紀元前200年代(紀元前209〜前200年)の出来事年表

WORLD HISTORY · 紀元前500〜前1年

紀元前200年代の出来事紀元前209〜前200年

118件出来事
紀元前〜2026年の、1年ごと・10年ごとのページがあります

紀元前200年代に起きた主な出来事は?

紀元前200年代(紀元前209〜前200年)は、中国で陳勝・呉広の乱を経て秦が滅び、劉邦が項羽を破って漢を開き中国を統一しました。地中海ではザマの戦いでローマがハンニバルを破って第二次ポエニ戦争が終結し、北方では冒頓単于が匈奴の支配者となりました。

  1. 冒頓単于が匈奴の支配者となる世界
  2. 陳勝・呉広の乱が起こる世界
  3. 秦が滅亡し楚漢戦争が始まる世界
  4. ヒスパニアがローマの属州となる世界
  5. 趙佗が南越国を建国世界
  6. 劉邦が項羽を破り漢が中国を統一世界
  7. 前漢による中国の統治世界
  8. ザマの戦いで第二次ポエニ戦争終結世界

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紀元前200年代の出来事(年表・118件)

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日本アジア中東オセアニア北米中南米ヨーロッパアフリカ
紀元前210年代から続く
紀元前200年代

紀元前209年

大スキピオは拠点を置くタラゴナからカルタゴの拠点カルタヘナを攻撃した。攻撃は成功し、カルタヘナは占領された。これにより多くの人質、銀鉱山、さらに南方を侵略する拠点などを手に入れることができた。

ヨーロッパ

紀元前209年

春、二世皇帝胡亥が東方の郡県を巡行し、李斯がつき従った。

アジア

紀元前209年

父の頭曼単于を倒し、冒頓単于が匈奴の支配者となる。東胡を滅ぼし、月氏を西走させる。

アジア

紀元前209年

パルティアの王アルサケス2世はセレウコス朝の王アンティオコス3世から攻められ、領土を奪われ同盟を結ばされた。

中東

紀元前209年

下相(現在の江蘇省宿遷市)の人の項梁が会稽郡守の殷通を殺し、甥の項羽と共に呉で挙兵した。

アジア

紀元前209年

陳勝・呉広の乱。

アジア

紀元前209年

共和政ローマの将軍クィントゥス・ファビウス・マクシムスは、カルタゴの将軍ハンニバルが3年間に渡って占領していたタレントゥムを再占領した。

ヨーロッパ

紀元前209年

ハンニバルの率いるカルタゴ軍とマルクス・クラウディウス・マルケッルスの率いるローマ軍の間でカヌシウムの戦いが起こった。この戦いは痛み分けに終わった。

ヨーロッパ

紀元前209年

冒頓単于が反乱を起こし、父の頭曼単于・継母・異母弟及びその側近を抹殺した上で、単于に即位した。

アジア

紀元前209年

張楚の武将である周章(周文)が函谷関を陥落させた。二世皇帝は大いに驚き、少府の章邯に迎撃させると、周文は敗走した。

アジア

紀元前209年

アカイアの将軍フィロポイメンはアカイア同盟に軍事力を持たせて軍事的な組織にした。フィロポイメンに率いられたアカイア同盟軍はエリスでアイトリア軍を破った。

ヨーロッパ

紀元前209年

狄(現在の山東省淄博市高青県東南部)の人の田儋が斉郡で挙兵した。

アジア

紀元前209年

二世皇帝は衛君角を庶人とし、衛の祭祀が絶えた。

アジア

紀元前209年4月

二世皇帝が趙高の助言をえて大臣や公子たちを誅殺した。公子12人が咸陽の市で斬り殺され、10人の公主が杜で磔にされて死んだ。

アジア

紀元前209年8月

張楚の武将である武臣が自立して趙王を称した。陳余を大将軍とし、張耳を右丞相とし、邵騒を左丞相とした。

アジア

紀元前209年9月

沛の人劉邦が沛で挙兵した。

アジア

紀元前208年

ハンニバルはロクリを包囲するローマ軍を壊滅させた。

ヨーロッパ

紀元前208年

大スキピオに率いられたローマ軍はヒスパニア・バエティカのハエンで、ハスドルバル・バルカ率いるカルタゴ軍を破った。この結果、ハスドルバル・バルカは残った軍勢を連れてピレネー山脈を越え、ガリア・ナルボネンシスに向かってイタリアにいる弟のハンニバルの軍と合流せざるを得なかった。

ヨーロッパ

紀元前208年

ローマの将軍マルクス・クラウディウス・マルケッルスはプッリャ州ヴェヌシアの近くで、ハンニバル軍との戦闘中に殺害された。

ヨーロッパ

紀元前208年

秦の将軍である章邯は陳勝と呉広に率いられた陳勝・呉広の乱を鎮圧した。

アジア

紀元前208年

アンティオコス3世はエウテュデモス1世の治めるバクトリアへの進出を成功させた。首都のバルフが陥落すると、エウテュデモス1世の息子のデメトリオスをアンティオコス3世の娘の1人と結婚させるという講和を結んだ。

アジア中東

紀元前207年

項羽が秦の将軍章邯を降す(鉅鹿の戦い)。

アジア

紀元前207年

趙高が二世皇帝胡亥を自害に追い込み、子嬰を立てて秦王とする。

アジア

紀元前207年

望夷宮の変で胡亥が殺害される。趙高を倒した秦王子嬰が即位。

アジア

紀元前207年

ローマ軍がカルタゴ軍ハンニバルへの援軍を全滅させ、ハスドルバルを敗死させる(メタウルスの戦い)。

ヨーロッパ

紀元前207年

子嬰が趙高を殺す。

アジア

紀元前206年

カルタゴ人の駆逐に成功すると、大スキピオはローマに凱旋し、執政官に選出された。彼はさらに北アフリカに残るカルタゴ人の領土を攻める準備をした。

ヨーロッパアフリカ

紀元前206年

秦の三世子嬰は劉邦に降伏した。これによって秦王朝は滅亡し、前漢が建国された。しかし項羽との間に楚漢戦争が勃発し、紀元前202年まで続いた。

アジア

紀元前206年

マケドニア王国の王ピリッポス5世はローマの隙を突いてアエトリアを攻め、平和条約を結ばせた。

ヨーロッパ

紀元前206年

イリパの戦いで負傷したローマ兵の居留地として、大スキピオによりイタリカの町が建設された。

ヨーロッパ

紀元前206年

北アフリカに帰還したハスドルバル・ギスコは、娘をヌミディアの王であるシュファクスに嫁がせ、軍事同盟を結んだ。

アフリカ

紀元前206年

マケドニア王国とローマ帝国の間で戦争が起こったが、ローマ帝国の狙いは征服にはなく、ギリシャの政治を分断して脅威の芽を摘んでおくことにあった。

ヨーロッパ

紀元前206年

子嬰降伏による秦の滅亡。鴻門の会。楚漢戦争始まる。

アジア

紀元前206年

パルティアの王アルサケス2世はバクトリア王のエウテュデモス1世との戦いに敗れて領土を失った。

アジア中東

紀元前206年

正月、項羽は羋心を義帝とする。

アジア

紀元前206年

イリッパの戦いで、カルタゴの将軍マゴ・バルカとハスドルバル・ギスコがローマ帝国の将軍大スキピオに敗れた。マゴはカディスまで敗走し、船でバレアレス諸島に向かった。

ヨーロッパ

紀元前206年

セレウコス朝の王アンティオコス3世はヒンドゥークシュ山脈を通ってカーブルまで行進し、マウリヤ朝の王Sophagasenusと和解をした。

アジア

紀元前206年

カルタゴと同盟を結んでいたヌミディアの王マシニッサは、カルタゴを見限ってローマ側についた。シュファクスはマシニッサを追放し、自らが王になった。これに対してローマ帝国はマシニッサの地位を認めた。

アフリカ

紀元前206年

項羽は九江王英布などに義帝を殺させた。

アジア

紀元前206年

項羽は自立して西楚覇王となり、天下を分封して、劉邦を漢王に、韓成を韓王に封じた。

アジア

紀元前206年

七月、項羽は張良が劉邦に付き従ったため、韓成を斬首し、大夫鄭昌を改めて韓王とした。

アジア

紀元前206年

五月、劉邦は韓信の計謀を用いて、項羽が田栄を北攻している隙に乗じてこっそりと陳倉を渡った(暗渡陳倉)。

アジア

紀元前206年

八月、燕王韓広は遼東に遷されることを嫌ったため、項羽が燕王に封じた臧荼は韓広を殺し、遼東の王となる。

アジア

紀元前206年

八月、漢王劉邦は出兵して雍王章邯を攻撃した。

アジア

紀元前206年

六月、田栄は斉王田巿を殺して、自立して斉王となる。

アジア

紀元前206年

大スキピオはカディスを防衛し、ローマ帝国によるスペイン全土の支配が確立した。カルタゴ人はスペインから撤退し、ヒスパニアはローマ帝国の属州となった。

ヨーロッパ

紀元前205年

関中に大飢饉が起こり、米斛が高騰し、人が互いに食らった。

アジア

紀元前205年

ローマの政務代行官:en:propraetorであるキントゥス・プレミニウスはカルタゴ人からロクリ(:en:Locri Epizephyrii)の町を獲得する。ハンニバルの町を奪い返そうという試みはスキピオの軍の出現によって挫折した。

ヨーロッパ

紀元前205年

ロードスの艦隊と経済は海賊からの略奪に苦しんでいたので、ピリッポスはトラキアのマルマラ海周辺にあるロードスの同盟国の土地を襲い始める。

ヨーロッパ

紀元前205年

マゴ・バルカ率いるカルタゴ軍はリグリアに上陸し、ジェノヴァとサヴォーナを獲得する。

ヨーロッパ

紀元前205年

プブリウス・コルネリウス・スキピオは大胆にもイタリアにいるハンニバルと、ローマ元老院の政治的反対を無視することを決定し、それよりもカルタゴの北アフリカの拠点を打撃することを決定する。スキピオは部分的には志願者からなる軍を連れてシチリアに渡る。ローマ元老院が軍を与えようとしなかったからである。

ヨーロッパ

紀元前205年

スキピオは北アフリカにローマ人将軍ガイウス・ラエリウスを派遣し、 後の進攻の道筋の準備をさせる。

ヨーロッパアフリカ

紀元前205年

劉邦は韓地を得て、韓王信を韓王となした。

アジア

紀元前205年

和約の後、スパルタ王ナビスはアカイア同盟と戦争に入る。アカイアの将軍フィロポイメンはメッセネからスパルタのナビスを追い払った。

ヨーロッパ

紀元前205年

田栄が自立して斉王となり、項羽は大軍を率いて斉を征伐する。田栄は敗れて殺され、項羽は斉襄王の子で斉王建の弟の田假を立てて斉王とするが、その年に田栄の弟の田横に撃敗され、楚国に投じるが、項羽に殺される。

アジア

紀元前205年

ペルシアの州である アラコシアとドランギアナとカルマニアを経由して、 アンティオコス3世はペルスィスに到着する。彼はペルシア湾へ短い遠征を行い、ペルシア湾の東海岸の商業国家ゲラの市民から500タラントの銀の貢納を受け取る。

中東

紀元前205年

ピリッポス5世は、マケドニアに優位な条件で第一次マケドニア戦争の終わりにローマと一時的な和約(フォエニケの和約)を結んだ。この協約はマケドニアのイリュリアの獲得を含み、公にマケドニアの優位を知らしめたが、引き換えにピリッポスはハンニバルとの同盟を実質的に無効にした。

ヨーロッパ

紀元前205年

土着エジプト住人がギリシア人支配者に反乱を起こす。反乱は上エジプトにまで広がる。

中東アフリカ

紀元前205年

フォエニケの和約によってピリッポスはイリュリアまたはアドリア海へ東への拡張が出来なくなったため、西のエーゲ海へ興味を向け、そこで巨大な艦隊を建設し始める。第一次マケドニア戦争を終えた後、マケドニアのピリッポスは、ロードスを打倒する好機とみて、ロードス船を襲い始めたアイトーリア人海賊とスパルタ人海賊と同盟を結ぶ。

ヨーロッパ

紀元前205年

アンティオコス3世はバクトリア人を打ち負かしパルティア人を服属させ、メディアやペルシアやアナトリアの支配者の反乱を鎮圧し、そうしてセレウコス朝の勢力をこれらの州で回復することができた。

アジア中東

紀元前205年

プトレマイオス4世が死に5歳の息子のプトレマイオス5世が即位する。しかし王の死については何も公表されなかった。

中東アフリカ

紀元前205年

ハンニバルはクロトナに近くのユーノー・ラキニア(Juno Lacinia)寺院に自らの業績をポエニ語・ギリシア語の二ヶ国語で示した石碑を立てる。

ヨーロッパ

紀元前205年4月

漢軍は彭城の戦いで惨敗し、勢力は総崩れとなり、劉太公と劉媼と呂雉が楚軍の捕虜となる。

アジア

紀元前204年

ハンニバル率いるカルタゴ軍とプブリウス・センプロニウス・トゥディタヌス率いるローマ軍の間でクロトンの戦いが起こったが、決着は着かなかった。

ヨーロッパ

紀元前204年

項羽が劉邦を滎陽に追い込む(滎陽の戦い)。劉邦は滎陽を脱出する。

アジア

紀元前204年

マケドニア王国のピリッポス5世とセレウコス朝のアンティオコス3世はエジプトの弱点に気づき、アナトリア半島およびエーゲ海の分割に合意した。アンティオコスはシリア南部、リュキア、キリキア、キプロスを、ピリッポスはアナトリア半島西部とキクラデス諸島を領有することになった。

中東ヨーロッパ

紀元前204年

カルタゴの将軍ハスドルバル・ギスコは、ヌミディアの王マシニッサとの同盟を解消し、娘婿でもあるもう一人のヌミディア王シュファクスと新たな同盟を結んだ。

アフリカ

紀元前204年

エジプトの首相ソシビウスらは、プトレマイオス5世の母アルシノエ3世の報復を怖れてプトレマイオス4世の死を秘密にした。彼らはアルシノエを暗殺し、わずか5歳の新王はソシビウスの後見の元で王位に就いた。アルシノエは国民から人気が高かったため、彼女の暗殺が伝わると国内で暴動が起こった。

中東アフリカ

紀元前204年

大スキピオに率いられたローマ軍はカルタゴのウティカを攻撃し包囲したが、ハスドルバル・ギスコはシュファクスと組んで抵抗したため、大スキピオは攻めきることができなかった。

アフリカ

紀元前203年

ウティカの戦い。

アフリカ

紀元前203年

漢王劉邦が楚王項羽と和す。劉邦が和約を破り、東に帰る項羽を追撃する。

アジア

紀元前203年

韓信らが斉を平定。

アジア

紀元前203年

カルタゴがハンニバルをイタリアから召還。

ヨーロッパ

紀元前203年

趙佗が南越国を建国。

アジア

紀元前203年

バグラデス川の戦い。

アフリカ

紀元前203年

「マグナ・マテル」としてキュベレー信仰がローマに公式にもたらされる(キュベレ崇拝のローマ到来)。

ヨーロッパ

紀元前202〜紀元8年

転換点前漢による中国の統治

アジア

秦の滅亡後、劉邦が漢を建てた。武帝のころに領土を大きく広げ、儒学を国の学問とするなど、のちの中国王朝の基本となる仕組みが整えられた。

出典:コトバンク:前漢(事典)

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紀元前202年

★主な出来事漢が中国を統一

アジア

秦の滅亡後の争いで、劉邦が項羽を破って皇帝となり漢を開いた。漢は約400年続き、中国の王朝の手本とされた。

出典:コトバンク:前漢(デジタル大辞泉)(事典)

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紀元前202年

少年王のプトレマイオス5世は、母であるアルシノエ3世を殺害した犯人に復讐せよとの民衆の声に押されて、アガトクレスを処刑することに同意した。アガトクレスは見つけられて、家族ともに処刑された。アガトクレスの後任にはトレポレモスが就いたが、無能であったためすぐに解任された。

中東アフリカ

紀元前202年

エジプトの評議員議長だったソシビオスが引退し、評議員のメンバーだったアガトクレスがプトレマイオス5世の新しい摂政となった。

中東アフリカ

紀元前202年

長沙にも新しい国の建設が始まった。

アジア

紀元前202年

ザマの戦い後、大スキピオは北アフリカでの活躍を認められ、アフリカヌスの姓を受けた。

アフリカ

紀元前202年

このエジプト国内の混乱に乗じて、セレウコス朝のアンティオコス3世はエジプトの領土に軍を進めた。

中東アフリカ

紀元前202年

漢の劉邦は垓下の戦いで楚の項羽を破り、楚漢戦争に終止符を打った。劉邦は皇帝となり漢帝国を興した。

アジア

紀元前202年

新しい中国の首都、長安が建設された。

アジア

紀元前202年

垓下の戦いで劉邦が項羽を滅ぼし、前漢を建てる(〜紀元後8年)

アジア

紀元前202年

劉邦は騶無諸に閩越を与え、国を作らせた。

アジア

紀元前202年

ローマとの戦いに敗れたハスドルバル・ギスコは反逆罪の疑いをかけられ自殺した。

アフリカ

紀元前202年

しかし、ペルシオンの領主だったトレポレモスがアレクサンドリアの民衆を煽って猛烈な反対運動を起こさせ、アガトクレスは辞任に追い込まれた。

中東アフリカ

紀元前202年10月19日グレゴリオ暦 10月15日

ザマの戦いで、大スキピオ率いるローマ軍が、ハンニバル率いるカルタゴ軍を破り、第二次ポエニ戦争が終結する。

ヨーロッパアフリカ

紀元前201年

韓王信が匈奴に投降

アジア

紀元前201年

スキピオ・アフリカヌスがハンニバル、カルタゴ、シュファクスに対する勝利を祝って凱旋式を挙行した(第二次ポエニ戦争終結)。

ヨーロッパアフリカ

紀元前201年

ペルガモンのアッタロス1世とロドス島の使者がやってきて、ピリッポス5世の侵攻を訴えた。

ヨーロッパ

紀元前201年

護民官マニウス・アキリウス・グラブリオとクィントゥス・ミヌキウス・テルムスによって、カルタゴとの和平がプレプス民会で決議された(Lex Acilia Minucia de pace cum Carthaginensibus facienda et de exercitu ex Africa depo…

ヨーロッパ

紀元前201年

プラエトル・ウルバヌス(首都法務官)によって、スキピオ・アフリカヌスの下で戦った退役兵に土地を分配する十人委員会が選出された。

ヨーロッパ

紀元前200年〜紀元前190年

ヘレニズム時代の彫刻「サモトラケのニケ(ルーブル美術館蔵)」が作られる。

ヨーロッパ

紀元前200年

匈奴が前漢の西側国境付近に出現。

アジア

紀元前2世紀

紀元前2世紀 - 紀元後1世紀 日本では青銅器の使用が広がる 出雲地方の荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡で大量の青銅器が出土。 淡路島でも「菱環鈕式」の最古級の銅鐸が出土している。 奈良県田原本町の唐古・鍵遺跡の大型建造物跡はこの時代のもの。

日本

紀元前200年頃

一説に紀元前200年頃、グレコ・バクトリア王国の第3代国王エウテュデモス1世が死去し、一子・デメトリオス1世が即位する。

アジア

紀元前200年

ウェヌシアに植民が追加される。

ヨーロッパ

紀元前2世紀

紀元前2世紀頃 ナバテア人による乳香や没薬といった香料交易が盛んとなる。 ハルザ・マムシト・アヴダト・シヴタなどの「ネゲヴ砂漠の香の道と都市群」はこの時代のもの。 アナトリア半島中央チョルム地方にカピリカヤの岩窟墓が作られる。

中東

紀元前200年

紀元前200年前後の時代、マダガスカル島に生息していた3種類のカバ属が絶滅する。乱獲が原因であると推定されている。

アフリカ

紀元前2世紀

メキシコでテオティワカンが築かれる。

中南米

紀元前200年

プロコンスル(執政官代理)のルキウス・コルネリウス・レントゥルスが帰国、小凱旋式を挙行する。

ヨーロッパ

紀元前2世紀

インド中部マディヤ・プラデーシュ州のバールフット仏塔の塔門と欄楯が作られる。

アジア

紀元前2世紀

上座部仏教(テーラワーダ仏教)がスリランカに伝わる。

アジア

紀元前200年

北西部のチャビン文化が滅びる。

中南米

紀元前200年

ローマのレガトゥス(使節)が地中海諸国やカルタゴ、ヌミディアに派遣される。

ヨーロッパ

紀元前200年

前漢丞相・蕭何の主導、少府・陽城延の指揮の下で、都・長安の南西部にて未央宮が建設着工される。

アジア

紀元前200年頃

北西部のチチカカ湖近郊で、プレ・インカ期の都市としてティワナクが興る(ティワナク1期の始まり)。

中南米

紀元前200年

ロドス島がマケドニア王国に勝利してクレタ島北部を領有し、クレタ島戦争が集結する。

ヨーロッパ

紀元前2世紀

ポーランド中南部からウクライナ西部にプシェヴォルスク文化、ウクライナ北部からベラルーシ南部にザルビンツィ文化が展開。

ヨーロッパ

紀元前200年

プラエトル(法務官)のルキウス・フリウス・プルプレオがガリア・キサルピナの反乱を鎮圧、凱旋式を挙行する(「クレモナの戦い)。

ヨーロッパ

紀元前200年

白登山の戦いで匈奴の冒頓単于が前漢の劉邦を破る。

アジア

紀元前200年

コンスル(執政官)のガルバがアンティゴノス朝マケドニア王国のピリッポス5世との戦争を担当(アッタロス朝ペルガモン王国とロドス島が連合し、第二次マケドニア戦争が始まる。- 紀元前197年)。

ヨーロッパ

紀元前2世紀

紀元前183/182年 - ビテュニアにてカルタゴの元将軍ハンニバルが自殺する。

中東

紀元前200年

北西部でナスカ文化が隆盛。

中南米

紀元前200年

パネイオンの戦いでセレウコス朝がプトレマイオス朝に勝利し、パレスティナを占領する。

中東アフリカ

紀元前190年代へ続く
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出来事人物名人物の誕生(地域の色)転換点(時代の大きな流れ)複数地域にまたがる出来事

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よくある質問

紀元前200年代は何年から何年まで?

紀元前200年代は紀元前209〜前200年です。

紀元前200年代に起きた主な出来事は?

紀元前200年代(紀元前209〜前200年)は、中国で陳勝・呉広の乱を経て秦が滅び、劉邦が項羽を破って漢を開き中国を統一しました。地中海ではザマの戦いでローマがハンニバルを破って第二次ポエニ戦争が終結し、北方では冒頓単于が匈奴の支配者となりました。

参考にした Wikipedia の記事(13 件・CC BY-SA 4.0)

Wikipedia 日本語版の記事。文章は CC BY-SA 4.0 で提供されています。

各行の要約は inv-world による独自の文章です。Wikipedia 以外の出典は各行に、参考にした Wikipedia の記事はページの下にまとめて載せています(Wikipedia の記事は CC BY-SA 4.0)。日付は資料の表記を優先し、ユリウス暦・旧暦の日付にはグレゴリオ暦の換算日を併記しています。このページには広告(アフィリエイトリンク・Google AdSense)を含みます。広告には「PR」または「スポンサーリンク」と表示しています。

執筆者: 瀬尾