日本と世界の出来事を、地域で分けずに古い順に1本で並べています。年代の見出しから、その年代だけのページにも移れます。
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PC版では、地域ごとの縦の線で出来事の流れを図として追えます。同じ時期に世界の別の場所で何が起きていたかが、ひと目で比べられます。
先史紀元前3001年より前
ユリウス通日の起算日時。
長期暦(マヤ暦)の始まりの日。
マハーバーラタに描かれた戦い。
紀元前3000〜前1001年紀元前3000〜前1001年
日食。アフリカ大陸と南極大陸との間にて隕石が落下。
★主な出来事ハンムラビ法典が定められる
バビロン第1王朝のハンムラビ王が、メソポタミアを統一したのち法典を定めた。石碑に刻まれた282条の法は、古代の法の代表として知られる。
出典:コトバンク:ハムラビ法典(日本大百科全書(ニッポニカ))(事典)
トロイアが滅亡しトロイア戦争が終結。(エラトステネスの計算による)
オデュッセウスがトロイア戦争を終えて自国に帰還。
紀元前1000〜前501年紀元前1000〜前501年
ロームルスが双子の兄弟レムスとの争いに勝ち、都市国家ローマを建国。
プトレマイオスの主張によるナボナッサル紀元の紀元の日。
初代天皇・神武天皇が即位(『日本書紀』による。2月11日はグレゴリオ暦での日付)。日付は1873年に制定。
新バビロニア王国がエルサレムを征服、エホヤキンに代えてゼデキヤを王に。(バビロン捕囚)
日食の戦い。メディア王国がリュディアに攻め込むが、偶然起こった日食を不吉に感じて戦争をやめ、戦場となったハリス川を国境に定める。
ペルシャ国王キュロス2世が新バビロニア王国の首都バビロンを占領。
★主な出来事ローマで共和政が始まる
ローマ人が王を追放し、選ばれた執政官と元老院が国を動かす共和政を始めたと伝えられる。年代は伝承によるもので、のちの地中海帝国の土台となった。
出典:コトバンク:共和政ローマ(旺文社世界史事典 三訂版)(事典)
紀元前500〜前1年紀元前500〜前1年
★主な出来事マラトンの戦い
ギリシア本土に上陸したペルシア軍を、アテネ軍がマラトンの平野で破った。ペルシア戦争の流れを変え、アテネが力をつけるきっかけとなった。
★主な出来事サラミスの海戦
アテネを中心とするギリシア艦隊が、狭い海峡にペルシア艦隊を誘い込んで大勝した。ペルシアのギリシア征服はこれで行き詰まった。
アテネがスパルタに降伏し、ペロポネソス戦争が終結。
クナクサの戦い。
ローマ・ガリア戦争: アッリアの戦い(伝承による日付)。
ヘロストラトスがエフェソスのアルテミス神殿に放火。
マケドニア王フィリッポス2世がカイロネイアの戦いでアテネとテーバイの連合を破る。
★主な出来事アレクサンドロス大王が東方遠征を始める
マケドニアのアレクサンドロス大王が小アジアへ渡り、ペルシア帝国への遠征を始めた。のちにエジプトからインド北西部までを支配下に入れた。
アレクサンドロス3世のマケドニア王国軍がグラニコス川の戦いでペルシア軍を破る。
ガウガメラの戦い。アレクサンダー大王がペルシア帝国を破る。
★主な出来事インドでマウリヤ朝が成立
チャンドラグプタがナンダ朝を倒し、北インドにマウリヤ朝を開いた。のちのアショーカ王の時代にはインドの大部分を治める大国となった。
出典:コトバンク:マウリヤ朝(日本大百科全書(ニッポニカ))(事典)
★主な出来事第一次ポエニ戦争が始まる
シチリア島をめぐり、ローマと北アフリカのカルタゴが戦争を始めた。ローマは勝ってシチリアを初めての属州とし、地中海へ進出していった。
出典:コトバンク:ポエニ戦争(日本大百科全書(ニッポニカ))(事典)
★主な出来事秦が中国を統一
秦王の政が戦国時代の諸国を滅ぼして中国を統一し、始皇帝と名乗った。文字・度量衡・貨幣をそろえ、皇帝が治める国の形をつくった。
出典:コトバンク:秦(山川 世界史小辞典)(事典)
第二次ポエニ戦争: トレビアの戦い。
第4次シリア戦争: ラフィアの戦い。プトレマイオス4世がセレウコス朝のアンティオコス3世を打ち破る。
第二次ポエニ戦争: カンナエの戦い。ハンニバル率いるカルタゴ軍が、共和政ローマ軍を包囲殲滅する。
ザマの戦いで、大スキピオ率いるローマ軍が、ハンニバル率いるカルタゴ軍を破り、第二次ポエニ戦争が終結する。
1世紀1〜100年
★主な出来事ローマ軍がエルサレムを制圧
ユダヤ人の反乱を鎮めるため、ローマ軍がエルサレムを攻め落とし神殿を焼いた。ユダヤ教は神殿を失い、各地に広がった人々の信仰へ変わっていった。
2世紀101〜200年
3世紀201〜300年
★主な出来事後漢が滅び、三国時代が始まる
曹丕が後漢の献帝から位を譲られて魏を建て、後漢は滅んだ。続いて蜀と呉も皇帝を立て、中国は三国が並び立つ時代に入った。
出典:コトバンク:後漢(旺文社世界史事典 三訂版)(事典)
★主な出来事卑弥呼が魏に使いを送る
邪馬台国の女王卑弥呼が中国の魏に使いを送り、「親魏倭王」の称号と金印を授けられた。中国の歴史書に記された倭の姿を伝える出来事である。
出典:コトバンク:卑弥呼(改訂新版 世界大百科事典)(事典)
甘露の変:魏の皇帝曹髦(高貴郷公)が権臣司馬昭の暗殺を図って挙兵するも失敗し、司馬昭の腹心賈充に討たれる。新帝として奉戴された元帝もまた、司馬昭の子司馬炎(西晋の武帝)に簒奪されて魏は亡んだ。
4世紀301〜400年
★主な出来事ミラノ勅令でキリスト教が公認される
ローマ皇帝コンスタンティヌスとリキニウスが、キリスト教を含む信仰の自由を認めた。迫害の時代が終わり、キリスト教が広まる道が開けた。
出典:コトバンク:ミラノ勅令(山川 世界史小辞典)(事典)
★主な出来事インドでグプタ朝が成立
チャンドラグプタ1世が北インドにグプタ朝を開いた。この王朝のもとでヒンドゥー教やサンスクリット文学が栄え、インドの古典文化が形づくられた。
出典:コトバンク:グプタ朝(デジタル大辞泉)(事典)
5世紀401〜500年
6世紀501〜600年
★主な出来事百済から仏教が伝わる(仏教公伝)
百済の聖明王が、仏像や経典を日本の朝廷に贈った。年は538年説が有力で、『日本書紀』は552年とする。のちに仏教は国の支えとされた。
出典:コトバンク:仏教公伝(旺文社日本史事典 三訂版)(事典)
7世紀601〜700年
★主な出来事ムハンマドがメディナへ移住(ヒジュラ)
迫害を受けたムハンマドと信徒がメッカからメディナへ移り、信仰の共同体をつくった。この年がのちにイスラーム暦の元年と定められた。
出典:コトバンク:ヒジュラ(山川 世界史小辞典 ほか)(事典)
★主な出来事乙巳の変(大化の改新の始まり)
中大兄皇子と中臣鎌足らが蘇我入鹿を討ち、蘇我氏の権勢が崩れた。翌年に改新の詔が出され、天皇中心の国づくりが進められた。
8世紀701〜800年
★主な出来事大宝律令が制定される
刑部親王や藤原不比等らが、唐の法にならって刑罰の律と行政の令をまとめた。天皇を中心とした中央集権の国の仕組みが整えられた。
出典:コトバンク:大宝律令(日本大百科全書(ニッポニカ))(事典)
★主な出来事イスラーム勢力がイベリア半島へ進出
ウマイヤ朝の軍が北アフリカから海峡を渡り、西ゴート王国を倒した。イベリア半島の大部分がイスラーム勢力の支配下に入った。
出典:コトバンク:西ゴート王国(改訂新版 世界大百科事典)(事典)
9世紀801〜900年
ブルガリア・東ローマ戦争: プリスカの戦い(ヴルビツァ峠の戦い)。第一次ブルガリア帝国のハーン・クルムが東ローマ帝国を破る。東ローマ皇帝ニケフォロス1世は戦死、息子のスタウラキオスも重傷を負う。
フォントノワの戦い: ルートヴィヒ1世の死後、その息子たちの間で行われた戦い。神聖ローマ帝国の支配を主張する長男ロタール1世が、弟のルートヴィヒ2世とシャルル2世に敗れた。
★主な出来事ヴェルダン条約でフランク王国を分割
カール大帝の孫3人がフランク王国を東・中部・西に分けて相続した。のちのドイツ・イタリア・フランスの形のもとになった。
出典:コトバンク:ベルダン条約(改訂新版 世界大百科事典)(事典)
10世紀901〜1000年
11世紀1001〜1100年
クレイディオン峠の戦い。ブルガリア帝国軍が東ローマ帝国軍に敗れる。ブルガリア皇帝サムイルは逃げ延びるが、10月に目を潰された大量の捕虜が帰ってきたのを見てショック死する。
★主な出来事東西教会の分裂が決定的になる
ローマ教皇の使節とコンスタンティノープル総主教が互いを破門した。キリスト教はローマ・カトリックと東方正教会に分かれた。
12世紀1101〜1200年
13世紀1201〜1300年
★主な出来事チンギス・ハンがモンゴル諸部族を統一
テムジンがモンゴル高原の部族を一つにまとめ、チンギス・ハンとして即位した。モンゴル帝国はユーラシア大陸の広い範囲へ広がっていった。
出典:コトバンク:チンギス・ハン(日本大百科全書)(事典)
承元の法難: 後鳥羽上皇が熊野詣にいった留守の間に、複数の女房が法然上人の弟子住蓮と安楽と共に出家した。これが、後鳥羽上皇の逆鱗に触れ、法然は土佐国番田(実際は讃岐国)へ、親鸞は越後国国府へ配流されることが決定した。
レコンキスタ: アンダルシア州のナバス・デ・トロサで、イベリア半島のカトリック諸国と騎士修道会の連合軍がムワッヒド朝の軍を破る。(ナバス・デ・トロサの戦い)
★主な出来事マグナ・カルタが認められる
イングランドのジョン王が、貴族たちの求めに応じて大憲章(マグナ・カルタ)を認めた。王の権力も法に従うという考えの出発点とされる。
出典:コトバンク:大憲章(世界大百科事典(旧版))(事典)
14世紀1301〜1400年
★主な出来事マンサ・ムーサがメッカへ巡礼
西アフリカのマリ王国の王マンサ・ムーサが、大勢の従者と多くの金を携えてメッカへ巡礼した。途中のカイロで金を配り、その富が広く知られた。
出典:コトバンク:マンサ・ムーサ(改訂新版 世界大百科事典)(事典)
15世紀1401〜1500年
★主な出来事鄭和の航海が始まる
明の永楽帝の命で、鄭和が大船団を率いて南の海へ出発した。航海は7回に及び、東南アジア・インドからアフリカ東岸まで達した。
16世紀1501年〜1600年
戦国大名が勢力を競った日本では、城と町が結びつき、鉄砲や海外からの品々が新しい選択を迫った。海の向こうでは航海者が大西洋、インド洋、太平洋を行き交い、交易が広がる一方で征服と強制移動も起きた。ヨーロッパでは宗教改革が教会と政治の関係を揺さぶり、アジア、アフリカ、アメリカ大陸の諸社会もそれぞれの変化を経験した。一つの地域だけでは見えない同時代の動きを、年表でたどる。
転換点大航海時代の海路拡大
ヨーロッパから大西洋、インド洋、太平洋へ向かう航海が重なり、遠隔地を結ぶ海路が増えた。交易と移動の範囲が広がる一方、到達先の社会には征服や感染症など深刻な変化も生じた。
転換点大西洋奴隷貿易の拡大
アフリカとアメリカ大陸を結ぶ航路では、強制的に移送される人々が増えた。大西洋交易を一つの利益だけで見ることはできず、地域社会の損失、植民地労働、長く続く不平等を伴う動きとして扱う。
転換点西アフリカ諸王国の変動
ニジェール川流域ではソンガイ帝国が交易都市を結び、広い地域を支配した。16世紀末にモロッコ軍の侵攻を受けるまでの間、西アフリカの国家、学問、サハラを越える交易は互いに関わりながら変化した。
サファヴィー朝の成立
サファヴィー教団のイスマーイール1世が白羊朝を破りタブリーズを占領(サファヴィー朝の成立)。
雪舟の「天橋立図(京都国立博物館蔵)」が描かれる
ヴェスプッチがブラジル沿岸を調査
越後南西部地震
越後国南西部で強い地震が起こり、現在の新潟県上越市周辺にも被害が及んだ。震源は県南西部付近とされ、規模はマグニチュード6.5〜7.0程度と推定される。余震は数日間続いたと記録されている。
ポルトガルがインドで最初の植民地コーチ(コーチン)を獲得する
明の正徳帝が第11代皇帝に即位
コンゴ王アフォンソ1世即位
コンゴ王国でアフォンソ1世が王位についた。ポルトガルとの使節交換や宣教師の受け入れを進め、教会と学校を設けた。首都ムバンザ・コンゴの改名も行い、王国の対外関係を広げた。
出典:コトバンク:アフォンソ(書籍)
細川政元が暗殺される(細川殿の変)
細川政元が暗殺される(細川殿の変)。細川京兆家の家督相続をめぐる永正の錯乱に発展する。遊初軒の戦いで細川澄之が殺害され、細川澄元が家督を継ぐも安定せず。
足利義稙が将軍に復帰
17世紀1601〜1700年
★主な出来事オランダ東インド会社が設立される
オランダの商社が一つにまとまり、アジア貿易を担う会社がつくられた。株式で資金を集めた会社の先がけで、アジアの海の交易で大きな力を持った。
スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王(ジェームス1世)としても戴冠。以降、イングランドとスコットランドは1707年に合同してグレートブリテン王国となるまで同君連合となる。
18世紀1701〜1800年
19世紀1801〜1900年
ハイチ革命: ヴェルティエールの戦い。ジャン=ジャック・デサリーヌ指揮のアフリカ人(黒人)奴隷反乱軍がフランス軍(ナポレオン・ボナパルト軍)に勝利。サン=ドマング(現在のハイチ共和国)独立が決定的になる。
★主な出来事ハイチが独立
サン・ドマングがフランスから独立し、ハイチ共和国となった。ラテンアメリカで最初に独立した国で、奴隷だった人々が建てた初めての国でもある。
出典:コトバンク:ハイチ(改訂新版 世界大百科事典)(事典)
20世紀1901〜2000年
セオドア・ルーズベルト米副大統領(ウィリアム・マッキンリー大統領暗殺により同月14日から大統領)がミネソタ州フェアで棍棒外交という言葉(Speak softly and carry a big stick)を初めて用いる。
21世紀2001年〜
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