WORLD HISTORY · 紀元前500〜前1年
紀元前460年代の出来事紀元前469〜前460年
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紀元前460年代に起きた主な出来事は?
紀元前460年代(紀元前469〜前460年)は、キモンがエウリュメドン川の戦いでペルシアに勝ち、アテナイではペリクレスらがアレオパゴス会議から実権を奪いました。スパルタでは地震を機に第三次メッセニア戦争が起こり、日本では鳥海山が噴火しました。
- 越王勾践が都を瑯琊に遷す世界
- 史記などに記された彗星が出現世界
- エウリュメドン川の戦いでキモン勝利世界
- 秋田・山形県境の鳥海山が噴火日本
- アルタクセルクセス1世が即位世界
- スパルタ地震から第三次メッセニア戦争世界
- アレオパゴス会議が実権を失う世界
- 第一次ペロポネソス戦争が起こる世界
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紀元前460年代の出来事(年表・70件)
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ナクソス島はデロス同盟からの脱退を望んだが、アテナイに拒否され、ナクソス島は朝貢を納める義務のある加盟都市となった。この仕打ちは、他のギリシアの街も高圧的に感じ、不信感を募ることとなった。
越・魯・宋らが衛に遠征して、出公を復位させようとしたが、果たせずに撤退した。
テミストクレスはアテナイを追放された後、ペルシアの支配下にある内陸のイオニア人の街であるエーゲからマグネシアを巡った。
ギリシアの劇作家ソポクレスがアイスキュロスを破ってAthenian Prizeを受賞した。
貞定王が28代目の周の王となった。
越王勾践が舌庸を魯に派遣した。
魯の哀公が三桓氏の排除を図って失敗し、出奔した。
スパルタ近郊のアルカディアが、アルゴスの支援を得て、スパルタに反抗した。アルゴスは、ティリンスの支配権を得た。
晋の智瑶が鄭を攻撃した。
越王勾践が都を会稽から瑯琊に遷す。
アンティウムがローマ軍に占領された。
アイスキュロスの戯曲『ペルシア人』がシチリアで再演された。
アイスキュロスが『テーバイ攻めの七将』を書き、ディオニューシア祭で優勝した。
秦の庶長が兵を率いて魏城を攻め落とした。
前漢の歴史書『史記』やローマ帝国の百科全書『博物誌』によると彗星が出現した。のちのハレー彗星に比定する説がある。
3度執政官になったクィントゥス・ファビウス・ウィブラヌスが、初めての執政官に就任した。
兄のヒエロン1世の死後、トラシュブロスがシュラクサイの僭主となった。
キモンは、アケメネス朝ペルシアとの戦線を小アジアまで拡大し、パンフィリアでのエウリュメドン川の戦いで勝利を収めた。これは、ペルシアにとって決定的な敗北となり、キモンの陸軍と海軍はペルシアの居留地を占領し、200隻の三段櫂船を含むペルシア軍全体を捕虜とした。
僭主トラシュブロスは、シュラクサイの市民によって追放された。街は、民主制に移行した。
マグナ・グラエキアのギリシアの植民地ターラントは、プッリャの先住民に敗れた。その結果、ターラントの君主制は崩壊し、民主制に移行した。
秋田県・山形県境の鳥海山が爆発的噴火。
鳥海山が噴火し、大規模な山体崩壊を引き起こす。 エウリュメドン川の戦いでギリシア軍がペルシア軍に勝利。
アテナイのアゴラの西側に円形建造物が建造された。
アケメネス朝ペルシアの王クセルクセス1世は、長男とともに大臣のアルタバノスに殺害された。ペルシアの将軍メガビュゾスは、この暗殺の首謀者の1人と考えられている。
タソス島は、内陸地のトラキアとの競争、特に金山の所有が原因で、デロス同盟から離反した。キモンに率いられたアテナイ軍はタソス島を攻撃し、破った。
戸口調査が行われ、孤児や寡婦を除いたローマの人口は10万4714人であった。
ペイディアスは、Athena Promachosと呼ばれる彫像の製作を始め、10年後に完成した。
数ヶ月の間、アルタバノスはアケメネス朝の支配権を握った。しかし、彼はメガビュゾスに裏切られ、クセルクセス1世の息子アルタクセルクセス1世に殺害された。
三年間続いたアエクイ族との戦いに勝利した。
恐らく史上初のプロコンスルが軍を率いた。
晋の智瑶が趙の太子の趙無恤(趙襄子)を廃位するように趙鞅(趙簡子)に求めた。そのため趙無恤は智瑶を恨んだ。
地震後、メッシニアのヘイロタイが反乱を起こし、アルキダモス2世はスパルタの守備隊を結成した。ヘイロタイはイトメ山を要塞化した(第三次メッセニア戦争)。
スパルタで地震が起こり、多くの命が失われた。
アルタクセルクセス1世は、クセルクセス1世の後を継いで、アケメネス朝の王となった。
晋の智瑶が鄭を討ち、鄭の駟桓子が斉に救援を求めた。斉軍が鄭を救援して晋軍を撃退した。
エジプトは、クセルクセス1世が殺害された機を活かし、ペルシアに反乱した。リビア人のイナロスは、アテナイ市民の助けを得て、デルタ地域の支配権を手に入れた。
スパルタ地震によりメッセニア人がスパルタ人に蜂起、第三次メッセニア戦争が起こる。
アテナイの民主派の政治家エピアルテスとペリクレスは、賄賂を受け取った疑いでキモンを陶片追放しようと試みた。キモンは、賄賂を受けてマケドニア王を攻撃しなかったとペリクレスや民主派の政治家に責められた。キモンは無罪を認められたが、アテナイ人に対する影響力は衰えた。
2年間の包囲の後、タソス島はキモンの率いるアテナイ軍に敗れ、アテナイに船を明け渡し、保証金の支払いと毎年の貢献を受け入れた。
ローマで疫病が蔓延した。
ローマ元老院とローマ市民は、ガイウス・アエミリウス・マメルクスを独裁官に指名したという説がある。
亡命中のテミストクレスはアケメネス朝ペルシアの王アルタクセルクセス1世に近づき、アテナイにおける復権への協力を依頼した。アルタクセルクセス1世は助けるのを渋ったが、その代わり彼をマグネシアのサトラップに任命した。
エピアルテスは、アレオパゴス会議を改革し、その権力を殺人と宗教上の罪の裁判だけに限定する法案を民会に通した。彼は、アレオパゴス会議を保守派の中心地と考え、エピアルテスの勝利は保守派と寡頭制の敗北と受け取られた。
ギリシアの哲学者アナクサゴラスがアテナイに移住し、そこで教え始めた。
護民官が執政官の権限を制限する法案を提出したが、先送りされた。
ルクレティウスがアエクイ族とウォルスキ族に勝利したとして凱旋式を、キクリヌスが小凱旋式を挙行した。
アルゴスは、スパルタがヘイロタイの反乱に忙殺されているのを利用して、ミケーネを征服した。街の住人は分散し、マケドニアに移住する者もあった。
ペリクレスがアテナイの指導者となり始めた。
イトメ山の攻撃が失敗に終わると、スパルタはアテナイがヘイロタイの側についたとの不信を抱いた。他の同盟国を留め、スパルタはキモンらをアテナイに帰らせた。この侮辱的な拒絶により、アテナイでのキモンの人気は急落した。
スパルタは、ヘイロタイの大勢の反乱軍が避難するメッシニアのイトミ山の要塞を征服しようと試みた。彼らはアテナイ等の同盟国に支援を求めた。
キモンは、スパルタを支援するためにアテナイ市民の助けを求めた。エピアルテスはライバルのスパルタと距離を置くよう勧めたが、キモンの考えが通った。キモンは4000の重装歩兵をイトメ山に率いた。
ペリクレスがエフィアルテスとともにアレオパゴス会議から実権を奪う。 アテナイの政治の中心は民会(エクレシア)と評議会(ブーレ)に移行する。
秦が大荔を攻撃し、その王城を奪った。
エピアルテースは、ボイオーティアのアリストディクスに暗殺された。
前年先送りにされた執政官の職権を制限する法案が再提出され、プレブスとパトリキの小競り合いが生じるなど混乱を招いたが、法案は成立しなかった。
キモンの追放とエピアルテースの暗殺により、ペリクレスはアテナイで最も影響力のある雄弁家となった。
第一次ペロポネソス戦争が起こる(〜紀元前445年)。
アテナイのエピアルテースとペリクレスは、ついにキモンの陶片追放に同意した。
エピアルテースは、ペリクレスの協力を得て、アテナイにおけるアレオパゴス会議の権力を弱め、その権力を500人評議会に移した。裁判官には賃金が支払われるようになり、全ての市民が自分の名前を加えられるリストから抽選で選ばれるようになった。
アルテミシオンの青銅神像(アテネ国立考古学博物館蔵)が作られる。
現在は1つの脚がルーヴル美術館、頭が大英博物館に収蔵されているアポローンの彫像が作られた。
オリンピアのゼウス神殿の西のペディメントに、彫像Apollo with battling Lapiths and centaursが作られた。現在は破片だけが残っており、オリンピアの考古学博物館に収蔵されている。
彫像Young Warriorの制作が始まり、おおよそ10年後に終わった。この像は、現在はレッジョ・ディ・カラブリアの国立考古学博物館に収蔵されている。
パトリキとプレブスの間で衝突が発生した。また、奴隷による反乱も起こり、カンピドリオなどが占拠された。
アテナイがメガラ及びアルゴスと同盟を結び、それにスパルタが反発したこと等から、アテナイに率いられたデロス同盟と、スパルタに率いられたペロポネソス同盟の間で第一次ペロポネソス戦争が勃発した。アテナイ軍は、メガラからニサイアの港まで長大な壁を築き、メガラの古いライバルであるコリントスからの恨みを買った。
オリンピアのゼウス神殿のフリーズに、メトープのレリーフAthena, Heracles and Atlasが作られた。現在はオリンピアの考古学博物館に収蔵されている。
タソス島のポリュグノトスがアテナイのアゴラの北端にある彩られた柱廊を装飾した。
ペルシアからエジプトに派遣されていたサトラップのアケメネスは、ナイル川岸のパプレミスの戦いでエジプト軍に敗れ、殺害された。
エジプトは、アケメネス朝ペルシアの支配に対して反乱を起こした。エジプトのリーダーであるイナロス2世は、アテナイに対して支援を求めた。アテナイは、エジプトを植民地化し貿易を行うという条件でこれを受け入れ、キプロスに遠征していた200隻の三段櫂船を支援として派遣した。
アルゴスがスパルタに対して反乱を起こした。アテナイは、アルゴスとテッサリアを支援した。アルゴスの暴動を鎮圧するために派遣された少数のスパルタ軍は、オエノエでアテナイとアルゴスの連合軍に敗れた。
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よくある質問
紀元前460年代は何年から何年まで?
紀元前460年代は紀元前469〜前460年です。
紀元前460年代に起きた主な出来事は?
紀元前460年代(紀元前469〜前460年)は、キモンがエウリュメドン川の戦いでペルシアに勝ち、アテナイではペリクレスらがアレオパゴス会議から実権を奪いました。スパルタでは地震を機に第三次メッセニア戦争が起こり、日本では鳥海山が噴火しました。
参考にした Wikipedia の記事(11 件・CC BY-SA 4.0)
Wikipedia 日本語版の記事。文章は CC BY-SA 4.0 で提供されています。
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