WORLD HISTORY · 紀元前500〜前1年
紀元前390年代の出来事紀元前399〜前390年
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紀元前390年代に起きた主な出来事は?
紀元前390年代(紀元前399〜前390年)は、アテナイでソクラテスが死刑判決を受けて刑死し、弟子のプラトンが『ソクラテスの弁明』を発表しました。ギリシアではコリントス戦争が始まり、ローマはエトルリア人の町ウェイイを陥落させました。
- ソクラテスが死刑判決を受け刑死世界
- ネフアアルド1世が第29王朝を創設世界
- ケルト系部族がメディオラヌムを建設世界
- ローマがエトルリアのウェイイを攻略世界
- プラトンが『ソクラテスの弁明』発表世界
- ギリシアでコリントス戦争が勃発世界
- 斉の田和が康公を孤島に追放世界
- ローマ・ガリア戦争のアッリアの戦い世界
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紀元前390年代の出来事(年表・60件)
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マケドニア王国国王アルケラオス1世が狩りの最中に殺された。
虢山が崩れ、黄河が塞がる。
スパルタがエーリスを攻め、降伏させた。
周の王子の定が晋に亡命する。
アテナイでソクラテスに死刑判決が出され処刑される。
スパルタの提督リュサンドロスは、王が自動的に軍の主導権を取るべきではないと主張して、スパルタの政治体制を改革しようと試みた。彼はまた王の座は選挙で選ばれるべきだとも主張した。しかしこれらの改革は実現されず、アゲシラオス2世の不評を買った。
ファラオのアミルタイオスが後継者のネフアアルド1世との戦いに敗れ、メンフィスで処刑された。ネフアアルド1世はエジプト第29王朝を創設し、メンデスを首都とした。
哲学者ソクラテスが若者を惑わし、堕落させたとして、アテナイの市民から死刑判決を受けた。4月27日、ソクラテスは亡命を拒み、ドクニンジンを飲んで死亡した。
シュラクサイの僭主ディオニュシオス1世 がカルタゴとの和平協定を破り、疫病によって疲弊していたカルタゴの隙をついて、シチリア島西部のカルタゴ領諸都市を攻撃した。これら諸都市の多くでは、カルタゴ人の大量殺戮が行なわれた。良港をもつモティア も攻撃され、陥落した(モティア包囲戦)。
楚が鄭軍を破り、鄭を包囲した。鄭人は宰相の駟子陽を殺した。
厳仲子が聶政に依頼して韓の宰相の侠累を殺害させた。
アケメネス朝ペルシア帝国のアルタクセルクセス2世に対抗していたイオニア人たちからの要請を受け、スパルタ王アゲシラオス2世が野心的な小アジア遠征に乗り出した。
カルタゴは、モティア に代わる拠点としてリルバイウム(Lilybaeum、現在のマルサーラ)の町を建設した。
ヒミルコ (Himilco) が、新手の軍勢を率いてカルタゴからシチリアへ渡って北部を占領し、シュラクサイの僭主ディオニュシオス1世 (Dionysius I of Syracuse) を守勢に追い込み、シュラクサイを包囲した。ところが、カルタゴの軍営では、(紀元前406年と同様に)再び疫病(腺ペスト)が発生した。
キュニスカが、女性として初めて古代オリンピックの優勝者となった。当時は女性が競技に出場することは認められていなかったが、3頭立て戦車競走で、彼女が所有し、御者を雇っていた戦車が1位でゴールしたため、優勝者とされたものである。
カルタゴ軍は、紀元前398年から続いていたシュラクサイへの攻城戦から退かざるをえなくなり、メッセネを破壊した。
鄭の駟子陽の残党が繻公を殺害し、その弟の康公を擁立した。
アケメネス朝ペルシア帝国は、フェニキア、キリキア、キュプロスの連合艦隊を編成し、経験豊かなアテナイの提督コノンに指揮を執らせ、ロドス島を占領した。
ローマ軍に、給与が支払われるようになった。
ケルト系インスブレス族によりメディオラヌム(ミラノ)が建設される。
エトルリア人の町ウェイイが共和政ローマのマルクス・フリウス・カミルスにより陥落。
プラトンが、師であるソクラテスを擁護する『ソクラテスの弁明』を発表した。
スパルタ王アゲシラオス2世は小アジア遠征で、アケメネス朝ペルシア帝国のサトラップ(太守)ファルナバゾスやティッサフェルネスの軍勢を撃破し、サルディスではティッサフェルネスに大打撃を与えた。アゲシラオス2世は、リュディアとカリアのサトラップであったティッサフェルネス指揮下のペルシア勢と、3ヵ月の停戦に合意した。
コリントス戦争勃発。
一冬をかけて騎兵隊を編成したスパルタ王アゲシラオス2世は、春の訪れとともにリュディアを侵略した。
ティッサフェルネスに代わってティトラウステスがペルシア勢の指揮者となり、ティトラウステスとアゲシラオス2世の間で休戦協定が結ばれた。ティトラウステスはスパルタ勢に金を渡し、北方のファルナバゾス2世の太守領へと転進するよう買収した。
アゲシラオス2世の軍は、まともには敗れないと考えたファルナバゾスは、アゲシラオス2世が帰国せざるをえなくなるように、ギリシア本土でトラブルが生じるよう働きかけることにした。
アケメネス朝ペルシア帝国のサトラップ(太守)ティッサフェルネスと敵対していたパリュサティス(小キュロスの母)は、アルタクセルクセス2世を説得し、フリギア(現在のトルコ)のコロサイで、ティッサフェルネスを処刑させた。パリュサティスは、ティッサフェルネスが亡き愛息キュロスに対して惨い仕打ちをしたことが赦せなかったのである。
斉が魯を攻撃し、郕を奪った。
テゲアのアテナ・アレア神殿 (Athena Alea) が焼失したが、パロスのスコパスの設計により、すぐに再建された。
負黍が鄭から離反して、韓に復帰した。
コリントス戦争(紀元前395年 - 紀元前387年) 同盟を組んだアテナイ、テーバイ、コリントス、アルゴスは、コリントスに大きな兵力を集結させた。スパルタはこの大軍に対して、さほど大きくない規模の部隊を送り込んで挑発した。両軍はコリントス領内のネメア川の河原で対峙した。
ハコルは、第29王朝開祖ネフアアルド1世の孫であると自称し、プサムティスから王座を奪い取った。
ネフアアルド1世が死去し、後継にネフアアルド1世の息子ムティス (Muthis) を推す一派とプサムティスを推す一派が争った。この争いにはプサムティスが勝ったが、その統治はこの年のうちに終わりを告げた。
晋の烈公が薨去し、子の孝公が即位する。
魏が鄭を攻める。
紀元前399年のアルケラオス1世の死去以来の混乱期を経て、アレクサンドロス1世の曾孫アミュンタス3世 (Amyntas III of Macedon) がマケドニア王となった。
コリントス戦争(紀元前395年 - 紀元前387年) アテナイの将軍コノンとアケメネス朝ペルシア帝国のサトラップ(太守)ファルナバゾス2世は、ギリシア本土に向かい、ラコニアの沿岸を襲撃し、キュテーラ島を占領し、守備隊とアテナイ人の総督を置いた。
ウェイイから移転したユーノー神殿の奉献が行われた。
ローマで疫病が流行した。
コリントス戦争(紀元前395年 - 紀元前387年) スパルタは、アケメネス朝ペルシア帝国のサトラップ(太守)ティリバゾスのもとへ、大使としてアンタルキダス (Antalcidas) を送り込み、アテナイの将軍コノンがペルシアの艦船を使ってアテナイ海上帝国の再建を始めていると告げて、ペルシアの矛先を…
シュラクサイの僭主ディオニュシオス1世は、再びカルタゴの遠征に晒された。ディオニュシオス1世は、それまで地元先住民シケロイ人 への実力支配を強化してきたが、(カルタゴの脅威を前に)シケロイ人と同盟を結ばざるをえなくなった。マゴ (Mago) 率いるカルタゴ軍は、敗北し、和平協定を結んで、カルタゴに帰還した。
アエクイ族との小競り合いが生じた。
イソクラテスが、キオスに自分の修辞学学校を設立した。
アケメネス朝ペルシア帝国のアルタクセルクセス2世は、ティリバゾス (Tiribazus) に代わる指揮者として、将軍ストルタス (Struthas) をサルディスのサトラップ(太守)領に派遣し、反スパルタ政策をとり続けた。
コリントス戦争(紀元前395年 - 紀元前387年) アテナイの将軍イピクラテスが、ほとんどペルタスト(ピルム(投げ槍)の投擲を行なう兵士)などの軽装歩兵だけで編成された部隊によって、レカイオン (Lechaeum) に駐屯していたスパルタ軍に対し、レカイオンの戦い (Battle of Lecha…
シュラクサイの僭主ディオニュシオス1世は、イタリア本土南部のギリシア植民都市へ勢力を広げようとし始めた。まず、レギオンに攻城戦を挑んだが、これは失敗に終わった。
サラミスの王エウァゴラス (Evagoras) は、キュプロスの支配権をめぐってペルシア勢と戦った。エウァゴラスは、アテナイ勢やエジプト勢の支援も得ながら、キュプロスの大部分やアナトリアの一部の都市にまで支配圏を広げた。
秦が韓の宜陽を攻撃し、六つの邑を取る。
クィントゥス・ファビウス・アンブストゥス (Quintus Fabius Ambustus) と、同じくファビウス氏族のほかの2人が、ブレンヌスに率いられて移動していたケルト人集団(ローマ人たちは「ガリア人」と呼んでいた)への大使として送られた。
共和政ローマの独裁官マルクス・フリウス・カミルスが、ウェイイにおける勝利の際の戦利品の分配を不公平に行なったとして訴えられ、自らローマを去った。
アケメネス朝ペルシア帝国のサトラップ(太守)ストルタス (Struthas) は、反スパルタ政策をとり続け、スパルタ側はこれに対抗し、イオニアのギリシア植民都市の総督として派遣していたティブロン (Thibron) に、ストルタスを攻撃するよう命じた。
斉の大夫の田和が斉の康公の姜貸を海上の孤島に追放し、食邑として城を1つだけ与えられ、祖先の霊を祀ることとされた。
斉が魏を攻撃し、襄陵を奪った。
エジプト第29王朝のファラオ(王)ハコルは、 キュプロスの王エウァゴラス (Evagoras)、アテナイとの三者同盟を解消した。
魯が斉軍を平陸で破った。
アスクレーピオスを祀る神殿がエピダウロスに建設された。
レカイオンの戦いで、アテナイ将軍イフィクラテスが軽装歩兵(ペルタスト)軍を率い、スパルタの重装歩兵(ホプリタイ)軍に勝利する。
秦と晋が武城で戦った。
ローマ・ガリア戦争: アッリアの戦い(伝承による日付)。
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よくある質問
紀元前390年代は何年から何年まで?
紀元前390年代は紀元前399〜前390年です。
紀元前390年代に起きた主な出来事は?
紀元前390年代(紀元前399〜前390年)は、アテナイでソクラテスが死刑判決を受けて刑死し、弟子のプラトンが『ソクラテスの弁明』を発表しました。ギリシアではコリントス戦争が始まり、ローマはエトルリア人の町ウェイイを陥落させました。
参考にした Wikipedia の記事(12 件・CC BY-SA 4.0)
Wikipedia 日本語版の記事。文章は CC BY-SA 4.0 で提供されています。
各行の要約は inv-world による独自の文章です。Wikipedia 以外の出典は各行に、参考にした Wikipedia の記事はページの下にまとめて載せています(Wikipedia の記事は CC BY-SA 4.0)。日付は資料の表記を優先し、ユリウス暦・旧暦の日付にはグレゴリオ暦の換算日を併記しています。このページには広告(アフィリエイトリンク・Google AdSense)を含みます。広告には「PR」または「スポンサーリンク」と表示しています。