻ってきたような気がした。
「あ、なんか音が変わった」
番号を押してみる。自分の携帯番号……じゃなくて、律の番号がわからない。考えてみたら、私は自分の番号くらいしか覚えていない。
とりあえず、自分の番号を押してみた。律が私のスマホを持っているなら、着信があるかもしれない。
プルルル、プルルル。
呼び出し音が聞こえる。出て、律。お願い。
プルルル、プルルル、プルルル。
「……」
誰も出ない。
プルルル、プルルル。
「あ、もしもし?」
私の声が聞こえた。留守番電話だった。
「お疲れさまです。日向です。ただいま電話に出ることができません……」
自分の声を公衆電話で聞くなんて、なんだかシュールだった。私は受話器を置いた。10円玉は返ってこなかった。
「10円、無駄になった」
でも、なぜか笑えてきた。公衆電話で自分にかけて、留守電を聞くなんて。これはきっと、律に話したら笑ってくれる話だ。
「まあ、しょうがないか」
私は公衆電話から離れて、再び人混みの中に戻った。でも、今度は少し気持ちが軽くなっていた。
第三章 ひとりで飲む、ちょっとだけ自由
三十分ほど駅の周りをぐるぐる回ったけれど、律は見つからなかった。
私は疲れて、ちょっとあきらめモードになっていた。探すのがバカらしくなってきて、「まあ、いいか」という気分になった。律だって大人だし、きっと大丈夫だろう。
ふらふらと歩いていると、小さな立ち飲み屋が目に入った。「酒処 やすらぎ」という看板が出ている。なんとなく、ひとりでも入りやすそうな雰囲気だった。
「こんばんは」
ドアを開けると、温かい空気と、少し甘いお酒の香りが迎えてくれた。カウンターだけの小さな店で、客は二、三人しかいない。
「いらっしゃい。ひとり?」
カウンターの向こうから、四十代後半くらいの女性が声をかけてきた。髪を後ろでまとめて、エプロンをつけている。店主らしい。
「はい。あの……」
私は少し恥ずかしくなって、苦笑いした。
「はぐれました」
「あら」
奈美という名札をつけていた女性は、特に驚いた様子もなく、「そういうこと、あるよね」と言った。
「とりあえず、座って。何飲む?」
「日本酒、お願いします」
「熱燗でいい?」
「はい」
奈美さんは手慣れた様子で、小さな徳利に日本酒を入れて、温めてくれた。私はカウンターに座って、店の中を見回した。薄暗い照明で、どこか懐かしい感じがする。昭和の匂いがした。
「はい、どうぞ」
温かい徳利とお猪口が目の前に置かれた。私はお猪口に日本酒を注いで、一口飲んだ。
「うーん、美味しい」
アルコールが身体に染み渡って、少し緊張がほぐれた。
「彼氏とはぐれたの?」
奈美さんが、グラスを拭きながら聞いてきた。
「はい。新宿駅の近くで」
「大変ね。連絡は?」
「スマホ、彼に預けちゃったんです。公衆電話からかけてみたんですけど、出なくて」
私は自分でも可笑しくなって、クスッと笑った。
「ちゃんと探してくれてると思ったんですけどね。案外、どこかに座ってLINE見てるかもしれません」
奈美さんは静かに頷いて、「そういうの、あるよね」とだけ言った。そして、私の徳利に熱燗を継ぎ足してくれた。
「男の人って、案外そういうところあるのよ。悪気はないんだけど」
「そうですよね」
私は少し泣きそうになった。でも、悲しいからじゃない。なぜか、ホッとしたからだった。
「でも、ひとりの時間も悪くないですよ」
気がつくと、そんなことを言っていた。
「ふだんは、いつも誰かといるでしょ?」
奈美さんが聞いた。
「そうですね。大学でも友達といるし、バイト先でも先輩たちといるし。家に帰っても、LINEとかInstagramとか。いつの間にか、誰かとつながってるのが当たり前になってて」
「忙しいのね」
私はお猪口を回しながら、考えた。いつから、ひとりでいることが不安になったんだろう。中学生の頃は、ひとりで本を読んだり、音楽を聞いたりするのが好きだった。でも、いつの間にか、誰かとつながっていないと落ち着かなくなっていた。
「でも今夜は、スマホもないし、誰からも連絡来ないし」
「自由ね」
「そうですね、自由です」
私は残りの日本酒を飲み干した。ほんの三十分だったけれど、心がほぐれた気がした。この小さな店で、奈美さんと話をして、ひとりの時間を過ごした。悪くない。
「ありがとうございました」
お金を払って、店を出た。外の空気が冷たく感じられた。
第四章 再会と、まあ、いいか
立ち飲み屋を出て、私は再び駅に向かった。でも、もう必死に探そうという気持ちはなかった。なるようになる、という感じだった。
駅のベンチに座って、缶コーヒーを買って飲んだ。少し冷えた指先を、温かい缶で温めながら、行き交う人々を眺めた。
スマホがないと、することがない。いつもなら、LINEをチェックしたり、Instagramを見たり、YouTubeを見たりしているのに。それがないと、意外と周りの音がよく聞こえる。
電車の音、車のクラクション、人々の話し声、店の音楽。新宿の夜は、こんなにたくさんの音で溢れているんだ。
「さくら?」
後ろから声がした。振り返ると、律が立っていた。いつものパーカーを着て、リュックを背負って、少し困ったような顔をしている。
「あ」
私は立ち上がった。
「どこいたの?」
「改札のとこで30分くらい待ってた。動くとすれ違うかもって思って」
律は少し申し訳なさそうに言った。
私は内心「は? 探せよ」と思ったけれど、それを言葉にするのは止めた。律らしいな、と思った。彼は、きっと真面目に改札で待っていたんだろう。それはそれで、律らしい優しさなのかもしれない。
「電話したけど出なかった」
「うそ、かかってきたの公衆電話? あれさ、どこ押せば出るかわかんなくて」
律は苦笑いした。
「……ほんとに?」
「うん」
呆れたけど、ちょっと笑った。
「バカじゃん」
「ごめん」
律は私のスマホを取り出して、渡してくれた。画面には、着信履歴がひとつ。私からの電話だった。
「公衆電話、初めて使った」
「そうなの?」
「うん。10円玉入れて、自分にかけて、留守番電話聞いた」
「それ、意味ないじゃん」
律が笑った。私も笑った。
「まあ、いい経験だった」
私たちは再び手をつないだ。律の手は、相変わらず温かくて大きかった。スマホは戻ってきたけれど、そこまで大切でもなかった気がした。
「どこ行く?」
「んー、もう遅いし、帰ろうか」
「そうだね」
私たちは駅に向かって歩き始めた。雑踏の中で、今度は手を離さないように、しっかりとつないだ。
「ねえ、律」
「なに?」
「今度はぐれたら、ちゃんと探してよ」
「わかった。でも、スマホは預からない」
「え、なんで?」
「だって、連絡取れないじゃん」
私は笑った。律も笑った。
改札を通りながら、私は今夜のことを振り返った。はぐれて、公衆電話を使って、ひとりで飲んで、また会えた。なんだか、普通の夜よりも特別な夜だった気がした。
電車の中で、律は私の肩に軽く頭を預けた。
「疲れた?」
「うん、ちょっと」
私は律の頭に軽く触れた。彼の髪は少し汗の匂いがして、でもそれが嫌じゃなかった。
「今度は、迷子にならないようにしようね」
「うん」
でも、心のどこかで思った。たまには迷子になるのも、悪くないかもしれない。
電車は夜の東京を走っていく。窓の外には、無数の光が流れている。私たちは、その中の小さなふたりだった。つながったり、離れたり、また出会ったり——恋愛って、案外そんなものなのかもしれない。
完璧じゃないけれど、それでいい。迷子になっても、また会える。10円玉ひとつでも、つながりたいって気持ちがあれば、案外なんとかなるのかもしれない。
私は律の手を握り直した。今度は、もう少し強く。
おわり
最後まで読んで頂いて有難うございました。
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