16世紀1501年〜1600年
戦国大名が勢力を競った日本では、城と町が結びつき、鉄砲や海外からの品々が新しい選択を迫った。海の向こうでは航海者が大西洋、インド洋、太平洋を行き交い、交易が広がる一方で征服と強制移動も起きた。ヨーロッパでは宗教改革が教会と政治の関係を揺さぶり、アジア、アフリカ、アメリカ大陸の諸社会もそれぞれの変化を経験した。一つの地域だけでは見えない同時代の動きを、年表でたどる。
勉強にはPC版がおすすめです
PC版では、地域ごとの縦の線で出来事の流れを図として追えます。同じ時期に世界の別の場所で何が起きていたかが、ひと目で比べられます。
転換点大航海時代の海路拡大
ヨーロッパから大西洋、インド洋、太平洋へ向かう航海が重なり、遠隔地を結ぶ海路が増えた。交易と移動の範囲が広がる一方、到達先の社会には征服や感染症など深刻な変化も生じた。
転換点大西洋奴隷貿易の拡大
アフリカとアメリカ大陸を結ぶ航路では、強制的に移送される人々が増えた。大西洋交易を一つの利益だけで見ることはできず、地域社会の損失、植民地労働、長く続く不平等を伴う動きとして扱う。
転換点西アフリカ諸王国の変動
ニジェール川流域ではソンガイ帝国が交易都市を結び、広い地域を支配した。16世紀末にモロッコ軍の侵攻を受けるまでの間、西アフリカの国家、学問、サハラを越える交易は互いに関わりながら変化した。
サファヴィー朝の成立
サファヴィー教団のイスマーイール1世が白羊朝を破りタブリーズを占領(サファヴィー朝の成立)。
雪舟の「天橋立図(京都国立博物館蔵)」が描かれる
ヴェスプッチがブラジル沿岸を調査
越後南西部地震
越後国南西部で強い地震が起こり、現在の新潟県上越市周辺にも被害が及んだ。震源は県南西部付近とされ、規模はマグニチュード6.5〜7.0程度と推定される。余震は数日間続いたと記録されている。
ポルトガルがインドで最初の植民地コーチ(コーチン)を獲得する
明の正徳帝が第11代皇帝に即位
コンゴ王アフォンソ1世即位
コンゴ王国でアフォンソ1世が王位についた。ポルトガルとの使節交換や宣教師の受け入れを進め、教会と学校を設けた。首都ムバンザ・コンゴの改名も行い、王国の対外関係を広げた。
出典:コトバンク:アフォンソ(書籍)
細川政元が暗殺される(細川殿の変)
細川政元が暗殺される(細川殿の変)。細川京兆家の家督相続をめぐる永正の錯乱に発展する。遊初軒の戦いで細川澄之が殺害され、細川澄元が家督を継ぐも安定せず。
足利義稙が将軍に復帰
ディーウ沖の海戦
インド西岸のディーウ沖でポルトガル艦隊が、マムルーク朝などの連合艦隊を破った。アラビア海の航路をめぐる争いの中で、ポルトガルがインド洋交易へ進出する足場を強めた。
出典:世界史の窓:ディウ沖の海戦(学術・教育)
明が広州で外国船を受け入れる
イスマーイール1世がメルヴ近郊で勝利
サファヴィー朝のイスマーイール1世がメルヴ近郊でシャイバーニー朝のムハンマド・シャイバーニーを敗死させる。
ダヤン・ハーンがモンゴル諸部族を再統一
ダラン・テリグンの戦いに勝利したダヤン・ハーンがモンゴル諸部族を再統一。組織を六つのトゥメン(万人隊)に再編成した。
ポルトガルがインドのゴアを占領
明で安化王の乱
転換点東南アジアの海上交易再編
マラッカなど海峡沿いの港を巡って、地域の王国と外来勢力の関係が変わった。香辛料や物資を運ぶ航路は維持されつつ、寄港地の支配や通商の条件が争われ、東南アジアの海域秩序が組み替わった。
スペインがキューバを占領
スペインがキューバを占領、ディエゴ・ベラスケス・デ・クエリャルがキューバ総督となる。
ポルトガルがマラッカを占領
メッカでコーヒー弾圧事件
レオ・アフリカヌスがトンブクトゥを訪問
バルボアがパナマ地峡を横断し太平洋に到達
ピーリー・レイースの地図が作られる
転換点オスマン・サファヴィー両朝の対立
西アジアではオスマン帝国とサファヴィー朝が国境と影響力を争い、戦いと外交が続いた。両者の競合は地域の政治秩序だけでなく、宗教的な帰属や交易路にも関わる長い変化として年表に置く。
バルボアがパナマの総督職を交代
太平洋発見者の バルボア が パナマ ・ ダリエン の総督をペドラリアス・ダビラと交代する。
スマトラ島北部にアチェ王国
アリ・ムハヤット・シャーが初代君主に即位し、スマトラ島北西部にアチェ王国が成立する。
チャルディラーンの戦い
アナトリア東部のチャルディラーンで、オスマン帝国とサファヴィー朝の軍が戦い、オスマン側が勝利した。この戦いは両国の勢力圏に影響を与えた。
★主な出来事ルターが『九十五か条の論題』を発表
ドイツの修道士ルターが、贖宥状の販売を批判する論題を示した。これをきっかけに宗教改革が広がり、プロテスタントが生まれた。
出典:コトバンク:九十五か条の論題(日本大百科全書)(事典)
転換点宗教改革が各地に広がる
ルターが贖宥状を批判してから、教会の権威や信仰を問い直す動きがヨーロッパ各地へ広がった。新しい教派が生まれ、カトリック教会側も改革を進めた。
オスマン帝国がエジプトを征服
オスマン帝国のセリム1世がエジプトのマムルーク朝を倒した。帝国はシリアからエジプトへ支配を広げ、メッカとメディナの保護権も得て、西アジアと北アフリカにまたがる政権となった。
出典:コトバンク:オスマン帝国(事典)/世界史の窓:オスマン帝国(学術・教育)
ルターが95か条の論題を示す
マルティン・ルターがドイツのヴィッテンベルクで、贖宥状の販売など教会のあり方を問う論題を示した。議論は各地に広がり、教会の権威や信仰の根拠を問い直す宗教改革の出発点となった。
出典:コトバンク:プロテスタント教会(事典)
フアン・デ・グリハルバのメキシコ東部遠征
★主な出来事コルテスがメキシコ遠征を始める
スペインのコルテスが兵を率いてキューバのハバナを出港し、メキシコに向かった。アステカ王国の征服へとつながった。
出典:コトバンク:コルテス(改訂新版 世界大百科事典)(事典)
転換点アメリカ大陸の征服と植民地化
中南米でスペインなどの征服が進み、アステカやインカの支配体制は大きく変わった。植民地の都市や鉱山が広がる一方、先住民の暮らしと人口には深刻な影響が及び、その後の地域社会を形づくった。
教皇レオ10世がルターに破門を警告する大勅書
ローマ教皇レオ10世が大勅書『エクスルゲ・ドミネ』を発布し、マルティン・ルターに対し自説を撤回しなければ破門すると警告。
ストックホルムの血浴
ストックホルムの血浴。スウェーデンのカルマル同盟からの独立運動を鎮圧した国王クリスチャン2世が、スウェーデン人の反乱指導者ら100名以上を捕え、翌日処刑。
★主な出来事テノチティトランが陥落
コルテスの軍が先住民の同盟勢力とともにアステカ王国の都を攻め落とした。メキシコはスペインの植民地「ヌエバ・エスパーニャ」となった。
出典:コトバンク:コルテス(改訂新版 世界大百科事典)(事典)
転換点太平洋横断航路の形成
太平洋を横断する航海が重なり、アメリカ大陸とアジア・オセアニアの海域が船で結ばれ始めた。航路の開拓は交易の機会を増やしたが、島々の社会と外来の船団との接触も変化させた。
マゼラン船団がグアムに到着
世界周航中のマゼラン船団がグアムに到着し、島の住民と接触した。水と食料を補給した船団は太平洋をさらに西へ進み、フィリピンへ向かった。
出典:グアム政府観光局:グアムの歴史(公的機関)
明の嘉靖帝が第12代皇帝に即位
将軍足利義稙が出奔し管領細川高国が実権を掌握
将軍足利義稙が出奔し管領細川高国が実権を掌握。後柏原天皇が即位22年目にして即位の礼を行う。足利義晴が室町幕府第12代将軍となる。
テノチティトラン陥落
スペイン勢力と先住民の同盟軍による攻撃の末、アステカ帝国の都テノチティトランが陥落した。その跡地にメキシコシティが築かれ、支配の中心と都市の姿が大きく変わった。
ロドス島包囲戦でオスマン帝国が勝利
マゼラン艦隊のビクトリア号が帰還、初の世界一周
フェルディナンド・マゼラン一行の5隻の船のうち唯一生き残ったビクトリア号がスペインのサンルカール・デ・バラメーダに帰還。人類史上初の世界一周を達成。
サアド朝がマラケシュを占領
サアド朝はモロッコ南部から勢力を伸ばし、マラケシュを支配下に置いた。正確な年次には資料間で差があるため、この行の年表上の位置は暫定として扱う。
転換点ムガル帝国の成立と拡大
北インドで成立したムガル帝国は、後継者たちの遠征と統治を通じて領域を広げた。特にアクバルの時代には多様な地域や宗教集団を抱える大きな国家となり、南アジアの政治地図を変えた。
第一次パーニーパットの戦い
バーブルの軍が北インドのローディー朝軍を破った。デリー周辺の支配が移り、ムガル帝国成立への道が開かれた。中央アジア出身の軍事勢力がインド亜大陸に新たな王朝を築く節目となる。
コルテスが帰国しカルロス1世にカカオなどを献上
コルテスがスペインに一時帰国し国王カルロス1世にカカオその他の新大陸の産物を献上。
ヴィシュワナート・ナーヤカが即位
ヴィシュワナート・ナーヤカがマドゥライ・ナーヤカ朝の君主として即位(-1563年)。この君主の時代に都マドゥライにインドで最大級のヒンドゥー教寺院であるミーナークシ寺院の建立が始まる。君主や指導者の交代は、その地域の外交や宗教。
第一次ウィーン包囲
サンクティ・スピリトゥ砦が破壊される
スペインがアルゼンチンに建設した最初の砦であるサンクティ・スピリトゥ(SanctiSpiritu)が原住民によって破壊される。
メキシコで「グアダルーペの聖母」が出現
★主な出来事ピサロがインカ皇帝アタワルパを捕らえる
スペインのピサロがカハマルカでインカ皇帝アタワルパを捕らえた。インカ帝国は崩れ、アンデス地方はスペインの支配下に入った。
出典:コトバンク:アタワルパ(山川 世界史小辞典)(事典)
享禄・天文の乱により三好元長の堺政権(堺幕府)崩壊
享禄・天文の乱により三好元長の堺政権(堺幕府)崩壊。この混乱で畿内各地を一向一揆が攻撃、奈良の興福寺ほかを略奪炎上させる。細川晴元・六角定頼・法華一揆ら反対派が結集し、山科本願寺を焼き討ち。知識が書物や教育の場を通じて伝わる過。
インカ帝国がフランシスコ・ピサロにより征服される
バルバロス・ハイレッディンがオスマン朝に帰服
アルジェリアのバルバロス・ハイレッディンがオスマン朝に帰服し、提督(パシャ)となる。
ヌエバ・エスパーニャ副王領が置かれる
ジョン・フィッシャーとトマス・モアが処刑
栴岳承芳(後の今川義元)が義兄・玄広恵探の花倉城を攻め落とす
栴岳承芳(後の今川義元)が義兄・玄広恵探の花倉城を攻め落とす。敗走した恵探はその後自害。(花倉の乱)。
パラグアイ川畔にアスンシオンを建設
スペインの探検団がパラグアイ川畔にヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・アスンシオンを建設(現パラグアイの始まり)。
オスマン帝国ハディム・スレイマン・パシャの遠征
オスマン帝国ハディム・スレイマン・パシャの遠征。ディーウ沖海戦で、ポルトガル艦隊がオスマン帝国艦隊に勝利、インド洋の制海権を握る。
プレヴェザの海戦
プレヴェザの海戦で、オスマン帝国艦隊がスペイン・ヴェネツィア艦隊に勝利し、地中海の制海権を握る。
シェール・シャーがデリーを占領
シェール・シャーがカナウジの戦いでムガル朝を破りデリーとアーグラを占領。北インドでのスール朝の覇権を確立。
クロムウェル処刑、同日ヘンリー8世が再婚
イングランド王ヘンリー8世のかつての側近トマス・クロムウェルが処刑される。同日、ヘンリー8世は5番目の妻キャサリン・ハワードと結婚。
エルナンド・デ・ソトが北アメリカのミシシッピ川に到達
オスマン帝国のブダ占領
オスマン帝国のブダ占領。ハンガリーはオスマン帝国領、オスマン帝国配下のトランシルヴァニア公国領、ハプスブルク帝国領に三分割される。
スペインがリマを首都にペルー副王領を設置
明で嘉靖帝暗殺未遂事件(壬寅宮変または宮婢の変)
カブリリョがサンディエゴ湾に上陸
フアン・ロドリゲス・カブリリョが航海の末現在サンディエゴ湾と呼ばれる場所に上陸し、「サンミゲル」と命名。カリフォルニアに上陸した最初のヨーロッパ人になる。
★主な出来事コペルニクスの『天球の回転について』刊行
太陽を中心に地球などの惑星が回るという地動説を説いた本がニュルンベルクで出版された。のちの科学革命の出発点の一つとなった。
転換点日本の戦国から統一への動き
戦国大名どうしの抗争が続くなか、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らの時代に支配の範囲と仕組みが変わった。各地の戦いや城、検地などを個別の日付で追い、その背景にある統合の長い流れを示す。
フマーユーンがサファヴィー朝に亡命
ムガル朝のフマーユーンがシンドから逃亡し、サファヴィー朝のタフマースブ1世のもとに亡命。
種子島への鉄砲伝来
ポルトガル人を乗せた船が種子島に漂着し、火縄銃が日本に伝わったとされる。海上交易を通じて届いた武器は、戦国大名が軍事技術を取り入れていく時代の変化を映している。
メキシコの鉱山都市グアナファトが築かれる
足利義輝が室町幕府第13代将軍となる
メキシコのサカテカス銀山が開かれる
庚戌の変でアルタン・ハーンが北京を包囲
ザビエルが京都に到着
ザビエルが京都に到着、以後山口や豊後を歴訪し、インドに戻る。山口では布教許可を得て、南蛮寺(大道寺)を建てる。
ロシアのイヴァン4世がカザン・ハン国を征服
嘉靖の大倭寇が始まる
ジェーン・グレイの即位が宣言される
ノーサンバランド公ジョン・ダドリーがジェーン・グレイのイングランド女王即位を宣言。後に、19日に即位を宣言したメアリー1世により逮捕・処刑される。
ミシェル・セルヴェが拘束される
三位一体説批判のかどでカトリック・プロテスタントの双方から追われていたミシェル・セルヴェがジャン・カルヴァン治下のジュネーヴで捕らえられる。
甲相駿三国同盟が結ばれる
★主な出来事アウクスブルクの宗教和議
神聖ローマ帝国の帝国議会で、諸侯がカトリックかルター派かを選べることが認められた。ドイツの宗教対立にひとまず区切りがついた。
フマーユーンがスール朝を倒しデリーを奪回
厳島の戦いで毛利元就が陶晴賢を滅ぼす
織田信長が那古野城から清洲城に居城を移す
ムガル帝国でアクバル即位
ポルトガルのマカオ永久居留権が明に認められる
桶狭間の戦いで、織田信長が今川義元を滅ぼす
バインナウンがアユタヤを占領
タウングー朝ビルマのバインナウン王がアユタヤ朝タイを攻撃して都アユタヤを占領する。
ペルーのイカが建設される
アクバルがジズヤを廃止
ウルダネータが太平洋帰路を開く
アンドレス・デ・ウルダネータがセブ島からメキシコへの航路を開発(マニラ貿易・アカプルコ貿易の始まり)。
ターリコータの戦い
ターリコータの戦いで、デカンのムスリム5王国同盟が南インドのヴィジャヤナガル王国に勝利する。
マルタ包囲戦でマルタ騎士団がオスマン帝国軍を撃退
セントオーガスティン建設
スペイン側が現在の米国フロリダにセントオーガスティンを建設した。北米の大西洋岸に設けられた恒久的な拠点として、その後のスペインによる地域支配の足場となった。先住民との関係は別途確認を要する。
出典:コトバンク:セントオーガスティン(書籍)
アントウェルペンで聖像破壊運動
アントウェルペンの聖母マリア大聖堂ほかで聖像破壊運動(イコノクラスム/ビルダーシュトゥルム)が行われる。
メンダーニャがソロモン諸島に来航
メンダーニャが率いたスペイン船団が、現在のソロモン諸島にあるサンタ・イザベル島へ来航した。ヨーロッパ側の航海記録に、この島への到達が残されている。
出典:外務省:ソロモン諸島基礎データ(公的機関)
メンダーニャがヌイ島に到達
メンダーニャのスペイン船団が、現在のツバルにあたるヌイ島へ到達した。島にはすでに人びとが暮らしており、これはヨーロッパ側に残された来航の記録である。
出典:外務省:ツバル基礎データ(公的機関)
バインナウンがアユタヤを制圧
ルブリン合同でポーランド・リトアニア共和国が成立
ルブリン合同が成立し、同君連合であったポーランド王国とリトアニア大公国が合邦してポーランド・リトアニア共和国になる。
大村純忠がポルトガルとの貿易拠点として長崎を開港
★主な出来事レパントの海戦
スペイン・ヴェネツィア・教皇の連合艦隊が、ギリシア沖でオスマン帝国の艦隊を破った。地中海でのオスマン海軍の勢いが止まった。
出典:コトバンク:レパントの海戦(改訂新版 世界大百科事典)(事典)
レガスピがマニラを占領
レパントの海戦で、ヨーロッパ連合艦隊がオスマン帝国艦隊に勝利
隆慶和議により明とモンゴルの和平が成立
ポルトガル王セバスティアン1世による日本人奴隷禁止の命令
明の万暦帝が第14代皇帝に即位
木崎原の戦い
日向と大隅の境にある木崎原で、島津義弘の軍が伊東氏の軍と戦い、勝利した。兵力で劣る島津側の勝利は、日向で勢力を伸ばしていた伊東氏に打撃を与えた。
オスマン帝国がハフス朝を滅ぼしチュニジアを併合
アクバルがファテープル・シークリーに遷都
建州女直の王杲が遼陽を襲う
長島一向一揆の拠点が陥落
伊勢の長島城を守る一向一揆勢は、織田信長の軍による包囲を受けて降伏を申し出た。城からの退去時にも戦闘が起き、長島を拠点とする門徒勢力は大きく後退した。
フランス王アンリ3世がランスのノートルダム大聖堂で戴冠
フランス王アンリ3世がランスのノートルダム大聖堂で戴冠。同日、ルイーズ・ド・ロレーヌ=ヴォーデモンと結婚。
三瀬の変が起きる
伊勢国で織田信雄の勢力が北畠具教ら北畠一族を襲った。織田家との関係のもとで家督を譲っていた北畠氏は、この事件によって在地の支配力を失った。
モロッコで三王の戦い
モロッコ北部で、ポルトガル王を含む勢力とサアド朝の軍が戦った。ポルトガル側の敗北は同国の王位継承にも影響し、北アフリカの政治とヨーロッパの王朝関係を同時に変える出来事となった。
出典:松山大学論集:アルカサールの戦い(学術・教育)
オスマン帝国大宰相ソコルル・メフメト・パシャが暗殺される
スペインがポルトガルを併合
アクバルがイエズス会士を招き布教を許可
ムガル皇帝アクバルがイエズス会士ロドルフォ・アクワヴィヴァらを招聘し布教を許可する。
張居正が「万暦の丈量」を実施
石山合戦が終結し、顕如が石山を退去
本願寺11世宗主顕如、織田信長と和議を結び石山合戦が終結。顕如は紀伊鷺森に退去したが、和議に反対する長男教如は父とは行動をともにせず、石山本願寺に立てこもる。
織田信長による京都御馬揃え
織田信長による京都御馬揃え。信長とイエズス会巡察師ヴァリニャーノの会見。信長がヴァリニャーノから黒人従者を譲り受け「弥助」と名付け直参とする。
★主な出来事グレゴリオ暦が導入される
教皇グレゴリウス13世の定めで、ユリウス暦の10月4日の翌日を10月15日とした。暦と季節のずれが直され、今の世界の暦のもとになった。
アクバルがディーネ・イラーヒーを創設
明の内閣大学士張居正が死去
天目山の戦いで武田氏が敗れる
織田信長らによる甲州征伐の末、武田勝頼は天目山付近で追い詰められた。勝頼が敗れたことで甲斐の武田氏による戦国大名としての支配は終わった。
備中高松城の水攻めが進む
羽柴秀吉の軍は備中高松城を包囲し、周囲に堤防を築く工事を始めた。低地にある城を水で囲む作戦で、毛利氏方の城を攻めるために大規模な土木工事が進められた。
本能寺の変
明智光秀の軍が京都の本能寺を襲い、織田信長は死去した。信長が進めていた統一事業は後継をめぐる争いへ移り、羽柴秀吉が主導権を握るまでの政局が大きく動いた。
出典:国立公文書館:本能寺の変(公的機関)/京都大学花山天文台:本能寺の変と天変(学術・教育)
アクバルがラホールに遷都
天正地震
日本の中部地方で大きな地震が起こり、飛騨などに被害をもたらした。山地では崩壊も発生し、地形と集落に影響が残った。複数の地域に記録があるため、震源や規模には検討が続いている。
★主な出来事スペインの無敵艦隊がイングランド遠征に失敗
スペインの大艦隊がイングランドを目指したが、海戦と嵐で多くの船を失った。イングランドが海の上で力を伸ばすきっかけとなった。
出典:コトバンク:無敵艦隊(ブリタニカ国際大百科事典 ほか)(事典)
アルマダの海戦
イングランド艦隊との戦いでスペインの艦隊が敗れた。宗教対立と海上覇権をめぐる両国の競争が表面化した出来事であり、その後も大西洋での勢力争いは続いた。艦隊は帰路にも損失を出した。
ロアノーク植民地住民消失事件
豊臣秀吉の全国統一の完成
豊臣秀吉の全国統一の完成。小田原征伐で後北条氏が滅び、宇都宮仕置・奥州仕置で関東・東北の諸大名も服属した。
モロッコ軍がソンガイ王国に侵入しトンブクトゥ占領
豊臣秀吉の命令で千利休が切腹する
豊臣秀吉が甥の秀次に関白を譲る
ブルーノが異端審問所に引き渡される
コペルニクスの地動説を擁護したジョルダーノ・ブルーノがローマの異端審問所に引き渡される。7年間に獄中に留め置かれた末に1600年に異端審問を開始。
ザビエルの墓があるゴアのボム・ジェズ教会が建立される
メンダーニャの船団がマルケサス諸島に来航した
メンダーニャの船団がマルケサス諸島に来航した。ポリネシアの島々には独自の社会があり、この接触はヨーロッパの遠洋航海の記録と島々の歴史が交わる出来事となった。後の本格的な植民地化とは時期を分けて考えられる。
出典:研究論文:マルケサスの異人たち(学術・教育)
明で鉱税の害(礦税の禍)
サファヴィー朝のアッバース1世がイスファハーンに遷都
慶長の役・蔚山城の戦い(一次)
慶長の役・蔚山城の戦い(一次):蔚山城で籠城中の加藤清正・浅野幸長らが、明・朝鮮軍による最後の攻撃を撃退。撤退を開始した明・朝鮮軍を援軍の毛利秀元らが追撃する。
★主な出来事関ヶ原の戦い
徳川家康の東軍と石田三成らの西軍が美濃国関ヶ原で戦い、東軍が1日で勝った。家康が天下の実権を握り、江戸幕府への道が開けた。
南アメリカ・ペルーのワイナプチナ火山の大爆発
教皇が日本での宣教を各修道会に認める
教皇クレメンス8世がイエズス会にのみ認められていた日本での宣教活動を全ての修道会に認める。
豊後国臼杵にオランダ船リーフデ号が漂着する
この時代をもっと知る
参考にした Wikipedia の記事(441 件・CC BY-SA 4.0)
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- 大西洋奴隷貿易
- ソンガイ帝国
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- 越後南西部地震
- 1月28日
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- 2月12日
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- 5月28日
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- ミケランジェロ・ブオナローティ
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- フランシスコ・ザビエル
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- ディーウ沖の海戦
- 1509年
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- ヘンリー8世
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- 東南アジアの歴史
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- ジェームズ5世
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- カンブレー同盟戦争
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- アンドレアス・ヴェサリウス
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- チャルディラーンの戦い
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- 9月14日
- メアリー1世
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- ヴィルヘルム4世
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- 宗教改革
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- スペインによるアメリカ大陸の植民地化
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- レオ10世
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- 9月30日
- 10月21日
- ストックホルムの血浴
- 11月28日
- マニラ・ガレオン
- 武田信玄
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- 1月3日
- ヴォルムス帝国議会
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- 4月16日
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- テノチティトラン
- 8月13日
- ベオグラード包囲戦
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- 第一次パーニーパットの戦い
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- フェリペ2世
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- 第一次ウィーン包囲
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- アウクスブルク信仰告白
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- カトリック教徒
- 5月16日
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- フランシスコ・ピサロ
- 11月15日
- ジャック・カルティエ
- 6月9日
- イグナチオ・デ・ロヨラ
- 島津義弘
- 8月21日
- ミュンスターの反乱
- トマス・モア
- 7月6日
- パウルス3世
- 8月31日
- 李珥
- 12月26日
- アン・ブーリン
- 5月2日
- 6月28日
- 法華一揆
- 豊臣秀吉
- 3月17日
- 足利義昭
- 12月5日
- ヨハン3世
- 12月20日
- エドワード6世
- 10月12日
- アスンシオン
- プレヴェザの海戦
- 前田利家
- 1月15日
- 9月28日
- 聖トマス・アキナス大学
- エルナンド・デ・ソト
- 6月3日
- 7月9日
- 7月28日
- サンティアゴ
- 6月26日
- 7月7日
- 8月18日
- 2月13日
- フアン・ロドリゲス・カブリリョ
- 12月14日
- 戦国時代 (日本)
- 徳川家康
- 1月31日
- イングランド王
- 7月12日
- 9月23日
- 第4次イタリア戦争
- 7月19日
- 李舜臣
- 4月28日
- 7月18日
- メアリー・ローズ
- 7月21日
- 12月13日
- ティコ・ブラーエ
- 黒田孝高
- 12月22日
- 5月19日
- ミゲル・デ・セルバンテス
- 9月29日
- 1月11日
- 生神女就寝大聖堂
- 1月16日
- 2月20日
- 7月27日
- 二階崩れの変
- 2月26日
- フィンランド
- 6月12日
- 8月25日
- ペルー
- 5月12日
- 9月21日
- 大寧寺の変
- マテオ・リッチ
- 10月6日
- エドワード・コーク
- 2月1日
- アンリ4世
- ジェーン・グレイ
- 三位一体説
- 10月1日
- 1554年
- ペドロ・デ・バルディビア
- 12月25日
- 11月25日
- ミシェル・ノストラダムス師の予言集
- 5月4日
- アウクスブルクの和議
- 1月23日
- 防長経略
- 5月1日
- 11月22日
- 12月15日
- フランソワ・ド・ギーズ
- 1月1日
- カレー
- 1月7日
- 1月8日
- 11月17日
- ウェストミンスター寺院
- ピウス4世
- フランシス・ベーコン
- 9月2日
- 川中島の戦い
- 10月18日
- ロペ・デ・ベガ
- 加藤清正
- 7月25日
- プロテスタント
- 3月1日
- ディエゴ・デ・ランダ
- 8月19日
- 1563年
- 万暦帝
- ガリレオ・ガリレイ
- 2月15日
- ターリコータの戦い
- 6月17日
- 7月29日
- ジェームズ1世
- 6月19日
- メフメト3世
- 5月26日
- ジグムント3世
- 6月20日
- 2月8日
- 3月21日
- スィゲトヴァール包囲戦
- 8月6日
- クラウディオ・モンテヴェルディ
- 伊達政宗
- 9月5日
- 7月24日
- 9月17日
- 松永久秀
- 11月10日
- 八十年戦争
- 5月23日
- ジャハーンギール
- ルブリン合同
- 7月1日
- ユグノー戦争
- 10月3日
- 2月25日
- アブラハム・オルテリウス
- 5月20日
- 5月24日
- 姉川の戦い
- ヨハネス・ケプラー
- 12月27日
- ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ
- 6月8日
- ミゲル・ロペス・デ・レガスピ
- 後陽成天皇
- 木崎原の戦い
- 6月14日
- サン・バルテルミの虐殺
- 8月24日
- 11月11日
- 3月3日
- 織田信長
- 4月4日
- 7月13日
- 槇島城の戦い
- 一乗谷城の戦い
- 9月10日
- 1574年
- 2月3日
- 越前一向一揆
- 長島一向一揆
- 10月13日
- 光海君
- 6月4日
- マリー・ド・メディシス
- 4月26日
- ノートルダム大聖堂
- 5月10日
- 6月29日
- バルディビア
- 12月16日
- 2月14日
- 第一次木津川口の戦い
- 8月7日
- 三瀬の変
- ピーテル・パウル・ルーベンス
- クリスチャン4世
- 4月12日
- 11月3日
- フランシス・ドレーク
- ウイリアム・ハーベー
- フェリペ3世
- 4月14日
- 5月31日
- アルカセル・キビールの戦い
- 島津義久
- 12月10日
- ネーデルラント
- 有岡城の戦い
- 10月7日
- 2月2日
- 4月20日
- 5月22日
- 7月26日
- 9月26日
- ローマ・カトリック
- 3月27日
- 2月24日
- 3月4日
- 甲州征伐
- 4月3日
- 4月25日
- 備中高松城の戦い
- 5月29日
- 本能寺の変
- 魚津城の戦い
- 6月22日
- 山崎の戦い
- 7月2日
- 7月16日
- 太閤検地
- 10月4日
- フーゴー・グロティウス
- 賤ヶ岳の戦い
- 7月20日
- ニューファンドランド・ラブラドール州
- 8月5日
- 沖田畷の戦い
- 5月18日
- ウォルター・ローリー
- 8月10日
- 8月11日
- リシュリュー
- 3月23日
- 1月2日
- 天正地震
- 1月18日
- ロアノーク植民地
- ヴァージニア・デア
- 九州平定
- 4月8日
- 7月22日
- 肥後国人一揆
- ジョン・ウィンスロップ
- トマス・ホッブズ
- 4月5日
- 2月9日
- 7月31日
- アルマダの海戦
- 12月23日
- 7月17日
- ユダヤ教
- 8月12日
- 8月30日
- ウルバヌス7世
- 9月15日
- 10月16日
- 4月6日
- シャー・ジャハーン
- 1月5日
- ホンタイジ
- コメニウス
- 5月7日
- ジョルダーノ・ブルーノ
- 1月27日
- 2月27日
- 6月21日
- クロアチア
- 4月17日
- ルネ・デカルト
- 3月31日
- 後水尾天皇
- 日本二十六聖人
- 2月5日
- ウィリアム・シェイクスピア
- オランダ
- 8月27日
- 10月17日
- フランシスコ・デ・スルバラン
- 11月7日
- 1月29日
- ナントの勅令
- 10月19日
- 10月30日
- ディエゴ・ベラスケス
- アンソニー・ヴァン・ダイク
- 3月22日
- オリバー・クロムウェル
- 2月17日
- 8月26日
- 関ヶ原の戦い
- 12月17日
- イギリス東インド会社
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