WORLD HISTORY · 紀元前500〜前1年
紀元前470年代の出来事紀元前479〜前470年
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紀元前470年代に起きた主な出来事は?
紀元前470年代(紀元前479〜前470年)は、プラタイアの戦いなどでギリシア軍が勝ってペルシアの侵攻が頓挫し、アテナイを盟主とするデロス同盟が結成されました。中国では越王勾践が呉を滅ぼし、日本では現在のさいたま市に氷川神社が建立されました。
- プラタイアとミュカレでギリシア勝利世界
- 曲阜に孔子廟が建てられる世界
- アテナイ中心にデロス同盟が結成世界
- さいたま市に氷川神社が建立日本
- 越王勾践が呉を滅ぼす世界
- アイスキュロスが『ペルシア人』を書く世界
- テミストクレスが陶片追放される世界
- オリュンピアでゼウス神殿の建設開始世界
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紀元前470年代の出来事(年表・63件)
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PC版では、地域ごとの縦の線で出来事の流れを図として追えます。同じ時期に世界の別の場所で何が起きていたかが、ひと目で比べられます。
ポティダイアを津波が襲った。
テッサリアに拠点を置いたアケメネス朝ペルシア帝国の指揮官マルドニオスは、アムピロキコ・アルゴスと西アルカディアの支持を取り付けた。マルドニオスはアテナイの制圧を図ったが、失敗した。
衛の孔悝が宋に亡命した。
マルドニオスは、再度アテナイを攻め、アテナイ市民たちは退却を余儀なくされ、町は破壊された。ペルシア軍に対抗し、アテナイを支援するために、スパルタ軍が北上した。
楚で白公勝の乱が起こった。白公勝は子閭を楚王に立てようとしたが、子閭はこれを固辞して殺された。沈諸梁(葉公子高)が反乱を鎮圧し、白公勝は自殺した。
プラタイアの戦いとミュカレの戦いにギリシア軍が勝利し、ペルシアの侵攻が頓挫する。 「ペンテコンタエティア」と呼ばれる「50年間の休戦期間」が始まる。 ギリシア側の勝利を記念してデルポイに「青銅の蛇の柱(現在はイスタンブル考古学博物館蔵)」が設置される。 孔子が死去し、曲阜の城北の泗水のほとりに葬られる。
衛の荘公が戚から衛に入国した。出公は魯に亡命した。
ボイオーティアで戦われたプラタイアの戦いにおいて、スパルタの先王レオニダス1世の甥であるパウサニアスが率いたギリシア軍は、マルドニオス将軍が率いるペルシア軍のギリシア侵攻に引導をわたした。アテナイ勢を率いていたのは、故国に戻ってきたアリステイデスであった。マルドニオスは戦死し、ギリシア側は莫大な戦利品を得た。
楚の公孫朝が陳を滅ぼした。
今日の曲阜市に孔子廟が建設された。
パウサニアスがビュザンティオンを占領している間、彼の傲慢さとペルシア風の衣服や習慣の選択が同盟国の気分を害し、不忠の疑惑をかけられた。パウサニアスはスパルタに呼び戻され、そこで無罪を訴えたが、自身の指揮権を取り戻せなかった。
斉の平公と魯の哀公が蒙で会盟した。
アテナイの政治家で将軍のキモンの協力を得て、アリステイデスは30隻の船からなるアテナイ軍に対し、スパルタの司令官パウサニアスがキプロス内のギリシアの都市を解放し、ペルシアとフェニキアのその同盟国からビュザンティオンを奪還するように命じた。
兄ゲロンの死を受けて、ヒエロン1世がシュラクサイの僭主となった。
スパルタの反対にもかかわらず、アテナイはペルシアに破壊された街を再建し、再強化した。
アテナイを盟主とするデロス同盟が結成される(〜紀元前404年)。 この時期のアテナイを「アテナイ海上帝国」とも呼ぶ。一方でスパルタはギリシアでの指導権を放棄し内向化。
衛の太子疾が渾良夫を殺害した。
晋の趙鞅が衛を包囲した。
越王勾践が呉軍を笠沢に破った。
クレメラ川の要塞に駐留する共和政ローマ軍は、クレメラ川の戦いでウェイイに敗れた。
宋で皇瑗が殺害された。
巴人が楚に侵入して、鄾を包囲した。
エーゲ海周辺のギリシアの港湾都市は、これ以上スパルタの支配下に置かれることを望まず、デロス島はアリステイデスを通じてアテナイに忠誠を誓った。これらの都市は、キモンを指揮官としてデロス同盟を結成した。
スパルタの共同支配者レオテュキデスとアテナイの指導者テミストクレスは、ギリシア北部を奪回するための海軍及び陸軍を率い、アケメネス朝ペルシアを支援していた貴族のアレウアス家を罰した。レオテュキデスはテッサリアでの作戦において賄賂を受けたとして捕まった。
衛の石圃が衛君起を追放して、起は斉に逃れた。出公が斉から帰国して復位した。
越が楚に侵入した。
テミストクレスを犠牲にして、アテナイのキモンが力を付けた。彼はパウサニアスとスパルタ人をボスポラス海峡周辺の地域から追放した。パウサニアスがアケメネス朝と通じていることを知ったスパルタ人は、彼を呼び戻した。
楚の公子慶と公孫寬が撤退する越軍を追撃して冥にいたったが追いつけなかった。
キモンの下で、デロス同盟はペルシアとの戦いを継続し、イオニアの町をペルシアの支配から解放した。
ギリシアの詩人ピンダロスはシチリアを訪れ、アクラガスのテロンとシュラクサイのヒエロン1世の宮殿で歓迎された。彼らはピンダロスに詩の作成を発注した。このような繋がりがピンダロスの評判がギリシア中に広がった原因となったと考えられている。
楚の沈諸梁(葉公子高)が東夷を攻撃し、三夷の男女と敖で盟を結んだ。
テッサリアへの遠征の間、アケメネス朝ペルシアに協力していたアレウアス家から賄賂を受けていた罪で有罪判決を受け、スパルタ王レオテュキデスはテゲアに逃れた。彼には国外追放刑が下され、住居は破壊され、孫のアルキダモス2世が王位を継いだ。
ポリュグノトスが製作活動を開始した。
晋の趙無恤が亡父の服喪のために食膳を減らし、呉王夫差のために出兵できない無念のためにさらに減らした。
キモンは、アテナイ軍を率いてスキロス島を攻撃し、その島に元々住んでいた人々は、海賊と見なされて追放された。
斉を中心に廩丘で会盟がおこなわれ、晋に対する攻撃が謀議されたが、鄭が脱落したため、密約は成らなかった。
元王が周の王となった。
シュラクサイの僭主ヒエロン1世は、クーマエの僭主アリストデモスと同盟を結び、クマイの戦いで、イタリアのギリシア都市クーマエを占領しようとしたエトルリア人の海軍を破った。この勝利により、エトルリア人による南イタリアのギリシア領土への侵攻は終わり、またエトルリア人によるカンパニアの支配も終わった。
ヒエロン1世は、イスキア島にアラゴン城を建てた。
斉が魯と邾と顧で会盟した。
ギリシアの詩人ピンダロスは、シュラクサイのヒエロン1世の宮殿での2年間の滞在を終え、ティーヴァに移住した。ティーヴァで、彼は、古代オリンピックやその他の競技会での勝利を称える叙情詩の頌歌を作った。
クセルクセス1世は、インドからエチオピアに至るアケメネス朝ペルシアの全127州の全ての都市において、ユダヤ人が反対者から自身の生活を守るために団結する権限を与える法令を発布した。
ターラントは、Messapii、Peuceti、Lucaniansに対抗するため、レギオンとの同盟に合意したが、ターラントとレギオンの連合軍は、カイリア(今日のチェーリエ・メッサーピカ)近郊で敗れた。
越が魯に初めて使者を送った。
邾の隠公が斉から越に逃れた。越が隠公を帰国させると、邾の太子革は越に亡命した。
現在の埼玉県さいたま市に氷川神社が建立された。
越王勾践が都の姑蘇を陥落させ、呉王夫差を自殺に追い込み、呉を滅ぼす。
越が呉を滅ぼし、呉王夫差は自ら縊死した。
徐州会盟により越王勾践が覇者となる。
アイスキュロスが悲劇『ペルシア人』を書いた。これは、現存する最古のギリシア劇である。
晋の智瑶が斉を攻撃し、犁丘で会戦して斉軍を破った。
アテナイによる攻撃の後、エヴィア島のカリストゥスは、デロス同盟への加入を強制された。
アテナイの政治家テミストクレスは、自身の横柄さと賄賂の疑惑により、市民の信頼を失った。その結果、彼は陶片追放され、アルゴスに隠居した。
マグナ・グラエキアにピクスンテ植民地が建設された。
魯の哀公が越を訪問した。
アテナイとピレウスを結ぶ「テミストクレスの壁(マクラ・テイケー)」が建設される。
テミストクレスが陶片追放によりアテナイからアルゴスに亡命。 「デルポイの御者」が作られる(デルポイ博物館蔵)。 イタリア南部パエストゥムの「ダイバーの墓」が作られ「饗宴」の壁画が描かれる。 イタリア中部タルクィニアの「豹の墓」が作られ「饗宴」の壁画が描かれる。
ギリシアのオリュンピアでゼウス神殿の建設が始まる。ラピタイ族とケンタウロス族の争いの中に立つアポローンのレリーフ彫刻(現在、断片がオリンピア考古学博物館蔵)も、その一部として制作されたものである。(おおよその年代)
パンの画家 (Pan Painter) が、アルテミスがアクタイオーンを殺す場面を赤絵式の技法で描き込んだ鐘型クラテール(ワインを水で希釈するのに用いる土器)を制作した。(おおよその年代)
デルポイのアポローン神殿に、紀元前478年ないし紀元前474年のピューティア大祭における勝利の記念物として、デルフィの御者 (Charioteer of Delphi) 像(現在は、デルフィ考古学博物館蔵)が立てられた。(おおよその年代)
パウサニアスは、ヘイロタイの反乱を煽動してスパルタの実権を握ろうとしていると疑われ、捕縛を逃れてアテーナー=カルキオイコス(青銅の家のアテーナー)神殿 (the Temple of Athena of the Brazen House) に逃げ込んだ。
衛の出公が宋に亡命した。
魯の哀公が越から帰国した。
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よくある質問
紀元前470年代は何年から何年まで?
紀元前470年代は紀元前479〜前470年です。
紀元前470年代に起きた主な出来事は?
紀元前470年代(紀元前479〜前470年)は、プラタイアの戦いなどでギリシア軍が勝ってペルシアの侵攻が頓挫し、アテナイを盟主とするデロス同盟が結成されました。中国では越王勾践が呉を滅ぼし、日本では現在のさいたま市に氷川神社が建立されました。
参考にした Wikipedia の記事(11 件・CC BY-SA 4.0)
Wikipedia 日本語版の記事。文章は CC BY-SA 4.0 で提供されています。
各行の要約は inv-world による独自の文章です。Wikipedia 以外の出典は各行に、参考にした Wikipedia の記事はページの下にまとめて載せています(Wikipedia の記事は CC BY-SA 4.0)。日付は資料の表記を優先し、ユリウス暦・旧暦の日付にはグレゴリオ暦の換算日を併記しています。このページには広告(アフィリエイトリンク・Google AdSense)を含みます。広告には「PR」または「スポンサーリンク」と表示しています。