人は皆、いつか自分の蒔いた種を刈り取る時が来る。
それがどんなに小さな悪意であっても、どんなに軽い気持ちで放った言葉であっても。
圭介は二十八歳になって、ようやくそのことを理解し始めていた。
第一章:唾を吐いた朝
空に唾を吐いた。顔に落ちてきた。きたねぇ。当たり前だ。
圭介は袖で頬を拭いながら、薄暗いコンビニエンスストアの裏口に立っていた。朝の七時、まだ街は眠りの淵にある。シフトが始まるまでの十分間を、彼はいつものように煙草と自嘲で潰していた。
「おはようございます」
背後から聞こえた声に振り返ると、店長の田中が申し訳なさそうな顔をしていた。五十過ぎの小男で、いつも圭介の顔色を窺っている。
「ああ」
圭介は煙草を足元に落とし、踏み潰した。田中の存在が煙草の味まで苦くする。
「今日もよろしくお願いします」
「別に」
圭介は田中を押しのけるように店内に入った。蛍光灯の白い光が、彼の疲れた顔を容赦なく照らし出す。
二十八歳、無職から這い上がってコンビニでアルバイト。故郷に戻ってきて三か月が過ぎた。東京で築いたものは何もかも失い、地元で再起を図ろうとしたものの、現実は想像以上に厳しかった。
レジに立ちながら、圭介は窓の外を眺めた。小学校の頃から見慣れた風景が、今では檻の向こう側のように感じられる。客足はまばらで、来るのは近所の年寄りばかり。彼らは圭介を見て、時々首を傾げる。「藤井の息子だよね?」という視線が痛い。
昼休憩の時間、圭介は再び裏口に出て空を見上げた。
「俺の人生、ずっと自分の唾を浴び続けてるようなもんだ」
呟きながら、また空に向けて唾を吐いた。今度は風に流されて、どこかへ消えていった。
まるで、失くしたものすべてのように。
第二章:過去のツケ
中学三年生の春、圭介は学級委員長だった。
教師にも生徒にも人気があり、将来を期待されていた。そんな彼の隣には、いつも西岡純がいた。背が低く、眼鏡をかけた大人しい少年。圭介とは正反対の存在だったが、なぜか二人は親友だった。
「おい、純。今度の文化祭、お前のクラスは何やるんだ?」
「演劇だよ。僕は脚本を書くことになった」
「へえ、純らしいな。でも、観客の前に出るのは無理だろ?声小さいし」
圭介の言葉に、クラスメイトたちが笑った。純は苦笑いを浮かべて頷いた。
「そうだね。僕は裏方の方が向いてる」
当時の圭介にとって、それは軽いからかいのつもりだった。純も笑っているし、みんなも楽しそうだ。何の問題もないと思っていた。
しかし今になって思い返すと、純の笑顔には何か無理があったような気がする。圭介は彼の優位を保つために、無意識のうちに親友を踏み台にしていたのかもしれない。
高校卒業後、純は東京の大学に進学した。圭介は地元の私立大学に残り、やがて二人の連絡は途絶えた。風の噂で、純がIT企業に就職したと聞いたのは数年前のことだった。
そして先週、圭介は偶然にも純と再会した。
図書館の児童書コーナーで、小さな女の子に絵本を読み聞かせている男性の後ろ姿を見て、圭介は直感した。
「よ、久しぶり」
振り返った純の顔には、一瞬驚きの表情が浮かんだ。しかしすぐに、それは冷ややかな視線に変わった。
「藤井君」
敬語だった。中学時代、純は圭介を「圭ちゃん」と呼んでいた。
「元気だった?東京はどうだ?」
「まあまあです」
純は女の子の手を引いて立ち上がった。娘だろうか。三歳ぐらいの可愛らしい子だった。
「結婚したんだ。いいなあ」
「そうですね。では、失礼します」
純は会釈すると、娘と一緒に図書館を出て行った。圭介は呆然と立ち尽くした。
あの冷たい態度。まるで他人を見るような目。圭介が吐いた無数の小さな悪意が、思った以上に深く純の心に突き刺さっていたのかもしれない。
そして今、その棘が圭介自身の胸に還ってきていた。
第三章:誰にも許されない
その夜、圭介は携帯電話を手に取った。連絡先には、かつての恋人である小野真理の番号が残っている。三年前に別れた時、彼女は泣いていた。
「圭介は人の気持ちを考えない。自分のことばかり」
そう言われた時、圭介は反論した。
「考えてるよ。でも、お前の求めるレベルが高すぎるんだ」
今思えば、最低な言い訳だった。
圭介は震える指で真理の番号にかけた。コール音が三回鳴った後、「こちらは現在使われておりません」というアナウンスが流れた。
番号を変えたのだ。当然だろう。
圭介は携帯を放り投げ、頭を抱えた。純も、真理も、そして他の多くの人々も、圭介の周りから静かに消えていった。残ったのは、彼一人だけだった。
翌日のコンビニで、圭介は高校生の女の子に八つ当たりした。
「おつりは大丈夫です」
「は?大丈夫って何が?三円のおつりぐらい、ちゃんともらえよ」
女の子は困惑した顔で三円を受け取り、足早に店を出て行った。田中店長が心配そうに圭介を見ていたが、彼は気にしなかった。
昼休み、また裏口で煙草を吸いながら、圭介は思った。
「謝ったところで、過去は変わらない。だったら俺は俺のままでいい」
しかし、その強がりが虚しく響くことを、彼自身が一番よく知っていた。空に吐いた唾のように、すべてが自分に還ってくるのだということを。
第四章:空にもう一度唾を吐く
雨の夜、圭介は傘を持たずにコンビニから家路についていた。濡れた髪から水滴が頬を伝い落ちる。まるで涙のようだった。
商店街の角で、小さな泣き声が聞こえた。見ると、五歳ぐらいの男の子が一人で立っている。ずぶ濡れで、震えながら泣いていた。
「おい、どうした?」
圭介は声をかけた。普段なら関わろうとしなかっただろうが、なぜかその時は足が止まった。
「おかあさんが、いない」
男の子は鼻水を啜りながら答えた。迷子らしい。
「そうか。じゃあ、交番に行こう」
圭介は自分の上着を脱いで、男の子にかけてやった。小さな手を握って歩き出すと、男の子が見上げて言った。
「おじちゃん、いい人なの?」
その純粋な瞳に、圭介は一瞬言葉を失った。
「悪い人だよ」
正直に答えると、男の子は意外にも笑った。
「悪い人なのに、助けてくれるの?」
「さあな。分からん」
交番で男の子を警官に引き渡した後、圭介は雨の中を歩いた。あの子の笑顔が頭から離れない。あんな風に、屈託なく笑えたのはいつが最後だっただろう。
家に着いて、圭介は鏡を見た。疲れ切った二十八歳の男の顔がそこにあった。
「こんな俺でも、何か残せるだろうか」
その時初めて、圭介は本当の意味で自分と向き合った。過去は変えられない。しかし、これから先の時間は、まだ白紙だった。真っ白な、希望の色をした紙だった。
第五章:拭うことはできなくても
翌朝、圭介は再び空を見上げて唾を吐いた。しかし風向きが変わっていて、唾は地面に落ちた。
「風が変わっただけか」
呟きながらも、圭介の胸に小さな希望が芽生えた。
その日の午後、彼は純に手紙を書いた。
『純へ 久しぶり。図書館では冷たくしてごめん。 でも、お前の気持ちはよく分かる。俺は中学の時、お前をバカにしてた。 みんなの前でお前を小さく見せることで、自分が大きく見えると思ってた。 最低な奴だった。 今更謝っても、お前の傷は消えないと思う。 でも、俺はお前にちゃんと謝りたかった。 返事はいらない。もし会いたくなければ、それでいい。 俺は勝手に悔い続けて生きる。 それが俺にできる、唯一の償いだから。 圭介』
手紙を投函した後、圭介はコンビニの田中店長に辞表を出した。
「え?急にどうして?」
「新しいことを始めたくなったんです」
田中は驚いたが、圭介の真剣な表情を見て頷いた。
「そうですか。寂しくなりますが、頑張ってください」
その後、圭介は福祉系の職業訓練校に申し込んだ。高齢者介護の仕事を学ぶコースだった。人のために働くという感覚を、彼は忘れてしまっていた。それを取り戻したかった。
夜、空を見上げながら圭介は思った。
「唾が戻ってこなかった理由を『風が変わっただけ』と言ったが、もしかすると、俺自身が変わり始めているのかもしれない」
風向きが変わったのではない。圭介の心が、ようやく新しい方向を向き始めたのだ。
第六章:雨上がりの空
三週間後、圭介の元に一通の手紙が届いた。差出人は西岡純だった。
『圭介へ 手紙を読みました。 正直に言うと、中学時代のことは今でも思い出すことがあります。 でも、もう恨んではいません。 あの頃の僕も、君に依存していた部分があったから。 謝らなくていい。でも、もう一度会って話そう。 今度は対等な立場で。 日曜日の午後二時、図書館で待っています。 純』
圭介は手紙を何度も読み返した。涙が止まらなかった。
日曜日、圭介は図書館に向かった。純は約束通りそこにいて、圭介を見ると微笑んだ。ぎこちないが、暖かい笑顔だった。
「よく来てくれた」
「こちらこそ」
二人は児童書コーナーの隅で、二時間近く話した。中学時代のこと、それぞれの人生のこと、そして未来のこと。
「君は変わったね」
純が言った。
「まだ変わってる途中だ」
圭介は答えた。
別れ際、純が言った。
「今度、家族と一緒に食事でもしよう。妻も君に会いたがっていた」
「え?俺のことを話したの?」
「中学時代の親友だったって。悪いことばかりじゃなかった。一緒に読んだ本とか、語り合った夢とか、いい思い出もたくさんあったから」
圭介は純と握手を交わし、図書館を後にした。
外に出ると、雨上がりの空が広がっていた。雲の隙間から、夕陽が差し込んでいる。
圭介は空を見上げて、深く息を吸った。
「いつかまた、唾を吐きたくなったときには、今度は誰かのために吐いてやる」
意味不明な呟きだったが、彼にとっては大切な誓いだった。
職業訓練校は来月から始まる。新しい人生の第一歩だった。圭介は歩き出した。夕陽を背に受けて、まっすぐ前を向いて。
空に唾を吐いた日々は終わった。これからは、誰かのために手を差し伸べる日々が始まる。
雨上がりの空は、どこまでも青く澄んでいた。
おわり
最後まで読んで頂いて有難うございました。
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