人は誰しも、言葉にできなかった「さよなら」を胸に抱えて生きている。 私の仕事は、その声なき声を拾い集めることだった。 それが、どれほど重く、そして美しいものなのかを知るまでは。
第1章 声を拾う仕事
十月の午後、陽だまりが斜めに差し込む八畳間で、私は黙々と段ボール箱に写真を詰めていた。
遺品整理士という仕事を始めて七年になる。三十五歳の今、私の名前は佐伯和也。故人が遺したものたちを整理し、必要なものは遺族の元へ、そうでないものは適切に処分する。それが私の日常だった。
この日の依頼主は、七十八歳で亡くなった田村さんという男性の息子さんだった。一人暮らしだった父親の家を片付けてほしいという、よくある依頼だ。
「父は几帳面な人でしたから、きっと整理しやすいと思います」
息子さんはそう言って鍵を渡し、仕事へ向かった。確かに田村さんの家は整然としていた。本棚の本は背表紙がきれいに揃い、食器棚の皿は大きさ順に並んでいる。几帳面という言葉がぴったりの住まいだった。
私は丁寧に一つ一つの品物を手に取り、価値のあるもの、思い出の品、処分するものに分けていく。故人の人生の断片に触れる瞬間は、いつも不思議な気持ちになる。この人はどんな思いでこの湯呑みを使っていたのだろう、この本を読みながら何を感じていたのだろう。
午後三時頃、仏壇の横にあった小さな木箱を開けた時だった。
「さよなら」
かすかな声が、耳の奥で響いた。
私は手を止めて辺りを見回した。誰もいない。当然だ。一人で作業をしているのだから。木箱の中には古い万年筆と、几帳面な字で書かれた短い手紙が入っていた。
『息子へ。お前には迷惑ばかりかけた。ありがとう。父より』
その時、また聞こえた。
「さよなら、息子よ。本当にありがとう」
今度ははっきりと聞こえた。老人の、穏やかで少し震えた声だった。私は慌てて振り返ったが、やはり誰もいない。午後の陽光が畳に長い影を作っているだけだった。
幻聴だろうか。最近、仕事が立て込んで疲れているのかもしれない。そう自分に言い聞かせて作業を続けた。
しかし、その後も声は聞こえ続けた。
遺影を片付けている時、「みんな、ありがとう」という女性の声。 古いレコードを手に取った時、「この歌、また聞けるかな」という男性の声。 読みかけの小説を見つけた時、「最後まで読みたかった」という老婦人の声。
すべて小さく、かすかで、まるで風が運んでくるような声だった。でも確かに聞こえるのだ。
帰り道、私は混乱していた。七年間この仕事を続けてきて、こんなことは初めてだった。医者に診てもらった方がいいのかもしれない。でも、あの声たちは決して不快なものではなかった。むしろ、温かく、切なく、心に残るものだった。
その夜、私は田村さんの息子さんに電話をかけた。
「お疲れ様でした。整理は順調に進んでいます。お父様の遺品の中に、短い手紙がありまして」
「手紙ですか?」
「『息子へ。お前には迷惑ばかりかけた。ありがとう。父より』と書かれています」
電話の向こうで、息子さんが深く息を吸う音が聞こえた。
「そんな手紙を...父が」
「きっと、お父様なりの感謝の気持ちだったのでしょう」
私がそう言うと、息子さんは小さく嗚咽を漏らした。
「ありがとうございます。父は不器用で、感謝の言葉なんて一度も言ってくれたことがなかったんです。でも、そんな気持ちでいてくれたなんて」
電話を切った後、私は窓の外を眺めた。秋の夜空に星がきらめいている。田村さんの「さよなら」は、確かに息子さんに届いたのだ。声として聞こえたのは私だけだったけれど。
次の日から、私は新しい仕事に取り掛かった。八十二歳で亡くなった佐藤さんという女性の家だった。ここでも同じことが起こるのだろうか。
そして、それは起こった。
佐藤さんの台所で古いエプロンを手に取った時、「おいしく作れたかしら」という優しい声が聞こえた。写真立てを片付けている時には、「みんな大きくなって」という嬉しそうな声。
私は確信した。これは幻聴ではない。何かが起こっているのだ。
故人たちは、まだここにいる。そして私に、最後の言葉を託そうとしているのだ。
第2章 声の正体
一週間後、私は小さなノートを買った。表紙には「記録」とだけ書いた。
聞こえてくる声を書き留めるためだった。最初は戸惑いもあったが、だんだんと声の質や内容が分かるようになってきた。
田村一男、七十八歳。息子への感謝。「迷惑をかけてすまなかった」 佐藤花子、八十二歳。料理への思い。「みんなに喜んでもらえただろうか」 山田太郎、六十九歳。妻への愛。「もっと優しくしてあげればよかった」
声の種類は様々だった。感謝、後悔、愛情、心配。でも共通していることがあった。すべて、誰かへ向けられたメッセージだということ。
そして、そのメッセージには必ず「さよなら」が含まれていた。時には直接的に、時には言葉の端々に込められて。
三週間目の仕事で、私は特に印象深い体験をした。依頼者は四十代の女性で、九十歳で亡くなった祖母の家を片付けてほしいという内容だった。
「おばあちゃんは最後の二年間、認知症が進んで、私のことも分からなくなっていました」
女性は悲しそうに言った。
「でも、きっと心の奥では覚えていてくれたと信じたいんです」
その祖母の家で、私は古いアルバムを整理していた。孫娘の成長を記録した写真がたくさん貼られている。入学式、運動会、結婚式。一枚一枚に、祖母の愛情が感じられた。
アルバムの最後のページを開いた時、声が聞こえた。
「みゆきちゃん、大きくなったのね。おばあちゃんは忘れてしまったけれど、心は覚えているのよ。ありがとう、みゆきちゃん。さよなら」
その声は、涙声だった。
私は震えながらノートに記録した。依頼者の名前は確かに「大石みゆき」さんだった。認知症になっても、心の奥底では孫への愛を忘れていなかったのだ。
その日の夕方、私は大石さんに電話をかけた。
「お疲れ様でした。お祖母様の遺品を整理させていただいていますが、本当に大切に保管されたアルバムがありまして」
「アルバムですか?」
「はい。みゆきさんの成長記録が丁寧に貼られています。お祖母様の愛情がひしひしと伝わってきます」
「そうですか...」
私は少し迷ったが、勇気を出して続けた。
「きっと、お祖母様は最後まで、みゆきさんのことを心の奥で大切に思っていらしたのでしょうね」
電話の向こうで、大石さんが小さく泣く声が聞こえた。
「ありがとうございます。そう言っていただけて、救われます」
電話を切った後、私は自分の過去を思い出していた。
十年前、母が亡くなった時のことだった。
母は病院で息を引き取った。最後の数日間、私は仕事に追われて見舞いにいけなかった。母が亡くなったという連絡を受けた時、私は東京出張の真っ最中だった。
慌てて実家に戻ったが、母はもう冷たくなっていた。私は「さよなら」を言えなかった。「ありがとう」も「ごめんなさい」も言えなかった。ただ呆然と、母の顔を見つめるだけだった。
それ以来、私は母の墓参りに行くたびに罪悪感に苛まれた。最後に会話したのはいつだったろう。最後に「愛している」と言ったのはいつだったろう。記憶が曖昧で、後悔ばかりが膨らんでいった。
もしかしたら、故人たちの声が聞こえるようになったのは、私自身が「さよなら」を言えずにいるからかもしれない。
そんなことを考えながら、私は今日も誰かの人生の断片を丁寧に片付けている。一つ一つの品物が語りかけてくる物語に耳を傾けながら。
そして、聞こえてくる「さよなら」を、大切にノートに記録し続けている。
第3章 さよならの積み重ね
ノートが一冊目を埋め尽くし、二冊目に入った頃から、声の重さが肩にのしかかるようになった。
すべての声が温かいものではなかった。
三十五歳で自殺した男性の部屋では、「ごめんなさい」という絞り出すような声が何度も聞こえた。四十二歳で事故死した女性の家では、「まだ死にたくない」という叫びにも似た声。八十歳で孤独死した男性からは、「誰にも看取られずに死ぬのは、こんなに寂しいものなのか」という諦めの声。
私は眠れなくなった。夜中に目が覚めると、昼間聞いた声たちが耳の奥でこだましている。後悔の声、恨みの声、絶望の声。それらが重なり合って、私の心を圧迫した。
「大丈夫ですか?」
同僚の田中が心配そうに声をかけてきた。
「最近、顔色が悪いですよ。少し休んだらどうですか」
私は田中に打ち明けてみようと思った。
「実は、最近変なことが起こっているんです」
「変なこと?」
「遺品整理をしていると、故人の声が聞こえるんです」
田中は困ったような顔をした。
「佐伯さん、それは...疲れているんじゃないですか。この仕事は精神的にきついですから」
「でも、本当に聞こえるんです。そして、その通りのことが実際に見つかったりするんです」
「佐伯さん」田中は真剣な顔になった。「一度、病院で診てもらった方がいいかもしれません」
私は黙り込んだ。やはり信じてもらえない。当然だろう。私自身、この現象を理解しているわけではないのだから。
その夜、私は久しぶりに酒を飲んだ。アパートの部屋で一人、焼酎を水で割って飲みながら、ノートを眺めた。二冊目のノートには、既に五十人以上の声が記録されている。
「みんな、何を求めているんだろう」
私は声に出してつぶやいた。
「なぜ私に聞こえるんだろう。私に何ができるというんだろう」
翌朝、私は激しい頭痛で目を覚ました。前夜の酒が残っている。這うようにして起き上がり、シャワーを浴びた。鏡に映る自分の顔は、確かに田中の言う通り、やつれていた。
その日の仕事は、九十五歳で老衰により亡くなった老婦人の家だった。息子さんはもう七十歳を超えており、一人では片付けが困難だということで依頼を受けた。
「母は最後まで、しっかりしていました」息子さんは言った。「でも、『疲れた』とよく言っていました。長い人生でしたから」
老婦人の家は、歴史を感じさせる古い日本家屋だった。年代物の家具、着物、食器。どれも大切に使われてきたことが分かる品々だった。
午後、仏間で位牌を整理していた時、私は久しぶりに穏やかな声を聞いた。
「ありがとう。長い間、お疲れ様でした」
それは老婦人の声ではなく、男性の声だった。きっと先に亡くなった夫の声だろう。
「待っていたよ。よく頑張ったね」
その声には、深い愛情と感謝が込められていた。
私は涙が出そうになった。こんな声もあるのだ。責めるのではなく、恨むのでもなく、ただ迎え入れる声。
夕方、仕事を終えて帰る時、息子さんが私に声をかけた。
「佐伯さん、ありがとうございました。母の大切にしていたものを、こんなに丁寧に扱っていただいて」
「いえ、お母様の人生の重みを感じながら、させていただきました」
「そうですね。長い人生でした。でも、最後は父に会えたと思います」
私は驚いた。
「お父様にですか?」
「ええ。母は亡くなる前日に、『お父さんが迎えに来てくれた』と言っていました。幻覚かもしれませんが、母には確かに見えていたようです」
その夜、私は久しぶりにぐっすりと眠れた。すべての声が重いわけではない。愛する人を迎える声、感謝を伝える声、安らかな声もあるのだ。
私の仕事は、そんな声をすべて受け止めることなのかもしれない。重い声も、軽い声も、すべてが誰かの人生の一部なのだから。
そして翌朝、私は新しい決意を胸に家を出た。
聞こえてくる声を、ただ記録するだけではなく、必要な人に届けよう。
第4章 声を届ける
私が最初に声を届けたのは、一ヶ月前に整理した青木さんという男性の遺族に対してだった。
青木さんは五十八歳で心筋梗塞により急死した。残された妻と高校生の娘は、突然の別れに動揺していた。
整理中、青木さんの机の引き出しから、娘への誕生日プレゼントが見つかった。まだ包装されたままの腕時計だった。その時聞こえた声を、私はノートに記録していた。
「みかに渡してほしい。誕生日おめでとうって伝えて」
私は勇気を出して、青木さんの妻に電話をかけた。
「突然お電話してすみません。ご主人の遺品の中に、娘さんへのプレゼントがあったようなのですが」
「プレゼント?」
「腕時計です。包装されたまま、机の引き出しに大切に保管されていました」
「あ...それは、みかの誕生日プレゼントです。主人が選んでくれていたんです」
私は一瞬迷ったが、続けた。
「きっと、ご主人は『みかに渡してほしい、誕生日おめでとう』とお伝えしたいのではないでしょうか」
電話の向こうで、奥さんが泣く声が聞こえた。
「ありがとうございます。みかに伝えます」
その週末、青木さんの娘みかちゃんから手紙が届いた。
『佐伯さんへ。お父さんからの時計、受け取りました。お父さんが選んでくれたなんて、とても嬉しいです。大切に使います。お父さんの「おめでとう」も聞けて良かったです。ありがとうございました』
私は震えながらその手紙を読んだ。声は確実に届いたのだ。
それから私は、聞こえた声を遺族に伝えることを続けた。もちろん、すべてをそのまま伝えるわけにはいかない。相手を傷つけるような内容や、受け入れ難い内容もある。でも、愛情や感謝、励ましの言葉は、必要な人に届けられるはずだった。
六十歳で亡くなった主婦の方からは、「息子の嫁に、いつもありがとうと伝えて」という声が聞こえた。お嫁さんは姑との関係に悩んでいたらしく、この言葉を伝えた時、涙を流して喜んでくれた。
七十五歳で亡くなった男性からは、「孫の受験、応援している」という声。孫の大学受験を心配していたおじいちゃんの気持ちを伝えると、お母さんは「おじいちゃんが見守ってくれているなら、きっと大丈夫」と言って笑顔を見せた。
すべてが上手くいくわけではなかった。中には「そんなはずがない」と否定する人もいた。「遺品整理業者が変なことを言う」と怒られたこともある。
でも、多くの場合、遺族は私の言葉を受け入れてくれた。それは、彼らもまた「さよなら」を言えずにいたからかもしれない。故人からの最後のメッセージを求めていたからかもしれない。
私の仕事は変わった。遺品を整理するだけではなく、声を聞き、記録し、必要な人に届ける。それは遺品整理士としての枠を超えた、新しい役割だった。
でも、それによって私自身も救われていった。故人たちの声を届けることで、私の心も軽くなっていく。誰かの役に立っているという実感が、私に生きる意味を与えてくれた。
ある日、私は気づいた。故人たちは私に頼んでいるのではない。私が、彼らの声を必要としているのだ。
母に「さよなら」を言えなかった私が、他の人の「さよなら」を代わりに伝えることで、自分自身の心を癒そうとしているのかもしれない。
それでもいいと思った。私の痛みが誰かの救いになるなら、私の後悔が誰かの希望になるなら、それでいい。
私は今日も、誰かの最後の言葉を丁寧に聞いている。
第5章 自分のさよなら
秋が深まり、私の仕事も四年目を迎えようとしていた。ノートは既に五冊になり、記録した声は二百を超えていた。
その日、私は特別な依頼を受けた。
「実は、私の母の遺品整理をお願いしたいのですが」
電話をかけてきたのは、佐伯という姓の女性だった。私と同じ姓だったので印象に残っていた。
「お母様はどちらでお亡くなりになったのでしょうか」
「十年前に、病院で。でも、その時私は...」
女性の声が震えた。
「その時私は、母に最後のお別れを言えなかったんです。今になって、母の部屋を片付ける決心がついて」
私は胸がドキドキした。十年前、病院で亡くなった母、最後のお別れを言えなかった娘。それは、私自身の体験と全く同じだった。
「分かりました。お受けします」
翌日、私はその家を訪れた。一軒家の二階が、亡くなったお母さんの部屋だった。依頼者の佐伯恵子さんは四十代前半の女性で、確かに私と似た雰囲気があった。
「母の部屋は、亡くなってからずっとそのままにしていました。入ることができなくて」
恵子さんは涙ぐんでいた。
「母は最後の一週間、意識がありませんでした。だから何も話せずに...私、母に謝りたいことがたくさんあったのに」
私は静かに頷いた。
「お気持ち、よく分かります。私も同じ経験をしていますから」
恵子さんの母の部屋は、時が止まったようだった。十年前のカレンダーがかかり、読みかけの本がベッドサイドに置かれている。薬の袋、メガネ、母の生活の痕跡がそのまま残されていた。
私は丁寧に整理を始めた。一つ一つの品物を手に取りながら、声が聞こえるのを待った。
しかし、その日は何も聞こえなかった。
「おかしいな」
私は心の中でつぶやいた。これまで、故人の声が聞こえなかったことはなかった。なぜ今回は...
夕方、一日の作業を終えて家に帰った私は、考え込んだ。なぜ恵子さんの母の声だけ聞こえないのだろう。
そして、ふと気づいた。
もしかしたら、恵子さんの母は、私の母と同じ気持ちでいるのかもしれない。娘に心配をかけたくなくて、何も言わずにいるのかもしれない。
翌日、私は恵子さんに提案した。
「もしよろしければ、一緒に整理をしませんか。お母様の思い出を話しながら」
恵子さんは戸惑った。
「でも、私、母の部屋に入るのが怖くて...」
「大丈夫です。私も一緒にいますから」
二人で母の部屋に入った時、私は初めて声を聞いた。
「恵子、よく来てくれたのね」
優しい、温かい声だった。私ではなく、恵子さんに向けられた声だった。
「お母様が呼んでいるように感じます」
私が言うと、恵子さんは驚いた顔をした。
「本当ですか?」
「ええ。『恵子、よく来てくれたのね』と言っているような気がします」
恵子さんは泣き出した。
「お母さん...ごめんなさい。最後にお別れも言えなくて」
その時、また声が聞こえた。
「いいのよ、恵子。あなたが幸せでいてくれれば、それで十分」
私は恵子さんに伝えた。
「『いいのよ、恵子。あなたが幸せでいてくれれば、それで十分』とおっしゃっています」
恵子さんは号泣した。十年間抱えていた罪悪感が、一気に溢れ出すように。
「お母さん、ありがとう。私、頑張って生きていきます」
その時、私にも声が聞こえた。でも、それは恵子さんの母の声ではなかった。
「和也」
私の母の声だった。
「お母さん?」
私は声に出してつぶやいた。
「和也、ありがとう。あなたはよくやっているわ」
涙が溢れてきた。十年間、ずっと聞きたかった言葉だった。
「お母さん、ごめん。最後にお別れを言えなくて」
「いいのよ。あなたの気持ちは分かっていたから」
「ありがとう、お母さん。愛してる」
「私もよ、和也。さようなら」
穏やかな、安らかな声だった。
私は恵子さんと一緒に泣いた。二人とも、十年ぶりに母と話すことができたのだ。
その日の夕方、整理を終えた私たちは、仏壇の前で手を合わせた。
「佐伯さん、ありがとうございました」恵子さんが言った。「お母さんと話せて、本当に良かった」
「私もです」私は答えた。「私も、母と最後のお別れができました」
「きっと、お母さん同士が引き合わせてくれたんですね」
恵子さんの言葉に、私は深く頷いた。
その夜、私は久しぶりに母の墓参りに行った。墓石に向かって、私は語りかけた。
「お母さん、今日やっと『さよなら』が言えました。遅くなってごめんなさい」
風が吹いて、木々が揺れた。母が微笑んでいるような気がした。
「私、これからも続けます。誰かの『さよなら』を集める仕事を。きっと、それが私の使命なんですね」
空には星が輝いていた。母もその星の一つになって、私を見守ってくれているのだろう。
私は遺品整理士として、これからも多くの人の最後の部屋を片付けるだろう。そして、聞こえてくる声を大切に記録し、必要な人に届け続けるだろう。
それは、私にとって単なる仕事ではない。人と人をつなぐ、大切な役割なのだ。
故人たちは、今もどこかで、愛する人に「さよなら」を伝えようとしている。その声を聞き、届けることが、私の生きる意味なのだ。
家に帰り、私は新しいノートを取り出した。表紙に、いつものように「記録」と書こうとして、手を止めた。
そして、代わりにこう書いた。
「つながり」
明日もまた、誰かの「さよなら」を集めに行こう。それが愛で結ばれた、大切な言葉だから。
おわり
最後まで読んで頂いて有難うございました。
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