WORLD HISTORY · 18世紀
1790年代の出来事1790〜1799年
1790年代に起きた主な出来事は?
1790年代(1790〜1799年)は、フランスで第一共和政の樹立が宣言され、テルミドールのクーデターも起こりました。サン・ドマングではハイチ革命が始まり、日本ではロシア使節ラクスマンが根室に来航し、本居宣長の『古事記伝』が完成しました。
- サン・ドマングでハイチ革命が始まる世界
- 林子平の『海国兵談』が発禁となる日本
- フランスが第一共和政の樹立を宣言世界
- ロシア使節ラクスマンが根室に来航日本
- パリでルーヴル美術館が開館世界
- フランスが全領域で奴隷制を廃止世界
- フランスでテルミドールのクーデター世界
- 本居宣長の『古事記伝』が完成日本
主な出来事と文は、この時代のすべての出来事をもとに Claude(AI)がまとめたものです。押すと年表のその行へ移ります。
1790年代の出来事(年表・278件)
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月日未詳 - フランスのニコラ・ルブランが、食塩から炭酸ナトリウムを量産する「ルブラン法」を確立(19世紀後半にアンモニアソーダ法が普及するまで工業用ソーダ生産の主流となる)。
ドイツの哲学者イマヌエル・カントが『判断力批判』を出版。『純粋理性批判』『実践理性批判』とともに三大批判書が完結。
江戸幕府が経費節減のため、長崎のオランダ商館長による江戸参府を毎年から4年に1度へ改編。
寛政の改革: 幕府が出版統制令を強化し、洒落本・黄表紙の風俗・時事風刺を厳禁。翌年の山東京伝や版元蔦屋重三郎の処罰につながる。
寛政の改革: 松平定信が湯島聖堂で正学である朱子学以外の教授を禁じる令を出す(寛政異学の禁)。学問所は官立の昌平坂学問所へ改組され、柴野栗山ら「寛政の三博士」が登用される。
幕府が長崎貿易をさらに抑制し、オランダ船の来航を年1隻、輸出銅を年60万斤に制限(貴金属流出防止策)。
寛政の改革: 江戸の窮乏農民に帰郷旅費を与えて離村を促す「旧里帰農令」を発令。
ハイドンが『交響曲第94番(驚愕)』を作曲(翌年3月初演)。
寛政の改革の出版統制により、洒落本作者の山東京伝が手鎖50日、版元の蔦屋重三郎が重過料(財産半減)に処される。
★主な出来事ハイチ革命が始まる
フランス領サン・ドマングで、フランス革命に影響を受けた奴隷たちが一斉に立ち上がった。奴隷制の廃止と独立を求める長い戦いが始まった。
出典:コトバンク:ハイチ(改訂新版 世界大百科事典)(事典)
清:乾隆帝がチベットに侵入したネパールのグルカ王国軍掃討のため大将軍フカンガ(福康安)を派遣(清・ネパール戦争/十全武功の最後)。
ロシア:漂流民大黒屋光太夫が皇帝エカチェリーナ2世に謁見(帰国許可を得て、翌年のラクスマン根室来航につながる)。
李氏朝鮮:儒教の伝統的祖先祭祀を拒絶したカトリック信徒が処刑され、キリスト教弾圧が本格化。
イギリスのメアリ・ウルストンクラフトが『女性の権利の擁護』を刊行。近代フェミニズムの先駆的著作となる。
肥前国で雲仙岳噴火に伴う眉山崩壊により有明海で津波が発生(島原大変肥後迷惑、死者1万5000人以上)。
江戸幕府老中松平定信、海防の不備を説いた仙台藩士林子平の著書『海国兵談』『三国通覧図説』を発禁・板木没収とし、子平を蟄居処分に処す。
フランス革命戦争:プロイセンのカール・ヴィルヘルム・フェルディナント・フォン・ブラウンシュヴァイクが、パリ市民に向けて「ルイ16世その他のフランス王族に危害を加えたら復讐する」との内容の宣言(ブラウンシュヴァイクの宣言)を発する。
江戸幕府、昌平坂学問所(旧・湯島聖堂)で旗本・御家人を対象とする官吏登用試験「学問吟味」を初実施。
ロシア使節アダム・ラクスマンが蝦夷地根室沖に来航(10月20日入港)。伊勢の漂流民大黒屋光太夫らを送還し通商を要求。
尊号一件:光格天皇の実父閑院宮典仁親王への「太上天皇」尊号授与を巡り、老中松平定信が拒絶を通告。
イギリスのウィリアム・ゴドウィンが『政治的正義論』を刊行(初期アナーキズム思想)。
津山藩医宇田川玄随が日本初の西洋内科翻訳書『西説内科撰要』を刊行開始。
伊予吉田藩で、紙専売制に反対する武左衛門一揆が勃発。
イギリス東インド会社総督コーンウォリスがベンガル地方で恒久地租令を公布、ザミーンダールを地主として認めるザミーンダーリー制が確立。
老中首座松平定信が、ロシア使節ラクスマン来航を受けた海防強化のため伊豆・相模沿岸の巡視に出発。
ロシア使節ラクスマンが松前で幕府使節と会談。幕府は通商要求を拒否し、漂流民大黒屋光太夫を引き取って長崎入港の信牌を交付。
尊号一件などで対立していた老中首座松平定信が辞職し、将軍徳川家斉の親政が開始(寛政の改革の終焉)。
国学者塙保己一が江戸麹町に和学講談所を開設(のちに『群書類従』を編纂)。
英使節マカートニーが熱河の避暑山荘で清の乾隆帝に謁見。自由貿易や公行廃止を要求するが拒絶される。
ドイツ観念論の哲学者フィヒテが『全知識学の基礎』を刊行。
フランス革命:国民公会が全植民地における黒人奴隷制廃止を宣言。これを受け、仏領サン=ドマング(現ハイチ)でハイチ革命を指導していたトゥーサン・ルーヴェルチュール率いる黒人反乱軍がフランス共和政軍に合流。
フランス革命:ロベスピエールらジャコバン派政権が、急進派のエベール派(3月24日)と寛容派のダントンら(4月5日)を処刑し独裁を強化。
寛政の改革期、浮世絵師・東洲斎写楽が版元蔦屋重三郎からデビュー。江戸三座の役者絵28図(大首絵)を出版。
蘭学者桂川甫周が、ロシアから帰還した漂流民大黒屋光太夫の聴取録『北槎聞略』を幕府に上呈。
江戸の蘭学者大槻玄沢が、家塾芝蘭堂で太陽暦の新年を祝う「新元会」(通称:オランダ正月)を初めて開催。蘭学者や文化人(桂川甫周やロシアから帰国した大黒屋光太夫ら)が集う場となる。
フランス共和国とプロイセン王国の間でバーゼルの和約が締結。プロイセンがライン左岸の割譲を事実上認め、第一次対仏大同盟から離脱(プロイセンは東方のポーランド分割へ軍事・外交勢力を集中)。
フランスの国民公会で1795年憲法(共和暦第3年憲法)が採択。テルミドールのクーデタ後の反動として男子普通選挙(1793年憲法)が破棄されて財産資格選挙制が復活し、独裁防止のため五百人会・元老院の二院制および5人の総裁による厳格な権力分立を規定。
〜10月(秋) - プロイセンの哲学者イマヌエル・カントが『永遠平和のために』を刊行(ライプツィヒの書籍見本市に合わせて出版)。同年のバーゼルの和約などを背景に、常備軍の全廃、全国家の共和制化、自由な国家連合による国際平和機構の創設を提唱(後の国際連盟や国際連合の思想的源流)。
清の乾隆帝が上諭を下し、祖父康熙帝の在位年数(61年)を超えないよう皇第十五子顒琰(嘉慶帝)を皇太子に立て、翌年元日をもって譲位して太上皇となることを布告。
江戸幕府(老中松平定信失脚後の寛政の遺老期)が大坂の天文学者高橋至時を天文方に登用(同時に同門の豪商・天文学者間重富も幕府御用手伝として招聘)。大坂の麻田剛立の学問を受け継ぎ、西洋天文学(『暦象考成後編』など)を採り入れた「寛政暦」への改暦事業に着手(同年に弟子入りした伊能忠敬の全国測量事業支援にもつながる)。
日付不詳 - フランスの数学者・天文学者ラプラスが『宇宙の体系』(Exposition du système du monde)を刊行。末尾の注釈で、カントの所説(1755年)とともに太陽系の起源に関する「カント・ラプラスの星雲説」の基礎となる仮説を提唱。
清で第6代皇帝乾隆帝が祖父康熙帝の在位年数(61年)を超えないよう配慮して退位し、太上皇となる。第15皇子の顒琰(嘉慶帝)が即位。
イギリス軍がオランダ領セイロンの拠点コロンボを占領(フランス革命軍のオランダ侵攻に伴うバタヴィア共和国成立に対抗した接収)。
清の湖北省で漢民族農民を中心とする白蓮教徒の乱が勃発(〜1804年)。
日本で稲村三伯らが、日本初の本格的な蘭和辞典『ハルマ和解』(江戸ハルマ)の自序を脱稿し完成。
イギリス海軍中佐ブロートン率いる探検船プロビデンス号が内浦湾(噴火湾)に来航し沿岸を測量(9月28日に室蘭港へ入港)。ロシア帝国の南下に加え、イギリス船の接近を認識した江戸幕府は北方警備を強める。
ジョージ・ワシントンの辞任挨拶が『アメリカン・デイリー・アドバイー』紙に、「アメリカ合衆国の人民に宛ててジョージ・ワシントンのアメリカ合衆国大統領辞任にあたって挨拶」という題で掲載される。
ドイツの詩人ヘルダーリンが書簡体小説『ヒュペーリオン』第1巻を刊行(〜1799年完結)。
京都で、世界最古の遊戯折り紙の指南書とされる『秘傳千羽鶴折形』が刊行。
フランス革命戦争・イタリア戦役: リヴォリの戦い。ナポレオン指揮下のフランス軍が、オーストリア軍を撃破。北イタリアにおけるフランスの優位を決定づけ、2月2日の要衝マントヴァ開城に繋がる。
ナポレオン率いるフランス軍の侵攻と最後通牒を受け、最後の元首(ドージェ)ルドヴィーコ・マニンが退位し大評議会が解散。1000年以上続いた商人国家・海洋帝国ヴェネツィア共和国が滅亡。
サンタ・クルス・デ・テネリフェの戦い: ホレーショ・ネルソンがカナリア諸島のサンタ・クルス・デ・テネリフェの攻略でスペインの大砲「エル・ティグレ」の攻撃を受け右腕を失う。サンタ・クルス・デ・テネリフェでは祝祭日となっている。
XYZ事件: フランス外相タレーランのエージェントが、関係改善のために訪仏したアメリカ特使(C・C・ピンクニー、ジョン・マーシャル、エルブリッジ・ゲリー)に対し非公式に巨額の賄賂を要求。交渉は決裂し、米仏関係が悪化。
オーストリアは南ネーデルラント(現ベルギー)およびロンバルディアをフランスへ割譲し、解体されたヴェネツィア共和国の主要領土(ヴェネト地方やイストリア、ダルマチア)を獲得。秘密条項でフランスによるライン川左岸領有の承認・支持を約束。これによりオーストリアが戦線離脱し、イギリスのみが抗戦を継続、第一次対仏大同盟が崩壊。
エドワード・ジェンナーが論文『牛痘の原因及び作用に関する研究』を発表し、牛痘種痘法を公表(1796年の人体接種試験を経て予防接種の安全性を確立、近代免疫学の端緒となる)。
トマス・ロバート・マルサスが『人口論』を匿名で初版刊行(人口は幾何級数的に、食糧は算術級数的に増加すると説く)。
江戸幕府がロシア帝国の南下に備え、蝦夷地調査隊を派遣(幕臣の近藤重蔵や最上徳内らが参加)。
経世思想家・本多利明が『西域物語』、次いで『経世秘策』を著す。重商主義的立場から開国通商・蝦夷地開発や海外植民による富国強兵を提唱。
ナイルの海戦(アブキール湾の戦い)。ホレーショ・ネルソン率いるイギリス海軍艦隊がフランス艦隊を急襲・壊滅させ、フランス旗艦ロリアン号が爆沈。ナポレオン軍の本国連絡・補給路が断たれ、エジプト孤立が決定的となる。
ウィリアム・ワーズワースとサミュエル・テイラー・コールリッジが詩集『抒情民謡集』を匿名刊行。
廻船商人・豪商高田屋嘉兵衛が、幕吏近藤重蔵らの調査に協力して自前の辰悦丸で国後島と択捉島を結ぶ「エトロフ航路」を開拓。 フランスの数学者・天文学者ラプラスが、『天体力学』第1巻・第2巻を刊行(全5巻、- 1825年完結)。万有引力の法則に基づく摂動論を体系化し、ニュートン力学を天文学で完成させる。
江戸幕府、ロシア帝国の南下に対処するため、松前藩主松前章広に対し東蝦夷地を7年間の期限付きで幕府直轄地(上知)とする旨を通達。
第4次マイソール戦争:セリンガパタム包囲戦で「マイソールの虎」と称されたマイソール王国の国王ティプー・スルターンが戦死。イギリス東インド会社による南インド支配が確立する。
江戸幕府、東蝦夷地の上知に伴い、南部藩および津軽藩に対して蝦夷地沿岸(箱館など)の警備を正式に命じる。
深刻な負債と第4次英蘭戦争の打撃により、オランダ東インド会社(VOC)が正式に解散。同社が支配していた領土・権益は翌年1月1日付でバタヴィア共和国(オランダ政府)に移管され、オランダ領東インド(現在のインドネシア)の直轄統治へ移行する。
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よくある質問
1790年代は何年から何年まで?
1790年代は1790〜1799年です。
1790年代に起きた主な出来事は?
1790年代(1790〜1799年)は、フランスで第一共和政の樹立が宣言され、テルミドールのクーデターも起こりました。サン・ドマングではハイチ革命が始まり、日本ではロシア使節ラクスマンが根室に来航し、本居宣長の『古事記伝』が完成しました。
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