WORLD HISTORY · 紀元前500〜前1年
紀元前350年代の出来事紀元前359〜前350年
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紀元前350年代に起きた主な出来事は?
紀元前350年代(紀元前359〜前350年)は、マケドニアでピリッポス2世が王に即位し、その子アレクサンドロス3世が生まれました。中国では秦が商鞅の変法を進めて咸陽に遷都し、メソアメリカではこの頃マヤ文明が始まりました。
- ピリッポス2世がマケドニア王に即位世界
- アレクサンドロス3世が誕生する世界
- 秦で商鞅の第一次変法が始まる世界
- マウソロス霊廟の建設が始まる世界
- 桂陵の戦いで斉が魏を破る世界
- 秦が都を咸陽に遷す世界
- メソアメリカでマヤ文明が始まる世界
- アリストテレスが球体の地球を論じる世界
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紀元前350年代の出来事(年表・75件)
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イリュリア勢が迫ろうとする中、パエオニア勢が北方からマケドニアを襲撃し、これら外国勢力によって支持されたマケドニア王位の請求者たちが2人現れた。ピリッポスはこれらの危険な隣国に対して、交渉で譲歩することによって事を収め、アンフィポリスをアテナイに譲り渡した。
商鞅が秦の孝公に変法の提案をおこなった。
ピリッポス2世がマケドニア王に即位。
アルタクセルクセス3世は、アルタクセルクセス2世を継いでアケメネス朝ペルシアの王となり、ペルシア帝国のサトラップの中心的な地位を回復した。自身の王位を確実なものとするため、彼は親戚のほとんどを殺害した。
秦が韓軍を西山で撃破した。
ピリッポス2世はペオニア族を決定的に破り、オフリド湖までの支配権を確立した。
テッサリアのフェライのアレクサンドロスは、妻に扇動された妻の兄弟によって殺害された。
共和政ローマはウォルスキ族を破り、その支配地のほとんどを属領とした。共和政ローマは、紀元前390年にガリアに敗れて弱体化していたラテン同盟を刷新した。
ディオニュシオス1世の義弟で、紀元前366年にディオニュシオス2世によってシュラクサイ(シラクサ)から追放されていたディオンは、ザキントス島に1500人の傭兵を集め、シチリアに渡った。ディオンは、軟弱なディオニュシオス2世から実権を奪い、ディオニュシオス2世は国外追放されてロクリへ逃れた。
マケドニア王国の将軍パルメニオンは、イリュリア人に対して大勝利を収める。イリュリア人の脅威から解放されたマケドニア王ピリッポス2世は、アテナイの都市であったアンフィポリス(パンゲオン山脈の金鉱を支配していた)を占領した。
アケメネス朝ペルシア帝国のサトラップ(大守)であったハリカルナッソスのマウソロスが、ロドスを属国化した。
マケドニア王ピリッポス2世は、エピルスのモロッシア人 (Molossians) の王女オリュンピアスと結婚し、マケドニア王国の西の境の安定化を図った。
ピリッポス2世がアンフィポリスを占領し、パンガイオン金山を含むトラキア地方を制圧。 ディオンがシュラクサイ僭主ディオニュシオス2世に対する反乱を起こす。
魏と趙が鄗で会合した。
アテナイの将軍で、傭兵隊長だったカレス (Chares) とエウボイア島の傭兵だったカリデモス (Charidemus) がトラキアのケルソブレプテス王 (Cersobleptes) の支配下にあったトラキアのケルソネソスを、アテナイに奪還した。カリデモスはこの戦功に対して、アテナイから金冠を授けられた。
アレクサンドロス3世がマケドニア王ピリッポス2世の子として生まれる。
趙と斉と宋が平陸で会合した。
魯・衛・宋・韓の国君が魏の恵王に朝見した。
趙と燕が阿で会合した。
斉の威王が即墨大夫を万家に封じるいっぽう、阿大夫の汚職を責めて処断したため、斉の国内は粛然とした。
秦の孝公が商鞅を左庶長に任命して変法を実行させた(第一次変法)。
ピリッポス2世がクリニデスを征服し、フィリッポイと改名。
ヘロストラトスがエフェソスのアルテミス神殿に放火。
アケメネス朝ペルシア帝国のアルタクセルクセス3世は、アテナイに、小アジアから撤退し、ペルシア帝国に反抗しているアテナイの同盟者たちの独立を承認するよう求める和平条件を押し付けた。
斉の威王と魏の恵王が郊で会合し狩猟をおこなった。
スパルタ王アルキダモス3世は、第三次神聖戦争 (Third Sacred War) においてテーバイに対抗したポーキス人たちを支援した。
秦の孝公と魏の恵王が杜平で会合した。
アテナイのカレス (Chares of Athens) が率いる主戦派に代わって、エウブロス (Eubulus) が率いる和平派が政権をとった。エウブロスは、税を引き上げずにアテナイの経済的地位を再建し、アテナイの造船所や防御施設の補修をしながら艦隊の増強を図った。
フォキス勢は、第三次神聖戦争 (Third Sacred War)において、アテナイに敗北を喫した。
ローマは、サムニウム人たちと結び、ともにガリア人に対抗する相互防衛条約に合意した。他方、ローマはカエレ (Caere) に拠っていたエトルリア勢を打ち破った。
カリア王マウソロスの墓であり、後に世界の七不思議のひとつに数えられたマウソロス霊廟の建設が始まった。
マケドニア王ピリッポス2世が、アテナイの支配下にあったメトニの町を陥落させ、破壊した。この攻城戦の最中に、ピリッポスは片目を失った。
シュラクサイの僭主ディオンの振る舞いへの反発が増し、ディオンは遂にアテナイから一緒に遠征してきた仲間のひとりであるカリッポス (Calippus of Syracuse) に暗殺された。
秦が魏軍を元里で撃破し、少梁を奪った。
魏が趙を攻撃し、邯鄲を包囲した。楚が景舎を派遣して、趙を救援した。
アテナイは、キオス島、コス島、ロドス島の独立を認め、カリアのマウソロスと和平を結んだ。
フォキス勢が北上して、テッサリアを脅かした。マケドニア王ピリッポス2世は、南進する機会をうかがっていた。
斉の威王が田忌を趙の救援に向かわせた。
黒海に面したギリシアの植民都市ヘラクレアの僭主クレアルコス (Clearchus of Heraclea) が、12年間の統治の末に、キオン (Chion of Heraclea) に率いられた一部の市民たちによって殺害された。襲撃した者の多くは、その場で護衛たちによって殺され、捕らえられた者たちも結局処刑された。
アケメネス朝ペルシア帝国のサトラップ(太守)として、カリアを治めていた王マウソロスが死去し、翌紀元前352年には、未亡人となったアルテミシア(兄弟姉妹婚であった)が、王位を継承した。
田斉と趙の連合軍が孫臏の計略により魏と宋と衛の連合軍を破る(桂陵の戦い)。
宋の景善と衛の公孫倉が斉軍と合流し、魏の襄陵を包囲した。
桂陵の戦いにおいて、兵家孫臏の献策により、斉が魏を破った(囲魏救趙)。
楚で昭奚恤が令尹(宰相)となった。
韓が東周を攻撃し、陵観と廩丘を奪った。
秦の大良造の商鞅が魏を攻撃し、安邑を包囲して降した。
魏と韓の軍が襄陵を包囲していた斉・宋・衛の連合軍を撃破した(襄陵の戦い)。斉の威王は楚に仲介を依頼し、楚は景舎を派遣して講和を求めさせた。魏の恵王は斉や宋と会合した。
マケドニア王ピリッポス2世は、フォキス勢に対する攻勢に2度失敗したあと、クロコスの戦い (Battle of Crocus Field) で大勝利を収め、フォキス勢を南方へ追い落とした。フォキス方に加勢するアテナイとスパルタの軍勢が到着すると、ピリッポスはテルモピュライで侵攻を止めた。
(以上のできごとは紀元前353年にあったとする見解もある。)
ピリッポスは、次にトラキアへと転進した。トラキア侵攻は成功し、この地の支配権を掌握し、トラキア王ケルソブレプテス (Cersobleptes) の息子を人質として連れ去った。テッサリアにおける勝利によって、ピリッポスは、テッサリア同盟の盟主(アルコン)となった。
韓の昭侯が申不害を宰相として任用した。
初めて、プレブス(平民)出身のケンソル(監察官)が誕生した。
デモステネスは、傭兵への依存をやめ、かつてのような市民軍の考え方に立ち戻るよう、アテナイ市民の説得を試みた。
秦の商鞅が魏の固陽を包囲して降した。
魏が趙の邯鄲の包囲を解き、趙と漳水のほとりで盟約を結んだ。
ガリア人との戦闘で、重たい投げ槍の一種ピルムが初めて使用された(リウィウスの記述による)。
アルタクセルクセス3世が、エジプトへの侵攻を断念したことに勇気づけられ、フェニキアやキプロスがペルシア帝国に対して反旗を翻した。
エトルリア人勢力は、ローマ勢に大敗を喫し、ローマへの攻撃を断念して和平を求めた。
趙の成侯が死去し、公子碟は太子語と位をめぐって争ったが敗れて、韓に亡命した。太子語は即位して粛侯となった。
プラクシテレスが「クニドスのアプロディーテー」を作る。オリジナルの大理石像を真似た、ローマ時代の2つのよく似た模作の複合が ローマのバチカン美術館のピオ・クレメンティーノ美術館のGabinetto delle Maschereに保存されている。
ヘカトムノスの次男イドリエウスが、兄マウソロスの未亡人アルテミシア2世の死後、カリアの王座を受け継ぐ。即位の直後、ペルシア王アルタクセルクセス3世の依頼により、イドリエウスは三段櫂船40艘の艦隊を用意し、8000の傭兵隊の軍を集め、アテネの将軍フォキオン指揮下のキプロスに対して派遣した。
ハリカルナッソス(現在のトルコのボドルム)のマウソロス霊廟の建設が終わる。これはペルシアのサトラップでありカリアの支配者であるマウソロスの墓であり、妻のアルテミシア2世の指揮のもと建てられた。マウソロス霊廟は、世界の七不思議の一つと見なされ、現在一部がロンドンの大英博物館に保存されている。
秦が咸陽に遷都。
秦が魏と彤(現在の陝西省渭南市華州区付近)で会合した。
エピダウロスの円形劇場が建設される。 フランス南西部で「アグリの黄金兜(アングレーム博物館蔵)」が作られる。 テムズ川の川床から出土した「バターシーの楯」が作成され奉納される(大英博物館蔵)。
ガリア人がまたもローマを脅かし、徹底的にローマとその同盟の軍に打ち負かされる。
プラトンが、固定した天球上の星が回転しているという宇宙の地動説モデルを提案する。
この頃、マヤ文明がメソアメリカで始まる。
アレクサンドロス1世が、義弟のマケドニア王ピリッポス2世が彼の従兄弟のアリュバスを退位させた後、エピロス王になる。
秦の商鞅が第二次変法を行った。
宋の剔成君が桓公を廃位して、自ら即位した。
ピリッポス2世がトラキアのアブデラを略奪する。
アリストテレスが、月食やその他の観測を用いて、球体状の地球を論じる。 また彼は「オルガノン」で論理的な推論について論じた。
ペルシアへの反乱の中心であったシドンが、姉妹都市のテュロスやエジプトに支援を求めるが、わずかしか得られなかった。
エピダウロスの円形墳墓(トロス)に、コリント式柱頭が作られる。ギリシアのエピダウロスの考古学博物館に保存されている。
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よくある質問
紀元前350年代は何年から何年まで?
紀元前350年代は紀元前359〜前350年です。
紀元前350年代に起きた主な出来事は?
紀元前350年代(紀元前359〜前350年)は、マケドニアでピリッポス2世が王に即位し、その子アレクサンドロス3世が生まれました。中国では秦が商鞅の変法を進めて咸陽に遷都し、メソアメリカではこの頃マヤ文明が始まりました。
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