紀元前120年代(紀元前129〜前120年)の出来事年表

WORLD HISTORY · 紀元前500〜前1年

紀元前120年代の出来事紀元前129〜前120年

35件出来事
紀元前〜2026年の、1年ごと・10年ごとのページがあります

紀元前120年代に起きた主な出来事は?

紀元前120年代(紀元前129〜前120年)は、前漢で衛青や霍去病が匈奴を破って河西回廊を領土とし、張騫が長安に帰還しました。ローマではガイウス・グラックスが護民官となって改革を進めましたが、公敵とされて自害し、ガリア・ナルボネンシスが属州となりました。

  1. ペルガモン王国がローマの属州アシアに世界
  2. パルティアがクテシフォンに遷都世界
  3. エクバタナの戦いでセレウコス朝敗北世界
  4. 衛青が匈奴から河南の地を奪う世界
  5. 張騫が長安に帰還する世界
  6. ガイウス・グラックスが護民官に世界
  7. ローマがガリア・ナルボネンシスを属州化世界
  8. 霍去病が匈奴を破り河西回廊を獲得世界

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紀元前120年代の出来事(年表・35件)

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日本アジア中東オセアニア北米中南米ヨーロッパアフリカ
紀元前130年代から続く
紀元前120年代

紀元前129年

紀元前133年にアッタロス朝最後の王であるアッタロス3世が死亡した後、僭王となったエウメネス3世がカッパドキアの支援を得たペルペルナによって討たれたことにより、ヒエラポリスを含むアッタロス朝ペルガモン王国が、共和政ローマの属州(アシア属州)になる。

中東ヨーロッパ

紀元前129年

パルティアに解放されたデメトリオス2世ニカトルがセレウコス朝の王に復位する。

中東

紀元前129年

ヒッパルコスが星図を出版。

ヨーロッパ

紀元前129年

漢の武帝が匈奴に対して北西部への侵攻を開始する。

アジア

紀元前129年頃

パルティアがヘカトンピュロスからクテシフォンに都を遷す。

中東

紀元前129年

ヒッパルコスが皆既日食を利用して、月への距離を推測する。

アジア

紀元前129年

第三次ポエニ戦争の勝者であるスキピオ・アエミリアヌス(小スキピオ)が、政敵によりローマで暗殺される。

ヨーロッパ

紀元前129年

エクバタナの戦い:セレウコス朝のアンティオコス7世がフラーテス2世のパルティアに敗れ、殺害される。セレウコス朝はメディア、メソポタミアの支配権を失う。

中東

紀元前128年

リメニウスが第二のデルフィの賛歌を作曲した。

ヨーロッパ

紀元前128年

ハスモン朝のヨハネ・ヒルカノス1世がサマリア人のゲリジム山の神殿を破壊する。

中東

紀元前128年

アルタバヌス1世がパルティアの王になった。

中東

紀元前128年

執政官:ティトゥス・アンニウス・ルフスとグナエウス・オクタウィウス

ヨーロッパ

紀元前128年

前漢の武帝が薉(濊)君南閭らの投降を受けて蒼海郡を設置した。

アジア

紀元前127年

メディア王国での戦いで、スキタイがパルティア軍を破った。

中東

紀元前127年

前漢で推恩の令。 前漢の将軍衛青が匈奴から河南(オルドス地方)を奪う。

アジア

紀元前126年

張騫が長安に帰還する。

アジア

紀元前126年

ティルスはセレウコス朝に対して反乱することに成功した。

中東

紀元前126年

セレウコス5世フィロメトルは、父であるデメトリオス2世ニカトルの後を継いでセレウコス朝の王になったが、年が若かったため、義母のクレオパトラ・テアが摂政として実際の政治を行った。

中東

紀元前126年

前漢の武帝が蒼海郡を廃止した。

アジア

紀元前125年

執政官マルクス・フルウィウス・フラックスがローマ市民権を北イタリア住民に与えることを提案するが、元老院はこれに対してフラックスをマッシリア(現在のマルセイユ)の叛乱平定に派遣し、ガリア・トランサルピナ征服が始まる。

ヨーロッパ

紀元前125年

セレウコス5世の死亡により、クレオパトラ・テアがセレウコス朝の支配を継いで、アンティオコス8世を共同統治者に指名する。

中東

紀元前124年

クレオパトラ2世と弟のプトレマイオス8世が和解した。

中東アフリカ

紀元前124年

フィレガラエでローマ帝国に対する反乱が起こった。後に街は占拠され、ローマ軍に破壊された。

ヨーロッパ

紀元前124年

パルティアでミトラダテス2世がアルタバヌス1世の後を継いだ。

中東

紀元前123年

Lex Acilia repetundarum法が成立した。

ヨーロッパ

紀元前123年

共和政ローマでガイウス・グラックスが護民官となる。

ヨーロッパ

紀元前123年

執政官ガイウス・セクティウス・カルウィヌスによって、Aquae Sextiaeという名前でエクス=アン=プロヴァンスの街が建設された。

ヨーロッパ

紀元前122年

淮南王劉安が自害する。

アジア

紀元前122年

マルクス・フルウィウス・フラックスとガイウス・グラックスは護民官となり、共和政ローマを急改革した。

ヨーロッパ

紀元前121年

ハエドゥイ族と同盟した執政官クィントゥス・ファビウス・マクシムス・アッロブリギクスは、ガリア・ナルボネンシスでアルウェルニ族とアッロブロゲース族を破り、ローマ帝国の属州にした。

ヨーロッパ

紀元前121年

ローマで裁判が行われ、グラックス軍の3000人以上が処刑された。

ヨーロッパ

紀元前121年

元老院は、執政官のルキウス・オピミウスに、共和制を維持するための無制限の権力を与える内容のsenatus consultum ultimumを決議した。彼は元老院の軍を集め、ガイウス・グラックスと対峙した。ローマ国内で会戦が行われ、グラックスが戦死した。

ヨーロッパ

紀元前121年

中国の将軍霍去病が匈奴を破った。

アジア

紀元前121年

元老院最終勧告によりガイウス・グラックスが公敵と見做され逃亡した後に自害、支持者3000人余も処刑される。 共和政ローマがガリア・ナルボネンシス(ガリア・トランスアルピナ)を属州にする。

ヨーロッパ

紀元前121年

祁連山脈を本拠としていた匈奴の伊稚斜単于が前漢の霍去病に敗れ、河西回廊は前漢の領土となる。 河西回廊には酒泉郡(紀元前121年)、武威郡(紀元前115年)、張掖郡(紀元前111年)、敦煌郡(紀元前88年)の四郡を設置する。

アジア

紀元前110年代へ続く
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出来事人物名人物の誕生(地域の色)転換点(時代の大きな流れ)複数地域にまたがる出来事

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よくある質問

紀元前120年代は何年から何年まで?

紀元前120年代は紀元前129〜前120年です。

紀元前120年代に起きた主な出来事は?

紀元前120年代(紀元前129〜前120年)は、前漢で衛青や霍去病が匈奴を破って河西回廊を領土とし、張騫が長安に帰還しました。ローマではガイウス・グラックスが護民官となって改革を進めましたが、公敵とされて自害し、ガリア・ナルボネンシスが属州となりました。

参考にした Wikipedia の記事(10 件・CC BY-SA 4.0)

Wikipedia 日本語版の記事。文章は CC BY-SA 4.0 で提供されています。

各行の要約は inv-world による独自の文章です。Wikipedia 以外の出典は各行に、参考にした Wikipedia の記事はページの下にまとめて載せています(Wikipedia の記事は CC BY-SA 4.0)。日付は資料の表記を優先し、ユリウス暦・旧暦の日付にはグレゴリオ暦の換算日を併記しています。このページには広告(アフィリエイトリンク・Google AdSense)を含みます。広告には「PR」または「スポンサーリンク」と表示しています。

執筆者: 瀬尾