WORLD HISTORY · 18世紀
1740年代の出来事1740〜1749年
1740年代に起きた主な出来事は?
1740年代(1740〜1749年)は、ヨーロッパでオーストリア継承戦争や第二次シュレージエン戦争が戦われ、ベーリング探検隊のアラスカ上陸やポンペイの再発見もありました。日本では幕府が御触書の法令集の編纂を始め、関東で大水害が起こりました。
- ベーリング探検隊がアラスカに上陸世界
- セルシウスが実用的な温度計を提唱世界
- 幕府が御触書の法令集の編纂を開始日本
- 関東で暴風雨による大水害が発生日本
- 第二次シュレージエン戦争が始まる世界
- 文楽『夏祭浪花鑑』が初演日本
- ラウフフェルトの戦いでフランス軍が勝利世界
- ポンペイが再発見される世界
主な出来事と文は、この時代のすべての出来事をもとに Claude(AI)がまとめたものです。押すと年表のその行へ移ります。
1740年代の出来事(年表・518件)
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PC版では、地域ごとの縦の線で出来事の流れを図として追えます。同じ時期に世界の別の場所で何が起きていたかが、ひと目で比べられます。
李氏朝鮮 - 田雲祥が軍船を建造。
インド 18世紀第2四半期ごろアーリーヴァルディ・ハーンがサルファラーズ・ハーンを破る。アーリーヴァルディ・ハーンはベンガルのナワーブ(太守)(〜1756年)となったことで、ベンガルがムガル帝国から自立。 バーラージー・バージー・ラーオがマラーター王国のペーシュワー(宰相)となる(〜1761年)。
東南アジア 下ビルマでモン族がタウングー王朝に対し蜂起、シリアムとマルタバンを占領。ペグーに王朝を築く。 ブギス族のラジャ=ルムがセランゴール(現マレーシアの州)の初代スルタンとして即位。
ワッハーブ運動の創始者、ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブがウヤイナ(現リヤード州の町)に帰還し、活動をはじめる。
日本 青木昆陽、野呂元丈らが、将軍徳川吉宗の命によりオランダ語を学ぶ。 吉宗の意により植村政勝が『諸州採薬記』を作成。また、幕命により甲斐その他の地方の古文書の探索が行われる(#上述)。さらに、書物奉行により、京伶(江戸に上った者のうち、雅楽を演奏する楽人・舞人のこと)の楽書を書写。
オランダ - スイスの博物学者のトレンブレーがヒドラを発見。 ジャワ戦争:オランダがマタラムとの戦争を開始(〜1743年)。
北アメリカ スペインがマタンザス入江でマタンザス要塞の建設をはじめる(〜1742年)。同要塞はフロリダ州の街、セントオーガスティンからおよそ南にの場所に位置する。 オグルソープ総督がジョージア植民地で、同地における最初のビール醸造所を建設。植民地軍の兵隊への供給が目的。
元文5年10月 - 江戸幕府、大坂で干鰯・油粕の買い占めを禁ずる。
アフリカ 西アフリカのマリで、非ムスリム系のバンバラ人のママリ・クルバリ(ビトン・クルバリとも)がムスリムによる支配を廃し、セグ帝国を築く。 中部・南部アフリカで、ルンダ王国を出て東に進出したカゼンベ族がカゼンベ王国を樹立。その後100年に渡り王国は拡張を続け、最終的に現代のコンゴ共和国とほぼ同じ範囲まで拡がった。
元文5年9月 - 幕府、桜町天皇の大嘗祭を無断で記録・刊行した罪で、荷田在満を閉門とする。また、『大嘗会便蒙』の絶版・回収が命じられる。在満は前年末から同書100部を無届けで自家板行していた。 上述の古文書調査に加え、青木昆陽が甲信地方の古文書調査の命を受ける。 大坂金奉行が御用金の紛失により処罰、連座するもの多数。
ドイツ ゴットシェート『古代ギリシャとローマの規範によるドイツ演劇論』(または『ドイツ演劇論』)を刊行する(〜1745年)、書籍印刷者式典。 ボードマー、ブライティンガーら『詩における不思議なもの、ならびに、それ を真実らしさと結合することについての批判的論考』。
オスマン帝国がフランスとのカピチュレーションの更新において、同制度の恒久化を図る。
フランス ボーモン・リール・クレルモン=フェランなどの諸都市において、物価高騰を背景とした民衆蜂起がおこる。 ピエール・ルイ・モーペルテュイが『宇宙論』において適者生存説を唱える。 エミリー・デュ・シャトレ『自然学原理』。 ルイ・ベルトラン・カステル『色彩工学』。 シャルダン『食前の祈り』。
イタリア ミラノでムラトリ正典目録が発見・公刊される。 ティエポロ『アントピトリテーの勝利』(ヴェネツィア、スカルツィ寺院の天井画) パンニーニ画 パンニーニ『ローマの廃墟』。
清 乾隆帝、「満洲根本の地」である山海関外への入植を禁ずる。ただ、乾隆帝自身は移民の必要性とその弊害を認識したうえで、臣民の移動を認めるスタンスをとっていた。実際、この勅令にも関わらず皇帝は移民を積極的に追い返させることはしなかった。それどころか、災害による流民が増えた年には山海関外への移入を黙認するよう命じた。
元文5年7月 - 江戸幕府、青木昆陽に関東・東海地方の古文書についての調査を命令。 幕府、盂蘭盆会の使用済みの祭具を城の堀に捨てることを厳禁とする。 江戸の畳職人を戸口調査のうえ登録させる。
イギリス ハンツマン、るつぼ式鋼鉄(crucible steel)製造法を発明。 アイルランドで飢饉(〜1741年)。 サミュエル・ジョンソンが偽名リリパットの名で「ジェントルマンズ・マガジン」紙に議会記事を寄せ、議会でも好評に(〜1743年)。
清とジュンガルとのあいだで貿易協定が成立。
清朝、耗羨を国庫の収入とし、章程の製作を命じる。
湖南省で苗族の乱おこる。湖広総督班第らが平定(〜3月)。
オランダ東インド会社の船、ローズベック号の乗組員237名全員が水死。ローズベック号が、イギリス沖のグッドウィン・サンズで浅瀬に乗り上げたことによる海難事故。本船はインド諸国への二度目の航海に就いたばかりであった。残骸は250年以上後の2004年に発見されることとなる。
京都の朝廷で年始の吉書奏が再興される。
日本神話に基づく建国2400周年。
ノースカロライナ議会が、ニュートン市を初代ウィルミントン伯爵スペンサー・コンプトンにちなみウィルミントン市と改名したうえでノースカロライナ植民地に組み込み、ガブリエル・ジョンソンを同市の首長と定めた。
ジョージア植民地のサバンナ近郊で、男児向け孤児院のベセスダ孤児院の建設はじまる。同孤児院は、ジョージア植民地政府からジョージ・ホウィットフィールドに対し500エーカーの土地を提供することによってはじめられた。ホウィットフィールドは孤児院の建設に際し、約2530ポンドの資金を集めた。
龍統元棟が黄檗山萬福寺の住持となる(それまで中国人が歴代の住持を勤めていた同時において、日本人として初)。
敵討:江戸築地飯田町で、板倉家中山下宇右衛門・先内武平治兄弟が、母の敵である杉山嘉右衛門を討つ(『江戸真砂六十帖』)。
辰巳屋事件:大坂の豪商、辰巳屋久左衛門の後見を望んでいた木津屋吉兵衛の賄賂を受けて、大坂町奉行の稲垣種信が、辰巳屋の手代である新六に無実の罪をきせ投獄させていたことが露見。奉行の稲垣種信は罷免のうえ閉門、その家人は死罪、吉兵衛は遠島となった。
鳥海山が80年ぶりに噴火、泥流が起こり、水田に被害。以後5年に渡って河川に魚類が現れなかった。 日本:百姓の上野長之助、父の敵を討つ。帯刀を許される。
清の乾隆帝、重修大蔵経(乾隆大蔵経、龍蔵とも)を江寧慧居寺(現代の鎮江市隆昌寺)に賜る。
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の崩御(1713年-)に伴い、フリードリヒ2世がプロイセン国王として即位(〜1786年)。拷問を禁止し、出版と信仰の自由を認めた。即位の数日後には監督官庁にベルリン紙に対する規制をやめ、領内情報を無検閲で報道させるよう指示した。また、競争紙の出現を促す。
本屋で出版者のアンブロシウス・ハウデが、フリードリヒ2世の許可で「Berlinische Nachrichten von Staats- und Gelehrten Sachen」(のちの「シュペーナー新聞」)を発刊。週3回刊行。簡明文体で特色を出した。
苗族の乱、広西省・湖南省に拡大。貴州総督張広泗、湖南に派遣される。
1740年のプランテーション法または1740年の帰化法が施行される。同法は、イギリス領アメリカに7年間居住したプロテスタントの外国人(ユグノーとユダヤ教徒含む)にイギリス国籍を認めるもの。
幕府、江戸の茶屋・うどん屋に旅人を宿泊させることを禁じる(『江戸町触集成』)。
幕府、綱紀粛正令を発する。三奉行(寺社奉行・勘定奉行・町奉行)・大目付・目付らの会合時に遊宴を催し、三味線をいれることを禁じる。また、三奉行の贈収賄に関しても指示が下される。
ジェンキンスの耳の戦争:モセ砦の戦い - スペイン正規軍300名と解放奴隷黒人の民兵、インディオ援軍の軍勢が、イギリス軍の戦略的要衝であるモセ砦(現フロリダ州)を急襲し、占領。スペイン軍の勝利は、サン・アウグスティンを包囲するオグルソープのイギリス軍にとって脅威となり、同軍に撤退を余儀なくさせた。
岡山藩の牢獄から4人脱走。翌日3人捕縛、長門萩の三五郎は獄門、二人は打ち首。
フリードリヒ2世が『反マキャヴェリ論』を匿名で出版。
(閏) - 京都・大坂で大水害。鴨川が氾濫。三条大橋が破損する。
(閏) - 大和国の金剛山・葛城山で豪雨。御所で約700戸が流出し、死者は約300名におよんだ。
(閏) - 水戸藩、番方(武官)組士の美酒・美食を禁ずる。
ロシア女帝、アンナ=イヴァノヴナ崩御(在位1730年-)に伴い、彼女の姉妹エカチェリーナの孫イヴァン6世即位(〜1741年)。イヴァンの母、アンナ・レオポルドヴナが摂政となるが、実権はクールラント公ビロンに代わる新寵臣、ミュンニヒ伯が握ることとなる。
父であるカール6世の死(1711年-)に伴い、マリア・テレジアが1713年の国事詔書に基づいてハプスブルク帝国の世襲領(オーストリアとボヘミア、ハンガリー、現在のベルギー)を継承(〜1780年)。
バタヴィア華僑虐殺事件:バタヴィアで、オランダ東インド会社の軍隊が少なくとも10000人以上の中国系インドネシア人を虐殺。
清で『新修大清律令』完成、公布される。
張広泗、広西・湖南に広がっていた苗族の乱を鎮圧。
シュレジーエンのおける戦争が起こったことで報道規制が行われるが、手書き戦況報道紙が多数出る。フリードリヒ2世、「Berlinische Privilegierte Zeitung」を発行させ、戦時公報紙とする。諸紙が反仏論を展開し、フランスを攻撃する新刊紙も出た。
清 - 初の全人口調査。人口1億4341万1559人。 各省の督撫・学政、元・明・清にわたる遺編の採訪・調査をおこなうよう命令される。 大学士オルタイ、永定河(華北の川)の調査を下命される。 『蒙古律令』成る。 Blossoms under a Crescent Moon" 高田敬輔画。1741年。
中国人とジャワ人の連合軍、カルタスラのオランダの要塞を奪取。
ミラノ公国 - グルックのオペラ『アルタセルセ』初演。 1741年。ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー作。
アフリカ エジプト - イェルサレム出身のコプト正教会聖職者アンバ・アタナシウスがカトリックに改宗。 ナイジェリア - このころゴビール王ババリ(Babari)が即位(〜1769年)。 1741年刊
日本 江戸幕府、百姓の徒党・強訴・逃散に関する量刑(仕置)を定める。 幕命により、青木昆陽が多摩・秩父の古祠民家の古文書の探索・調査をおこなう。またこれに続き、信濃・甲斐・駿河・遠江でも同様の調査をおこなった。 野菜舟などを除き、品川沖での密商売禁止。 町医者の神田玄泉が『日東魚譜』著す。 長崎で鉄銭の鋳造はじまる。
フランス王国 - フランス人が初めてセーシェル諸島を探査。 トゥールーズでオカジオネル(、読売)「リシュリウ公入京」出る。 オーストリア継承戦争の報道記事・報道冊子が続出。 トロワ・ロモランタンで民衆蜂起。 ピエール・ルイ・モーペルテュイが適者生存説を提唱。
ブー=サイード家のアフマド・ビン・サイフがオマーン地方の実権を掌握、マスカットにブーサイード朝を築く。
ノルウェー - ルズヴィ・ホルベア『ニールス・クリムの地底旅行』出版。
同校の工房で作成された。 エッチング 1741年刊行7月15日 - 大北方探検:ヴィトゥス・ベーリングのロシア探検隊の船が、ヨーロッパ人として初めてアラスカに上陸。
寛保津波:北海道の渡島半島の熊石から根府田(松前)にかけて謎の大津波が襲来。松前藩領内で倒壊家屋791棟、破船1521艘、溺死者1467人。
ロシア帝国 - ヴィトゥス・ベーリングのアラスカ遠征の結果、毛皮の取引が始まる。
インド - マラーター勢力によるベンガル侵入。
イギリス - ヒュームが『道徳政治論集』を出版。 福音派の印刷業者、ジョン・ルイスが週刊誌「The Christian Amusement」発刊(〜1748年)。
13植民地 「アメリカ人」の呼称が初めて用いられる。 ニューハンプシャー植民地がマサチューセッツ植民地から分離。 コネチカット植民地で、カルヴァン派の牧師、ジョナサン・エドワーズが、地獄の恐怖を写実的に描写した説教を行う。これは『怒れる神の御手の中にある罪人』としてまとめられた。本書は理性主義者からの反論を受けた。
エフゲニー・ランセレ画。
アフシャール朝 ナーディル・シャーがオマーンを占領。 ナーディル・シャー、マシュハドのイマーム・レザー廟を修復。
元文1月(新暦1月下旬から3月頃) - 江戸幕府、朝廷礼典関係書物の新規出版を禁ずる。 木村高敦『武徳編年集成』成る。
オスマン帝国 - アルアズム家のスレイマーン・パシャ・アルアズムがダマスカス総督に復帰(〜1743年)。
徳川将軍吉宗の四男、徳川宗尹が一橋門内に屋敷を与えられる(一橋家創立)。
京都の御所で、桜町天皇が280年ぶり新嘗祭を執り行う。
ロシア帝国の軍人でアンナ・レオポルドヴナの寵臣ミュンニヒ伯爵が失脚。
ジェンキンスの耳の戦争:カルタヘナ・デ・インディアスの海戦。イギリス海軍が、エドワード・バーノン提督の指揮による戦艦・フリゲート艦・輸送船団から成る180隻の艦隊で、スペイン領コロンビアのカルタヘナを脅かす。船団の乗組員27000人に対し、守備側は3600人であった。
熊本藩・肥後益城郡31ヶ村で愁訴。
徳川幕府が寺社に対し祠堂金(寺社建立講)、取替無尽を禁ずる。 徳川吉宗・大岡忠相らの命により、幕医野呂元丈がヨハネス・ヨンストンの『動物図説』の翻訳を主導し、これを抄訳したものとして『阿蘭陀禽獣蟲魚図和解』(おらんだ きんじゅう ちゅうぎょ ずわげ)を完成させる。『動物図説』は甲比丹(カピタン)より贈られたもの。
日本、改元して寛保元年。
伊予松山藩領・伊予浮穴郡、13ヶ村で強訴。
大北方探検:ヴィトゥス・ベーリングが、シベリアとアラスカの湾を測量するためペトロパブロフスク・カムチャツキーを出航。
ジェンキンスの耳の戦争:カルタヘナ・デ・インディアスの海戦 (1741年) – ブラス・デ・レソ指揮下のスペイン軍のヌエバ・グラナダ守備隊が、エドワード・ヴァーノン提督率いるイギリス海軍の艦隊を撃破。イギリス軍はジャマイカへの撤退を余儀なくされた。
イギリス総選挙(4月30日-)。庶民院においてロバート・ウォルポールのホイッグ党が多数派を保持したが、彼の政策に反対した議員たちが新たに愛国ホイッグ党を形成したことで、44議席を失う。
蝦夷(北海道)渡島大島で噴火(上述の寛保津波に影響か)。 日向高鍋藩領で渡船が転覆、16名死亡。船頭4名に死罪。 松山藩で紙専売反対の強訴。
陸奥弘前で大火。
敵討ち:岡山藩内で岡山藩士の成瀬太左衛門、加賀藩士で知友・田宮軍次(伝右衛門)の敵である堀又座衛門を討つ。
姫路藩主榊原政岑が吉原・三浦屋の遊女、六代(十代とも)高尾太夫を2500両で身請け、姫路城に住まわせる。
伊予松山藩領・伊予浮穴郡25ヶ村で、年貢減免要求の一揆、逃散。
二条城大番の別所弥四郎、死罪。妻子恋しさに京都脱出をはかり下僕に変装して江戸への帰還をはかるも、翌日祇園で捕縛された。なお、二条城勤番は一年交代。
大番関内記改易。家婢(下女)に斬りつけられたうえ逃亡を許したため。当人は沙汰を待たず死亡。
イギリス、フランスとの協約によりハノーヴァーの中立を確保。
京都で大火。被災2800戸、14ヶ寺焼失。
幕府、江戸油仲買に油問屋仲間加入を指示。また油問屋を通さない油の流通禁止。油価の安定がねらい。
姫路藩主榊原政岑、徳川将軍吉宗の倹約政策に対立するものとして当人の行状(上述)が咎められ、隠居のうえ蟄居を命じられる。また、家督を継いだ榊原政永も越後国高田に転封とされ、政岑・高尾もこれに従って転居した。
ピョートル大帝の娘エリザヴェータ ・ペトロヴナが、近衛兵からの支持とフランス・スウェーデンからの後援を受けたうえで宮廷クーデターによりイヴァン6世を廃し、ロシア帝国の女帝(インペラトリーツァ)として即位する(〜1761年)。
オーストリア継承戦争:スペイン軍、トスカーナに侵攻。
対馬藩、播磨国赤穂の塩田技術者を招聘。 伊勢飯高郡の紀州藩領大足村で越訴。 陸奥紫波郡、盛岡藩領八幡通で越訴。
下総香取郡旗本領で愁訴。
寺院諸法度: 江戸幕府が、寺院本末ならびに法義に関する訴訟は触頭・本寺が裁許するよう定める。
清 - 僧、工布査布(ゴンポキャプ)、『造像量度経解』を訳述する。 張遇隆、56代天師になる。 チベット - ダライ・ラマ7世のもとで『チベット大蔵経』、新ナルタン版テンギュルが完成。
スウェーデン - カール・フォン・リンネがウプサラ大学の植物学教授に就任。 アンデルス・セルシウスが、スウェーデン王立科学アカデミーに投稿した論文のなかで、実用的温度計を提唱。これが現在のセルシウス度の基となった。
北アメリカ スペインが、フロリダ州のセントオーガスティンより南におよそ24キロに位置するマタンサス・インレットに、マタンザス要塞を築く。 フィラデルフィア・ルーテル神学校 ルーテル教会の牧師・宣教師のヘンリー・ミューレンバーグがペンシルベニア植民地の信徒の求めに従いドイツから渡米、同地に赴く。
日本 - 幕府、林信充らに越後の孝女についての伝記を刊行させる。 幕府が富士講の禁令出す。 青木昆陽が『諸州古文書』を集成する。 勧進相撲が全面解禁。 このころ上方で読本が盛ん。 荷田在満の歌論、『国歌八論』成立。 二代目市川海老蔵と初代尾上菊五郎が江戸に下り、市村座に出る。
ドイツ - アイゼナハにアイゼナハ宮殿が建設。 バヴァリア、ニュルンベルクにフリードリヒ・アレクサンダー大学エアランゲン=ニュルンベルクが開設される。 神学者のヨハン・アルブレヒト・ベンゲルが『新約聖書注解書グノーモン』を著す。 ヨハン・ヤーコプ・コルン「Schlesische Zeitung」の前身となる新聞を発刊。
ノルウェーの街モルデが勅許を得る。
ガーナでアシャンティ王国の軍隊がニンゴ(ニングワ)のデンマークの要塞を攻撃。
オスマン帝国 - イルミセキザード・メフメト・サイード・パシャが、パリにオスマン帝国の大使として赴任。
ブービー夫人に言い寄られる主人公ジョセフ・アンドリュース トマス・ローランドソン筆 1792年 メトロポリタン美術館蔵グレートブリテン王国 イングランド - ウォルポール時代の終了にともない言論思想の自由伸長。その反面、新聞工作の弊風がはびこる。
旧暦7月 武家方六尺大勢が葺屋町の市村羽左衛門座に乱入し、所々打ち壊したうえ、看板を持ち去る。 下旬 - 日本、信濃で戌の満水(千曲川の洪水)。松代・上田・小諸に被害。
インド - カルナータカのナワーブ、サフダル・アリー殺害。同地が無政府状態に陥いる。
ロシア - 宮廷でロプーヒナ陰謀事件起こる。 イルクーツクに日本航海学校創立。 ロシア・スウェーデン戦争において、フィンランドを占領。フィンランド王国 (1742年)が一時的に成立。
シャルル=アントワーヌ・コワペル筆
スペイン - 外国製の綿製品に対する輸入禁止令を撤廃、経済自由化政策へと転換する。
フランス - フランソワ・ブーシェ筆 フランソワ・ブーシェが『水浴のディアナ』『秋』を完成。同年、『水浴のディアナ』をサロン・ド・パリに出品する。 ジャン=ジャック・ルソーがドゥニ・ディドロと知己を得る。 リヨンでエメ・ド・ラ・ロッシュ(Aimé de La Roche )が売り家、失せ物、その他の案内広告紙を出す。
イタリア - 現在のクーネオ県のブラで、ベルナルド・アントニオ・ヴィットーネの設計によるサンタ・キアラ教会着工。 教皇領 - カトリック教会が、儀式を(中国語ではなく)ラテン語で行うことを中国宣教の規則とすることを決定。 ペーザロで「ジュルナル・デ・トレボー」誌のイタリア語版出る。
ジョゼフ・フランソワ・デュプレクスがフランス王国からポンディシェリ(フランス領インド)の知事に任命される(〜1752年)。
敵討:長崎で喜三次と伝十郎兄弟、母の敵である甚太郎を討つ。
伊予浮穴郡砥部など40ヶ村で暴動。
オーストリア継承戦争、第一次シュレージエン戦争:ディートリヒ・フォン・アンハルト=デッサウ指揮下のプロイセン・ザクセン・フランス連合軍が、モラヴィアのイグラウ(現在のイフラヴァ)を占領。フランスとザクセンはこの時点で、両国のプロイセンに対する義務が履行されたことを宣言し、フランス軍は撤退した。
大坂で2代目市川海老蔵、『雷神不動北山櫻』の「毛抜」(歌舞伎)を初演。旧暦7月まで大入りとなった。
清朝、八旗漢軍の出旗為民(八旗の籍を離れ、一般の民となること)を許し、原籍帰還・外省居住の希望を認める。
陸奥岩瀬郡などの白川藩領7ヶ村で強訴。
ポーランド王スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキがリトアニア大公として、リトアニアの首都ヴィリニュス在住のユダヤ人に対し、ピリエス通りとガルベス通りの両公道以外の市内の居住・転居の自由を認める布告を行う。
江戸幕府、金銭・六道銭を一緒に埋葬することを禁ずる。
朝鮮で全国的に熱病が流行、死者多数。
オーストリア継承戦争、第一次シュレージエン戦争:プロイセン軍、オルミュッツから撤退。 1741年
桜島噴火。
ペルー副王領でフアン・サントス・アタワルパがアタワルパ2世を名乗り、ペルー・アンデス東斜面でスペインの支配に対する抵抗を開始(~1756年)。スペイン軍はこの反乱鎮圧を目指し1742年、1743年、1746年、1750年と長期にわたり軍事行動を起こしたが、アタワルパ2世の捕縛には至らなかった。
幕府、火を持ち歩く商売を禁止。 幕府、寺社勧化の制度を制定。 李氏朝鮮、京城に雲壇を建て僧道の建壇諷経を停止し、僧録司・道録司の僧道官をして斎戒到祭の日に僧道を5廟に分け誦経・祈禱させる。
徳川吉宗のもと、法典『公事方御定書』の下巻、『御定書百箇条』が成り、『公事方御定書』が22年を経て一応の完成をみる(1720年-)。これは、司法・警察関連法規・刑法・訴訟法を編纂したもの。量刑の軽さを印象付けないように、本書は非公開とされた。その後も改訂が進められ、宝暦4年(1754年)に最終的な形となった。
オーストリア継承戦争、第一次シュレージエン戦争:コトゥジッツの戦い。ボヘミアのコトゥジッツで、フリードリヒ大王のプロイセン軍がオーストリア軍を破る。実質的にはこの戦いが大王が軍指揮官として経験した初めての戦いとなった。
ロシア・スウェーデン戦争:スウェーデン軍、ロシア軍からの反撃を受け、ヘルシンキから撤退。
クリスティアン・ゴルトバハが、レオンハルト・オイラーとの書簡のなかで「ゴールドバッハの予想」(全ての2よりも大きな偶数は2つの素数の和として表すことができる)について初めて言及する。
敵討:陸奥江差郡野手崎村(旧江刺市の一部)で百姓の鈴木善六、29年ぶりに父の敵である百姓・六之助を討つ。
江戸幕府によって、御触書をまとめた法令集(のちに『御触書集成』と命名)の編纂始まる。
教皇ベネディクトゥス14世が大勅書『エクス・クオ・シングラリ』 (Ex Quo Singulari) において清の典礼問題を解決。
オーストリア継承戦争、第一次シュレージエン戦争:マリア・テレジアとフリードリヒ2世がベルリン和約を結び、第一次シュレージエン戦争は終了(1740年-)。プロイセンはシュレジーエンの大部分を獲得、ポーランドとともに反オーストリア同盟から離脱した。
"The Origins and Use of the Royston Cave"(1884年)から
イギリス、ハートフォードシャーでロイストン洞窟が再発見。
陸奥信夫郡・伊達郡の120ヶ村で騒動。
ジェンキンスの耳の戦争:フランス兵10名を伴ったフレンチ領ルイジアナのチョクトー族がトンビグビ川を渡り、ジョージア植民地にあるチカソー族の集落を略奪する。以後3日の間に、チョクトー側は50名、チカソー側は25名の犠牲を出した。
アイルランドの詩人で作家のジョナサン・スウィフトが、「不安定な精神と記憶力」(痴呆)とする勧告を裁判所から受ける。スウィフトは3年後の1745年に亡くなるまで、監禁状態での自宅療養を余儀なくされた。
オーストリア継承戦争:イギリスの地中海艦隊、スペイン・ナポリ軍によるロンバルディア侵攻を阻止。代将ウィリアム・マーティンが戦列艦3隻、フリゲート2隻、臼砲艦4隻を率いてナポリに入港、ナポリ王カルロ7世(のちのスペイン王カルロス3世)に、30分以内にスペイン軍の編成からナポリの兵を除くことを迫るメッセージを送る。
ジョージ・アンソンの世界周航:提督ジョージ・アンソンの戦列艦センチュリオンが、船内で病気が蔓延しながらもテニアン島(現アメリカの自治領)にたどり着く。これによって、アンソン一行は世界周航を続行できた。
五畿内で大風雨、三条大橋流出。また、関東地方で暴風雨による大水害(寛保二年江戸洪水)、江戸に水死者多数。溺死者3,800人とも。
幕府が、江戸市中で富士山の加持水を薬の代替として病人に服用させることを取り締まる。 唐津藩領肥前松浦郡で逃散。
江戸本所・深川でなどで大洪水おこる。
大北方探検の生存者46人がペトロパブロフスク・カムチャツキーに帰還。ベーリング海峡で座礁してから10ヶ月後のことであった。彼らは同年8月21日に聖ピョートル号の残骸から新しく船を完成させていた。
幕府、魚・野菜などの販売時期について触をだす。貞享・元禄につづき三度目。
広島藩領安芸高田郡杉原村で強訴。
幕府、諸大名に関東の水害被災地での米穀輸送・販売を許可。
幕府、銅の産出量減少のため銅輸出額を制限(貿易半減令)。
武蔵荒川筋で川普請夫役反対騒動おこる。*
清のオルタイ、子の罪により処分が討議される。
納戸番下吏・井出勘右衛門が死刑。納戸から正平革を盗むなどの罪。
北アメリカ - フィラデルフィアにアメリカ哲学協会が設立。初代会長にはトマス・ホプキンソンが、書記にはベンジャミン・フランクリンが就任。 クエーカーの牧師、ジョン・ウールマンが奴隷制に避難する説法を始める。1758年、クエーカー派は自派の信徒に対して奴隷の売買を禁止した。
イタリア - メッシーナでペストの大流行、4万8000人の死者を出す。 ナポリでカポディモンテ窯が開かれる。 建築家のフィリッポ・ラグッツィーニがサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の改装を指揮。
クリンケンベルグ彗星(「1744年の大彗星」とも)がこの年の末から翌年に渡り観測される。
フランス王国 - フランス全土でフリーメーソンが200の集会所を保持。 ジャン・ル・ロン・ダランベールが『動力学論』を著す。 アレクシス・クレローが『地球形状論』を著す。 ルネ・レオミュールが『昆虫誌』全6巻を完成させる。 シャルル=ニコラ・コシャンがラ・フォンテーヌの寓話のための装画を描く。
清 - 陳廷敬、徐乾学、銭大昕らが地理書の『大清一統志』の第一版を完成させる(乾隆9年とも)。
プロイセン王国 - ベルリン・オペラ座が完成(1741年~)。ゲオルク・ヴェンツェスラウス・フォン・クノーベルスドルフによる設計。
イラン - ナーディル・シャーがイギリスの冒険家、ジョン・エルトンをイラン北部の海軍造船所長に任命。エルトンはカスピ海沿岸の街、ラヒジャンとランガルードで出荷施設の監督に当たった。 オスマン・ペルシア戦争 (1743年-1746年):ナーディル・シャーがオスマン帝国に宣戦布告し、バグダッドに降伏を求めた。
ロシア帝国 - オレンブルク建設。 数千人ものユダヤ人が虐殺される。 表紙
朝鮮 - 全国に伝染病が蔓延する。
オスマン帝国 - アヤソフィア北東部の一角にオスマン・バロック建築(オスマン建築)のイマレット(公共厨房)が建設される。 アスアド・パシャ・アルアズムがダマスクス総督に就任(~1757年)。
スペイン - 財務・海軍・インディアス相ホセ・デル・カンピーリョ・イ・コシオが『アメリカのための新経済政策』を回覧。
グレートブリテン王国 - イングランド - エイブラハム・ダービー2世 が高炉用の送風機駆動用水車のポンプをニューコメン蒸気機関にする。 クリスティアン・フリードリヒ・ゲスナー が『書籍印刷に精通した徒弟』を出版。 ウィリアム・ホガースが連作絵画『当世風結婚』を発表する。
日本 - 尾形乾山筆尾形乾山が「木製彩画乱筥」(現大和文華館蔵)を製作、また「八橋図」を描く。 江戸幕府が甘藷の栽培を奨励。 大坂の金銭売買立会所が高麗橋筋から北浜1丁目に移転。金相場会所と改称する。 大坂の芝居でセリあげ道具が使われ始める。 白鶴酒造が材木屋治兵衛によって創業。
ヴェランドリエ兄弟のロッキー山脈探検:ジャン=バティスト・ド・ラ・ヴェランドリエとフランソワ・ド・ラ・ヴェランドリエ(通称「ヴェランドリエ兄弟」)がヨーロッパ人として初めて東側からロッキー山脈を観測する(西側からはコンキスタドールが既に観測していた)。
ザクセン選帝侯兼ポーランド国王アウグスト3世が、オーストリア帝国との間で、ザクセン選帝侯領がシレジアの一部を獲得する見返りにオーストリア継承戦争に同盟国として参戦することを約束する協定に調印。
フランスの仲介によって、オーボ(現在のフィンランド領トゥルク)でスウェーデンとロシアがロシア・スウェーデン戦争 (1741年-1743年)を終結させるための交渉を開始。同年8月17日、スウェーデンはロシアにフィンランドの南部を割譲した。
世界最古の民間オーケストラであり、ライプツィヒの市民階級による自主経営オーケストラ、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が発足。楽団の名前は、発足から数十年後の1781年、同楽団の拠点をライプツィヒの大学通りにあるゲヴァントハウスへと移したことに拠る。
ヴェランドリエ兄弟のロッキー山脈探検:ヴェランドリエ兄弟が、グレートプレーンズがフランス国王ルイ15世の領地であると主張する文を彫り込んこんだ鉛板を埋める。この板は、170年後の1913年2月16日、サウスダコタ州ピア出身のハリエット・フォスターという女学生によって発見されたことでようやく日の目を見た。
プリトビ・ナラヤン・シャハがゴルカ王国国王として即位 。ネパールの統一の一環として、ヒマラヤ山脈に割拠していた三都マッラ朝、二二諸国、二四諸国を含む54の諸王国の統一に向けて動きだす。
ヴェランドリエ兄弟のロッキー山脈探検:ヴェレンドライエ兄弟が1722年以来初めてヨーロッパ人としてスー族と接触を果たし、彼らのことを"Les Gens de la Fleche Collee"(「鞘付き矢の民」)と記録で言及する。
ヌーベルフランスで、ジャン=バティスト・ル・モワン・ド・ビアンヴィルが、断続的に43年に渡り勤め上げたフランス領ルイジアナ総督の地位の、最後の任期を終える(ニューオーリンズの建設を行うなど植民地の開拓に多いに寄与した)。ピエール・フランソワ・ド・リゴーが後任として就き、10年間勤めることになる。
ムガル皇帝、ムハンマド・シャーがマラーター同盟に対し、マールワー地方を正式に割譲。
スウェーデン王国の四部会は、戦争中であったロシアへの譲歩として、カール11世の曾孫であるホルシュタイン=ゴットルプ家のアドルフ・フレドリクをスウェーデンの王位継承者として選出することを承認する。
オランダ東インド会社の帆船「ホランディア号」が、コーンウォール近くに位置するシリー諸島、アネット島沖の岩に激突し、乗船していた276人全員が溺死する。1971年に発掘調査が行われた。
ジョージ・アンソン指揮下のセンチュリオン号が、アカプルコからの積荷を載せたマニラ・ガレオン「ヌエストラ・セニョーラ・デ・コバドンガ(西:Nuestra Señora de Covadonga)」を拿捕。
ペンシルバニア植民地ランカスターで、ヴァージニア、メリーランド、ペンシルバニアの3植民地とシックス・ネイションズとの間に、 アパラチア山脈の西側とオハイオ川の北側の土地は加盟部族の帰属とする条約が結ばれる。
ティルチラーパッリ包囲戦:マラーター占領下にあったティルチラーパッリをニザーム王国の8万の軍隊が包囲していた(3月~)。守将であったマラーターのムラーリー・ラーオは買収され、同市を放棄した。
清の河道総督、顧琮が限田法の施行を奏上するも、これを許可されず。
サンクトペテルブルク、12棟の学院館の前で、ロシア帝国の女官、ナタリア・ロプーヒナの鞭打ちが行われる。フランスとホルシュタイン公国が企てた「ロプーヒナ陰謀事件」はこれで幕引きとなった。
蝦夷国松前藩、第7代藩主松前資広が襲封。
現在のニューメキシコ州にあたる土地を植民地化試みた9人のフランス系カナダ人のうちの1人、ルイ・マリア・コロンがスペインの現地政府によって処刑される。罪状はプエブロ族に対してスペイン政府への反乱を教唆したことであった。
ベンジャミン・フランクリンがフィラデルフィアで行っていた月食の観測が、雨で中断される。数日後、フランクリンはボストンの住民が月食の数時間後に同じ嵐を観測していたことを知った。これは、天候が西から東へと移動していることを示していた。
オランダ、ジャワ島のパシシール(同島の東北海岸地域)を領有。 12月3日 - 現在のエクアドルの地理学者ペドロ・ヴィセンテ・マルドナドが、フランス科学アカデミーによる測地遠征に用いる最新式の器具を購入するためにブラジルを出発。
広島藩、養殖牡蠣増産に伴い、新規に牡蠣株仲間14株を編成させる。
東アフリカ - オマーンにアラブ系のブーサイード朝成立。モンバサ・スルタン国、オマーンからの独立を宣言。
ルイ・カラヴァク筆 1745年6月28日 - アンハルト=ツェルプスト侯の15歳の娘、ソフィー・アウグスタ・フレデリーケ(後のロシア皇帝エカチェリーナ2世)がルーテル派からロシア正教に改宗、名前もエカチェリーナに改める。
ロシア帝国 - サンクトペテルブルクで帝国磁器工場が設立。
フィリピン - ボホール島でフランシスコ・ダゴホイの一党が山岳を拠点としてスペインに対する抵抗戦争を開始。ダゴホイの乱(〜1829年)。
ドイツ - プロイセン王国 - レオンハルト・オイラーが論文『極大あるいは極小の性質を備える曲線を発見する方法、あるいは一番広い意味で把握された等周問題の解』を発表。この論文を読んだジョゼフ=ルイ・ラグランジュが1755年にオイラーへ書簡を送り、変分法の確立へとやり取りが続けられることとなる。
Female Spectator"創刊号第三刷4月 - イングランドで"The Female Spectator" (月刊誌)がイライザ・ヘイウッドによって創刊。史上初の女性による女性向け定期刊行物であった。
サウード家がムハンマド・イブン=アブドゥルワッハーブを保護(ワッハーブ運動の始まり)。
清 - 乾隆帝が雍和宮を寄進。北京初のチベット僧院、ガンデン=チンチャクリンとなる。 円明園の増築が完了。 『古今図書集成』
第一次ワッハーブ王国成立(〜1818年)。
フランス王国 - ピエール・ルイ・モーペルテュイが『自然の諸法則の一致』で最小作用の原理を提唱する。 イギリスの神学者・グロスター司教のウィリアム・ウォーバートンが著した『証明されたるモーゼの神的派遣』(1737年刊)の仏訳・抄訳本『エジプト人のヒエログリフに関する試論』(または『古代エジプトの象形文字』)出版。
コーカサス- エレクレ・バグラティオニが、宗主国であるアフシャール朝のナーディル・シャーからカヘティ王位を下賜され、エレクレ2世として即位。
日本 - 浮世絵の技法のひとつ、紅摺絵はじまる。 西川祐信が「釣狐図」を八坂神社に奉納。 飛脚の速達便はじまる。
イギリス - 世界最古の国際競売会社、サザビーズがロンドンで創業。 ペンシルベニア植民地のランカスターで、イギリスがイロコイ同盟がインディアン条約を締結。イギリスはオハイオ川北岸のオハイオ渓谷地域を得た。 クリケット競技規則がペル・メルで起草。 ジョン・ウェスレーがイギリス国内を旅し、メソジスト監督教会を組織。
神父ジュゼッペ・ランベルティ殺害を契機に、フィリピンでダゴホイの乱が勃発(〜1829年)。
ジョージ王戦争(オーストリア継承戦争の一環)勃発(米・加、-1748年)。
ロシア帝国財務省が、8月1日までの期限付きで5ペイカ銅貨20枚毎に、それ以降は25枚毎に兌換する布告によって、市場に出回っていた5コペイカ銅貨(20枚でロシア・ルーブルと同価値)を減らそうとした。 その後、同年10月1日には33枚毎、1746年8月28日以降には50枚毎とされた。
オーストリア継承戦争:英仏間の戦争により、両軍がインドでも衝突。カーナティック戦争。
イギリスとフランスが戦闘状態になったというヨーロッパからの報をうけて、ルイブール要塞に駐留していたフランス軍が、ノバスコシア州、カンソーにあるウィリアム・オーガスタス要塞 にあるイギリスの入植地を急襲し、これを降伏させる。
(寛保4年2月21日) - 日本、甲子革令説により改元し、延享元年。
「延享の御造営」。出雲大社の現在の本殿が完成。
江戸幕府、神田佐久間町に天文台建設(〜1757年)。
ジブラルタルから帰還する途上にあった戦列艦2代目ヴィクトリーが、嵐によってイギリス海峡で沈没。1100名の水兵と、提督ジョン・バルチェンを含む複数名の海軍士官が犠牲となる、イギリス海軍にとって未曽有の海難事故となった。難破船はこの事故から264年後の2009年1月に引き揚げられた。
二名法を発案・体系化したカール・フォン・リンネが、水の融点と沸点との間を100分割したセルシウス度を考案したアンデルス・セルシウスの後任として、スウェーデン王立科学アカデミーの総裁に就任。 セルシウスは同年4月に病没していた。
ジョージ王戦争:マサチューセッツ湾植民地の植民地議会であるマサチューセッツ議会が、敵であるインディアン殺害に対して報奨金が支払うことを承認。ミキマク族かマリシート族の頭皮一枚につき100マサチューセッツ・ポンド、これらの部族の女子供の頭皮一枚につき50ポンド支払うことを認可した。
スペインの探検家、アントニオ・デ・ウジョーアとホルヘ・フアン・イ・サンタシリアらが探検を終え、ペルーの港、カヤオからスペインに向けて帰国の途に就く。帰国後、2人はこの探検旅行についてまとめ、1748年に『南米諸王国紀行』として出版した。
(延享元年) - 『御触書寛保集成』、完成。将軍徳川吉宗に提出される。
李氏朝鮮で『続大典』(基本法典である『経国大典』の増補)成る。
オーストリア女大公マリア・テレジアが、ボヘミア王国からユダヤ人住民を退去させることを布告。この布告は、全てのユダヤ人は2週間以内にプラハを退去し、ボヘミア王国全体から1745年には全て追放させるという内容だった。
2月25日から26日に渡って、ヴェルサイユで開催された仮面舞踏会。国王ルイ15世が従者たちと共にヨーロッパイチイのトピアリーに扮していたことからこの名がついた。また、この舞踏会はルイ15世がジャンヌ=アントワネット・ポワソン(のちのポンパドゥール侯爵夫人)と知り合ったきっかけでもあった。
フランス王国 - ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリーが『魂の自然誌』(または『霊魂の自然史』)を発表。 ジャック・ド・ヴォーカンソンが世界初の完全自動織機を製作。 ピエール・ルイ・モーペルテュイが『生身のヴィーナス』を発表。
ペンシルベニア植民地 - アメリカ合衆国に現存するものでは最古のルーテル教会、オーガスタス・ルーサラン教会が聖別を受ける(建物は1743年に完成)。
チベット - ゲルク派によって、宣教師がラサから追放される。
イギリス - 飼育業者、ロバート・ベイグウェルが動物の品種改良の実験を始める。彼の手法は、後に畜産業界に大きな変革をもたらした。 ジョン・ニーダムが微生物の自然発生を強調。
スイス - シャルル・ボネが『昆虫学概論』を発表。
日本 江戸幕府の将軍・徳川吉宗が丹羽正伯らに博物書である『庶物類纂』の再編纂を命じる。 富永仲基が、仏教経典を文献学的に研究・批判した『出定後語』を刊行。 太宰春台が『斥非』を著す。 1739年(元文4年)に禁止された豊後節が大流行。
代替文=ホガースの『衛兵隊のフィンチリーへの行進』|右| 12月4日 - 1745年ジャコバイト蜂起:スコットランド人のジャコバイト軍がイングランド、ダービーの南端の村、スワークストーンまで侵攻。この報を受けてロンドンは恐慌状態に陥ったが、ジャコバイトの軍勢はこの2日後に撤退を開始した。
ドイツとオランダで、電気現象への興味の高まり(#後述)により電気ショックパーティーが流行。
thumb|ジャコバイトの戦旗(1745年)8月19日 - 1745年ジャコバイト蜂起がスコットランド、グレンフィナンで起こる。 チャールズ・エドワード・ステュアートが自身の名を関する戦旗を翻す。
アラビア - ワッハーブ運動:ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブがサウード家と盟約を結ぶ。第一次サウード王国成る。
フィリピン - フィリピン総督領・タガログ5州で修道会アシエンダによる土地強奪に抗議する農民反乱起こる。
オーストリア継承戦争:陸軍元帥カール・ヨーゼフ・バッチャーニ率いるオーストリア軍が、アンベルク市とバイエルン軍の冬営を奇襲し、守備にあたっていたバイエルン軍を潰走させた後、首都であるミュンヘンを攻略する。
バイエルン公国の陥落をもたらしたアンベルクでの壊滅的な敗北から2週間足らずののちに、選帝侯(そして神聖ローマ皇帝を兼ねた)カール・アルブレヒトが、痛風の悪化によってニンフェンブルク宮殿で失意のまま、47歳で崩御する。成人済みの継承者がいない状態であった。
ピエール・ブーゲがフランス科学アカデミーに出席し、フランス科学アカデミーによる測地遠征によって集められた調査結果についての報告を行った。報告は、史上初の地球の円周についての正確な計測にも言及している。
江戸で「六道火事」。死者1323人、焼失家屋2万8000棟。
将軍徳川吉宗、江戸城内紅葉山で法華八講を執行。
大岡忠相、代官支配を罷免され、実質的権限を失う。 カール・レヒリンク作
京都・西陣の高機仲間が成立。
文楽『夏祭浪花鑑』初演。
ジュンガルのホンタイジ(副王)、ガルダンツェリンが崩御。ジュンガルおよびオイラト部族連合が分裂する。
1745年ジャコバイト蜂起:ジャコバイト軍がエディンバラに入城。6日後、チャールズ・エドワード・ステュアートは彼の父、ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアートがスコットランド王ジェームズ8世であると宣言する。
清、四川の流民「嘓嚕子」(かくろし)に対する厳重取締令。
ケスリーン(現ポーランドのコシャリン市) でプロイセンの科学者エヴァルト・ゲオルク・フォン・クライストが史上初のキャパシタを独自に発明。ライデン瓶と通称されるこの装置は、3ヶ月に同様の発明を行ったオランダ、ライデンのピーテル・ファン・ミュッセンブルークの功績に帰せられた。
パンジャーブ、アムリットサルで、シク議会(サルバット・カールサー)が、シク連合軍(ダール・カールサー) の本格的な再編成を、ナワーブ・カプール・シング将軍の指揮下の元、25の騎兵連隊と援軍を以って行うことを決定する 。(当時、シクの勢力圏は、バルーチスターンのアフシャール朝と接していた。)
徳川吉宗、将軍職を辞し、西の丸に移る。「享保の改革」の終わり(1735年、享保20年をもって終わりとする説もある)。
教皇ベネディクトゥス14世が回勅"Vix pervenit"(「高利貸し[ウスラ]とその他の不正な利得について」)を公布する。この回勅は、利息の徴収はローマカトリック教会に背く罪であると非難する内容であった。
松平乗邑、新たに将軍となった徳川家重によって老中職を罷免され、隠居を命じられる。
徳川家重が将軍宣下によって正式に江戸幕府第9代将軍となる。
ジョージ王戦争:フランスとワバナキ連邦(ミクマク族、マリシート族、パサマクォディ族、アベナキ族、ペノブスコット族)の連合軍がサラトガ要塞(現ニューヨーク州、シュイラーヴィル)のイギリス植民地を破壊し、要塞と周囲の建物を焼き討ちにし、15人を殺害した。他103名の生存者は捕虜とされた。
延享3年3月ごろ - 江戸幕府、長崎でのオランダ人の不法行為を勧告(鎖国)。これに伴い長崎貿易をオランダ船2隻、清国船10隻に制限。
13植民地 ノースカロライナ植民地の総督であったガブリエル・ジョンストンが、当時植民地で一番大きい街であったニューバーンへと移り住む。1792年にローリーが新しい州都として建設されるまで、ニューバーンはイーデントンに代わるノースカロライナ州の州都であった。 長老派の大学、ニュージャージー大学(現プリンストン大学)創立。
東アフリカ - アリ・イブン・ウスマン('Ali ibn Uthman al-Mazru'i)がモンバサの君主を名乗る。
西アジア オスマン帝国とアフシャール朝のあいだで、オスマン・ペルシア戦争の講和条約であるケルデン条約(イラク=イラン国境条約)が締結される。 ティベリアを根拠としていたザヒール・アル=ウマルがアッカの支配権を掌握する。
ジャガイモ(馬鈴薯)から片栗粉とアルコールを精製する方法を発見したスウェーデンの作物栽培学者、エクブラッド伯爵夫人が、自身の研究結果をスウェーデン王立科学アカデミーに報告する。
フランス 哲学者で美学者のシャルル・バトーが『芸術基本原則制約論』("Les beaux-arts réduits à un même principe")をパリで出版。史上初めて"les beaux arts"、「純粋芸術」の概念を提唱した。 哲学者、ドゥニ・ディドロが『哲学断想』を完成。
ドイツ- イエナ大学のゲオルグ・エルンスト・ハンベルガー(Georg Ernst Hamburger)が十二指腸潰瘍について報告。 後期バロック建築の代表例のひとつ、ザンクト・ヨハン・ネポムク教会(アザム教会)がミュンヘンに完成(1736年-)。
ヴィールコヴェ(オデッサ州、現ウクライナ)が建設される。
清 乾隆帝、キリスト教に対する弾圧政策(〜1748年)。
イギリス 植民地軍、カナダ遠征。 ジョン・ローバックが鉛室による硫酸製造法を開発する。 ジョシュア・レノルズがイギリス海軍将校ジョン・ハミルトンの肖像画「ジョン・ハミルトン船長」を製作。 詩人のウィリアム・コリンズが『頌歌集』を完成(翌年刊行)。
日本 - 富永仲基の『翁の文』が大坂で刊行される。 大岡春卜が編集を務めたた彩色画譜、『明朝紫硯』(版心『明朝生動画園』)刊行。
現在のラージャスターン州に位置するメーワール王国の君主、ジャガト・シング2世が人造湖ピチョーラー湖に浮かぶジャグニワス島に建てた夏宮、ジャグ・ニワスの落成式を行う。
ムガル帝国のラホール総督、ザカリヤ・カーン・バハドゥールが市中のシク教徒の虐殺を命ずる。
江戸で坪内火事(大火)。宵、戌の刻に築地から出火し、中村座・市村座を焼く。翌日浅草へ飛び火、小塚原で鎮火。
1745年ジャコバイト蜂起を主導したラヴァト卿、キルマーノック伯爵、バルメリノ卿の3人が、イギリス政府によってロンドン塔に収監される。キルマーノック伯爵とバルメリノ卿はその年のうちに、ラヴァト卿は翌年1747年に斬首刑に処された。
清、福建・上杭県で羅日光らによる抗租運動おこる。
加賀藩で加賀騒動起こる。大槻伝蔵蟄居。
プロイセン王国国王フリードリヒ2世が、ソドミー法の罰則としての死刑を停止。これに代わる罰として、「Festungarbeit」(城塞禁錮労働)と、「犯した悪徳行為の重大さと醜悪さを彼らに理解させる」ために説教師の訪問を受けることを推奨した。 (フリードリヒ2世自身、同性愛者かつ不可知論者であった。)
オランダ東インド会社、オランダ領東インド総督のグスタフ・ウィレム・ファン・インホフが、バタヴィア(現在のジャカルタ)でインドネシア初の郵便会社であるポス・インドネシアを開設。1961年、独立後のインドネシア政府によって国有化され、1995年に現在の形となった。
カーナティック戦争:フランス東インド会社軍、マドラス占領(〜1749年)。
1745年ジャコバイト蜂起に失敗したチャールズ・エドワード・ステュアートが、ハイランド西岸に位置するロッホアーバーのアリセグ(Arisaig)村からスカイ島へと逃亡。後年、アリセグ村の東、ナン・ウアム湖(実際には海岸である)のほとりに、この事件を記念して「王子のケアン」が建立された。
三大名作のひとつ、初代竹田出雲らによる浄瑠璃『菅原伝授手習鑑』が大坂竹本座で初演。
カーナティック戦争 - アディヤールの戦い。マドラスからフランス軍を排除しようとしたカルナータカ太守のアンワールッディーン・ハーン率いる1万の軍勢が、パラディ大佐以下フランス東インド会社のフランス兵とセポイを合わせた700人の軍勢によって逆に撃退される。
ジェノヴァの青年、ジョバン・バティスタ・ペラッソの投石をきっかけに、ジェノヴァ市民がオーストリア占領軍と軍政長官であったボッタ・アドルノ侯爵に対する反乱が勃発。彼らは12月11日にはジェノヴァからオーストリア軍を追い出したが、数カ月後にふたたび包囲されることとなる。
大岡忠光、将軍徳川家重の御側御用取次となる。
ベトナム - 広南国の王、阮福濶が、カンボジアで新たに即位したアントンに対する反乱を支援するため、同地に軍隊を派遣。阮氏の軍隊はソクチャンを占領し、カンボジアの首都であるウドン城まで進撃した。
13植民地 - ニューヨーク市の法律家たちにより、アメリカ最初の合法的団体であるニューヨーク法曹協会が組織される。ニューヨーク総督代理、キャドワラダー・コールデンからの攻撃からの自衛を目的とした。
ドイツ プロイセン - ベルリンに最初のレアールシューレ(実科学校)開校。 ゲオルク・ヴェンツェスラウス・フォン・クノーベルスドルフが設計を主導したサンスーシ宮殿が完成。 化学者のアンドレアス・ジギスムント・マルクグラーフがテンサイに糖が含まれていることを発見。
日本 - 丹羽正伯が『庶物類纂増補』(54巻)を完成したことにより、『庶物類纂』が現在の形となる。1697年から段階的に編纂が進められていた。 古方派の医者、吉益東洞が『医断』を著す。 初代常磐津文字太夫が常磐津節を創始。豊後節を改良したもの。
ロシア帝国 - サンクトペテルブルク大学がロシア科学アカデミー内部で再編。 ミハイル・ロモノーソフが『冷と熱の原因に関する考察』を発表。
ネーデルラント連邦共和国 - ベルンハルト・ジークフリート・アルビヌスがライデンで『人体筋骨図譜』を出版。
西アジア - マムルーク勢力がバグダードの支配を掌握。
清 - 米価高騰が問題化。
スイス - レオンハルト・オイラーが色消しレンズの原理を提唱。 アルブレヒト・フォン・ハラーが『生理学要綱』に着手。近代生理学の基を築く。
アントワーヌ=クロード・マイユが、パリのサンタンドレ・デ・ザール通り(現在の6区)で「マイユ」を開業。ルイ15世の御用達となる。 ディドロ、ダランベールら(百科全書派)が『百科全書』の編集を受託。 聖職者・文法学者のガブリエル・ジラールが『フランス語のまことの原理』を発表。
西アフリカ - 東部(現在のベナン)から南部のナイジェリアを占領していたヨルバ人が、ダホメ王国を侵略。ダホメ王国はオヨ王国への貢納が義務付けられる(〜1818年)。
イギリス - 科学者、ウィリアム・ワトソンがライデン瓶を使って電気回路を示す。 サミュエル・リチャードソンの書簡体小説・長編小説『クラリッサ』の刊行始まる(〜1748年)。 議会における政治討議(議事録)の公刊が中断される(〜1752年)。
デンマーク - ソーレに貴族子弟向きのアカデミー、ソーレ・アカデミーが設立される。
大小金川の戦い(十全武功):四川のチベット系ギャロン人土司間の内紛起こる。乾隆帝、雲貴総督の張廣泗に鎮圧を命じる(〜1749年)。
彭城百川が『春秋江山図屏風』を製作。
ガンデンポタンの財務大臣ポラネー没する。その子、ギュルメー・ナムギュルは清に対し独立政策をとる。
スペイン領フィリピン総督代理の司教フアン・デ・アルチェデラが、スペイン軍とスールー・スルタンのアジム・ウッディーン1世(Azim ud-Din I)の軍勢を統合させる。 ビサヤ諸島で発生していたモロ人の反乱を鎮圧が目的であった。
スコットランドの貴族、ラヴァト卿サイモン・フレイザーが、チャールズ・エドワード・ステュアートを王位につけんがためにイギリス王ジョージ2世に対して起こした、1745年ジャコバイト蜂起の首謀者の一人であった廉で反逆罪に問われ、有罪・死刑判決を受ける。
オーストリア継承戦争に伴うフランス軍の侵攻により、オラニエ公ウィレム4世がオランダ全州の総督に任命される。
カーナティック戦争 - ナンジャ・ラージャ(クリシュナ・ラージャ2世の兄弟)率いるマイソール王国の軍隊がデーヴァナハッリ城を攻略する。この戦役に従軍したハイダル・アリーが軍功を認められ、軍人として名を挙げることとなった。
遠江で、東海道の盗賊日本左衛門(歌舞伎『白浪五人男』の日本駄右衛門のモデル)が見附で獄門に処される。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハが、ポツダムに同年完成したサン・スーシ宮殿でフリードリヒ2世と謁見、御前で即興演奏を行う。同年7月には楽譜に書き起こしてフリードリヒ2世に献呈し、さらに9月末には新しく作曲したカノンとリチェルカーレ、フルートの参加するトリオ・ソナタを加えたものを『音楽の捧げもの』として出版する。
江戸城二の丸が焼失する。
桜町天皇の譲位により桃園天皇が受禅践祚。改元は翌年に行われた。
ウィリアム・ムーア船長とフランシス・スミス船長の指揮のもと、イギリスのガレー船ドッブス号とカルフォルニア号がハドソン湾を探検航海し、この湾経由の北西航路は存在しないこと発見する。この探検についての報告は、のちにジョージア植民地の総督となるヘンリー・エリスによって出版された。
八旗漢軍人に外省居住が許される。
オーストリア継承戦争 – ラウフフェルトの戦い。モーリス・ド・サックス元帥率いるフランス軍がハノーファー・グレートブリテン・ネーデルラントの同盟軍相手に決定的な勝利を収める。これによって、フランス・オーストリア戦争の趨勢がほぼ決した。
ベンジャミン・フランクリンが英国王立研究所フェローのピーター・コリンソン宛に、静電気を蓄える装置、ライデン瓶についての実験報告を送る。翌1748年ふたたび送った手紙のなかでフランクリンは、電気の概念(充電、放電)について触れていた。これらの用語および概念を史上初めて用いたのはフランクリンであった。
「細川宗孝殺害事件」。江戸城殿中で、旗本板倉勝該が熊本藩主の細川宗孝を刺殺。
ヒジュラ暦1160年シャウワール (第10月)7日、カンダハールのパシュトゥーン族長たちが大会議(ロヤ・ジルガ)を開き、アフガニスタンの指導者にドゥッラーニー部族連合のアフマド・シャー・ドゥッラニーを選出する。これをもってドゥッラニー帝国が建国された(〜1842年)。
乾隆帝、各省の督撫に米貴問題(米価高騰問題)の解決策について諮問する。
ベンジャミン・フランクリンがペンシルベニア植民地初の民兵組織であるペンシルバニアアソシエイターズを組織する。同植民地は平和主義であったクエーカー教徒によって整備されたため、既存の民兵組織が無かった。
メリーランド植民地船籍の貨物船であったスループ船エンデヴァー号の漂流。アナポリスを出港して西インド諸島に向かって航海を行っている最中に、ハリケーンに巻き込まれる。マストと索具が失われたままエンデヴァー号は6ヶ月ものあいだ漂流したのち、スコットランド、タイリー島に漂着した。
大坂、竹本座で竹田出雲ら作『義経千本桜』が初演され成功する。
清(乾隆13年) - 台湾新竹市に新竹都城隍廟が建設される。 全国で食料暴動頻発。
レオンハルト・オイラーがベルリンで、純粋解析学について説いた『無限解析入門』を出版。 フリードリヒ2世がサンスーシ公園にロマン主義的廃墟、廃墟の丘を建設。
ロシア - オーストリア継承戦争:ライン川戦役。ヴァシーリー・アニキーチチ・レプーニン率いるロシア軍3万が、フランスに対抗するためライン川まで到着。
スコットランド - アダム・スミスがエディンバラで、初めて教壇に立つ(スコットランド啓蒙)。
神聖ローマ帝国 - フリードリヒ・ゴットリープ・クロプシュトックが『ブレーメン論集』誌(ライプツィヒ)上で、彼にとって最初の3つのカント (文学)である、ヘクサメトロスで綴られた叙事詩『救世主』を匿名で出版。
チベット - スムパ・ケンポ・イェシェー・ペルジョルが、歴史書『パクサム・ジュンサン』(蔵:Dpag bsam ljon bzang)を完成。
フランス - サロン・ド・パリが審査制度を導入。展示選考、および賞を設ける。 シャルル・ド・モンテスキューが『法の精神』を発表。 ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリーが『人間機械論』を発表。 アーヘンの和約締結によってオーストリア継承戦争終結した後、ルイ15世は所得税を免除するという公約を撤回。
エジプト - イェニチェリの一派、カーズダグリーヤ派による支配権が確立。イブラーヒーム・ケトビュダーとリドワーン・ケトビュダーの二頭政治(〜1754年)。
ポンペイが再発見される。
18世紀中期から後期リチャード・ペイトン筆 グリニッジ王立博物館蔵3月11日 - アフマド・シャー・ドゥッラーニーのインド遠征:マヌプールの戦い。
ボヘミア王国 - プロコプ・ディヴィシュが、世界初の電子音器、デニスドールを発明。
スウェーデン - スウェーデン王立科学アカデミーがエヴァ・エーケブラーを初の女性会員として迎える。 ロシアの脅威に対抗するため、ヘルシンキ近郊でスヴェアボリ要塞が着工。この要塞は1918年に「スオメンリンナの要塞」と改称され、1991年には世界遺産に登録された。
イギリス - ウィリアム・ホガースが『カレーの門』を完成。翌1749年3月には、チャールズ・モズレーの手による同作品の銅版画が発売された。 ホレス・ウォルポールが、自身の別荘であるストロベリー・ヒル・ハウスの改築に着手。
スペイン - 探検家のアントニオ・デ・ウジョーアが南米のプラチナの価値に気づく。プラチナはコロンビアのコルディエラ・オクシデンタル山脈やペルー中部の鉱山で発掘された。
李氏朝鮮が日本に朝鮮通信使を派遣。
ヌエバ・エスパーニャ副王領よりさらに北方、現在のテキサス州中部でのカトリック伝道団体として、聖ガブリエル会が始動する。副王フアン・フランシスコ・デ・グエメスの命令で、司教フリアル・マリアノ・マルティによって聖フランシスコ・ハビエル伝道所が今のテキサス州ミラム郡にあたる、サンガブリエル川の畔に築かれる。
コーンヒル、エクスチェンジ・アレーで出火、シティ・オブ・ロンドンを2日に渡って焼く。サミュエル・ジョンソンは後年、「都市の火災は、そのすべての混乱と付随する苦痛とで、この世界が人の目に見せうる最も恐ろしい光景の一つである」と書き残した。1世紀以上のちに描かれた記録では「この火災は火災保険の発展を促した」としている。
アフガン軍を追撃中に死亡した父ムハンマド・シャーに代わり、アフマド・シャーがムガル皇帝に即位。
蘇州で顧堯年らが米騒動を起こす。
オランダ共和国がマーストリヒトの支配権をフランスに返還することに同意したとの報をうけて、サックス将軍に代わって包囲軍を指揮していたレーヴェンダール伯は開かれた市門を軍隊とともに行進し、同要塞の降伏を受け入れた。
ホセ・デ・エスカンドンが、ヌエバ・エスパーニャ副王によってヌエボ・サンタンデールの初代王室総督に任命される。新しく置かれたヌエボ・サンタンデールは、現代のメキシコ・タマウリパス州と、サンアントニオとコーパスクリスティを含むアメリカ合衆国・テキサス州のグアダループ川以南の地域に当たった。
第一次カーナティック戦争:仏領インド軍からセント・デイビッド要塞を防衛するため、英海軍提督エドワード・ボスコーエン麾下戦列艦28隻がインド南東部に到着。歴史家のフランシス・グロースが後に記したところによると、ボスコーエンは「東インド史上前例のない」大規模な艦隊を率いていた。
第一次カーナティック戦争:ボスコーエン提督が、ジョゼフ・フランソワ・デュプレクスとフランス東インド会社の軍勢が守備していたポンディシェリーの包囲を始める。これは、第一次カーナティック戦争の大規模な戦闘としては最後のものとなった。同年10月27日、モンスーンによってイギリス軍は包囲を断念、作戦は失敗に終わった。
キベリタテハの英名"Camberwell beauty"が、発見されたロンドン、キャンバーウェルにちなんで命名。
ペンシルベニアの毛皮商人たちがオハイオ地域で交易所を拡大。同地域に住むインディアンとの話し合いを経て、彼らの信頼を得た。
桃園天皇即位。延享から寛延に改元。
ドイツ出身の伝道者、ヘンリー・ミューレンバーグが主催したフィラデルフィアでの会議に、ルーテル派正統主義や敬虔主義の牧師たちが参加し、アメリカ大陸初のルーテル教会組織が築かれる。両会派はこの会議において、公的礼拝を統制する共通の典礼を作ることで合意した。
バイロイト辺境伯歌劇場が完成。こけら落としは、前年の1747年に、劇場の完成を待たずに行われていた。2010年に世界遺産に登録。
債務者監獄に収監されていたジョン・クレランドが『ファニー・ヒル』の第1部を出版。
寺社奉行大岡忠相、奏者番に兼任。また、1万石の大名になる。
清、内閣大学士の定員を定める。
(旧暦5月の末頃)稲生平太郎、備後三次で怪奇現象に出会う。後年、このできごとを基に『稲生物怪録』がまとめられた。
池大雅、金沢の四序閤で『陸懊奇勝図巻』(重要文化財)を描く。
直方隕石が日本、現在の福岡県直方市に落下。伝承、および記録では、貞観3年(861年)に落下したとしている。
広島、岡山、兵庫、京都から江戸にかけて大風雨が襲い、大規模な洪水が発生。死者約3,000人。兵庫での被害が特に大きく、姫路城下では大洪水となって約1,000人が死亡した。
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よくある質問
1740年代は何年から何年まで?
1740年代は1740〜1749年です。
1740年代に起きた主な出来事は?
1740年代(1740〜1749年)は、ヨーロッパでオーストリア継承戦争や第二次シュレージエン戦争が戦われ、ベーリング探検隊のアラスカ上陸やポンペイの再発見もありました。日本では幕府が御触書の法令集の編纂を始め、関東で大水害が起こりました。
参考にした Wikipedia の記事(40 件・CC BY-SA 4.0)
- 1740年
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- 4月10日
- 6月25日
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- 9月14日
- 1742年
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- 2月16日
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- 6月11日
- 1743年
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- 1744年
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- 1745年
- 2月18日
- 5月11日
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- 6月16日
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- 10月4日
- 11月8日
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- 1月8日
- 4月16日
- 7月3日
- 10月29日
- 1747年
- 5月14日
- 10月25日
- 1748年
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- 1749年
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