紀元前220年代(紀元前229〜前220年)の出来事年表

WORLD HISTORY · 紀元前500〜前1年

紀元前220年代の出来事紀元前229〜前220年

95件出来事
紀元前〜2026年の、1年ごと・10年ごとのページがあります

紀元前220年代に起きた主な出来事は?

紀元前220年代(紀元前229〜前220年)は、秦が戦国時代の諸国を滅ぼし、秦王政が中国を統一して始皇帝と名乗り、郡県制を全国に施行しました。地中海ではローマがテラモンの戦いでガリア連合軍に勝ち、カルタゴではハンニバルが軍の司令官となりました。

  1. 荊軻が秦王政の暗殺を図り失敗世界
  2. ハスドルバルがカルタゴ・ノウァを建設世界
  3. 地震でロードス島の巨像が破壊される世界
  4. テラモンの戦いでローマがガリアに勝利世界
  5. 王翦らが楚王負芻を捕らえる世界
  6. 秦が中国を統一し始皇帝と名乗る世界
  7. 始皇帝が郡県制を全国に施行世界
  8. ハンニバルがカルタゴ軍の司令官に世界

押すと、年表のその行へ移ります。

スポンサーリンク

紀元前220年代の出来事(年表・95件)

勉強にはPC版がおすすめです

PC版では、地域ごとの縦の線で出来事の流れを図として追えます。同じ時期に世界の別の場所で何が起きていたかが、ひと目で比べられます。

日本アジア中東オセアニア北米中南米ヨーロッパアフリカ
紀元前230年代から続く
紀元前220年代

紀元前229年

ローマ元老院が執政官ルキウス・ポストゥミウス・アルビヌスとグナエウス・フルウィウス・ケントゥマルスに率いられた軍をイリュリアに派遣し、第一次イリュリア戦争が勃発した。ローマ軍はギリシアのエピダムノス、アポロニア、コルシカ島、ファロス島、フヴァル島からイリュリアの守備隊を撤退させ、保護領とした。

ヨーロッパ

紀元前229年

マケドニア王デマティリウス2世が死に、わずか10歳の甥のアンティゴノス3世が、従兄弟で後に王となるフィリップ5世を摂政として王位を継いだ。

ヨーロッパ

紀元前229年

秦の王翦・羌瘣・楊端和らが趙を攻撃し、趙の李牧と司馬尚が防戦にあたった。秦は趙の幽繆王の側近である郭開を買収して、李牧と司馬尚のことを讒言させた。幽繆王は趙葱と顔聚を派遣して李牧らに代えようとした。李牧は命を受け入れず、幽繆王は李牧を捕えて殺害し、司馬尚を免職させた。

アジア

紀元前229年

ローマ帝国の拡張を懸念し、アンティゴノス3世はイリュリアとの友好政策を放棄した。

ヨーロッパ

紀元前229年

イリュリアへのローマ帝国の侵略により、マケドニアに敵対するアエトリア同盟、アカイア同盟の国々とローマ帝国の間に友好関係ができた。これにより、イリュリアの海賊行為が抑えられた。

ヨーロッパ

紀元前229年

シキュオンのアラトスはアルゴスをアカイア同盟に加盟させ、アテナイの解放を支援した。このため、アラトスはスパルタと敵対するようになった。

ヨーロッパ

紀元前229年

イリュリアのArdiaei族がローマ軍に征服された。

ヨーロッパ

紀元前228年

ハスドルバルはすぐに方針を変更し、ヒスパニアの領土を広げ、またローマに対抗するのに軍事的な手段よりも外交的な手段を重視するようになった。また首都として 「新しいカルタゴ」という意味のカルタゴ・ノヴァ(現在のカルタヘナ)という街を建設した。

ヨーロッパアフリカ

紀元前228年

秦の王翦が燕を攻撃するために中山に駐屯した。

アジア

紀元前228年

魏の景湣王が死去し、子の魏王假が即位した。

アジア

紀元前228年

秦王政が邯鄲に入り、趙での人質時代に恨みのあった人々をみな穴埋めにした。

アジア

紀元前228年

カルタゴの将軍ハミルカル・バルカは、イベリア半島を征服する長期間の遠征の末に行われたヒスパニアでの戦いで戦死した。8年間で軍事や外交的手段によって、彼はイベリア半島の広大な領域を救ったが、戦死によってイベリア半島の軍勢は娘婿のハスドルバルに引き継がれた。

ヨーロッパ

紀元前228年

秦が趙を滅ぼす。

アジア

紀元前228年

秦は趙の国都邯鄲を陥落させ、趙の幽繆王を捕らえた。その地に邯鄲郡が置かれた。

アジア

紀元前228年

殺害されたスパルタ王アギス4世の弟アルキダモス5世はクレオメネス3世によってスパルタに呼び戻された。しかしアルキダモス5世は、スパルタに戻った後すぐに暗殺された。

ヨーロッパ

紀元前228年

楚の幽王が死去し、楚の人々は弟の哀王を擁立した。庶兄の負芻がこれを殺して、自ら即位した。

アジア

紀元前228年

アッタロス朝の王アッタロス1世は、セレウコス朝の王セレウコス2世の弟であるアンティオコス・ヒエラクスを3度の戦争の末に破り、南東部のキリキアを除くアナトリアの支配権を確立した。

中東

紀元前228年

趙の公子嘉が代に逃れて代王を称した。

アジア

紀元前228年

イリュリアの女王テウタの知事デメトリウスは、圧倒的なローマの軍勢の前に降伏した。その見返りとして、また勢力の均衡を図るため、ローマは彼にテウタの財産のかなりの部分を与えた。その一方で、ローマ軍はアポロニアからさらに北方に進軍した。ローマ軍は次々に街を征服しながら北進し、ついにイリュリアの首都シュコドラを包囲した。

ヨーロッパ

紀元前227年

秦の王翦と辛勝が燕を攻撃し、燕軍および代軍と易水の西で戦って、これを撃破した。

アジア

紀元前227年

スパルタ王クレオメネス3世は、借金の帳消しや4,000人の市民への土地の供与、若者への格闘技訓練等を含む国内の改革を断行した。

ヨーロッパ

紀元前227年

マケドニア王国の摂政アンティゴノス3世は前王デメトリウス2世の未亡人プティアと結婚し、若いピリッポス5世を退位させた。

ヨーロッパ

紀元前227年

女王テウタは降伏し、ローマとの不名誉な和平を受け入れさせられた。ローマは彼女の在位を許可したが、首都シュコドラの周りの狭い範囲に限定してその他全ての領土を剥奪した。また、首都のすぐ南のLissusを超えて軍船を出すことを禁じられた。

ヨーロッパ

紀元前227年

荊軻による秦王政暗殺未遂事件。

アジア

紀元前227年

ガイウス・フラミニウスがシチリアの最初の知事となった。

ヨーロッパ

紀元前227年

燕の太子丹が刺客の荊軻を送って、秦王政を暗殺しようと図った。荊軻は暗殺に失敗して、殺された。

アジア

紀元前227年

アンティオコス・ヒエラクスが兄のセレウコス2世に対してシリアで反乱を起こそうとしたが、捕らえられ、トラキアに追放されて事実上の捕虜となった。

中東

紀元前227年

クレオメネス3世は、メガロポリス近郊のLycaeumとLadoceiaでアラトゥスの率いるアカイア同盟の軍を破った。

ヨーロッパ

紀元前227年

カルタゴ将軍ハスドルバル・バルカがカルト・ハダシュト(カルタゴ・ノウァ.現カルタヘナ)を建設。

ヨーロッパ

紀元前227年

サルディニア県とコルシカ県は統合された。ローマは、この県とシチリアのために2人のプラエトルを選出した。

ヨーロッパ

紀元前226年

地震によって、ロードス島の巨像とともにカメイロスの街が破壊された。

ヨーロッパ

紀元前226年

スパルタ王クレオメネス3世はマンディニアを占領し、エーリス北東のHecatombaeumでアラトゥスの率いるアカイア同盟軍を破った。

ヨーロッパ

紀元前226年

昌平君が郢に移された。

アジア

紀元前226年

ローマはハスドルバルに使節を送り、エブロ川北部で戦争を起こさない代わりに、マルセイユの街を含む南部を自由にさせるという条約を結んだ。

ヨーロッパ

紀元前226年

王賁が楚を攻撃し、十数城を奪った。秦王政が李信に楚を攻めるための兵数を訊ねると、李信は「20万で充分です」と答え、秦王が王翦に訊ねると、王翦は「60万はないといけません」と答えた。秦王は王翦が老いたものと思い、李信と蒙武に20万人を与えて楚を攻めさせた。王翦は病を理由に頻陽に帰った。

アジア

紀元前226年

セレウコス2世は落馬により死亡し、長子のセレウコス3世が後を継いだ。

中東

紀元前226年

アルプス山脈を越えたガリア人がローマを脅かした。

ヨーロッパ

紀元前226年

韓の旧都の新鄭で秦に対する反乱が起こった。

アジア

紀元前226年

セレウコス朝の王セレウコス2世の弟であるアンティオコス・ヒエラクスは囚われていたトラキアから何とか逃れ、山に逃げたが、ガラティア軍に殺害された。

中東

紀元前226年

カルタゴに脅かされたギリシア人商人がマルセイユでローマ向けに銀山の採掘等を行い、成功した。ローマはエブロ川南部の独立した港町サグントと協定を結んだ。

ヨーロッパ

紀元前226年10月

秦の王賁が燕の都の薊を陥落させた。燕王喜と燕太子丹は遼東に逃れたが、李信がこれを急追した。燕王喜は代王嘉の勧めに従って太子丹を殺害し、秦王政に献上しようとした。しかし秦王はさらに兵を進めて燕王を攻撃した。

アジア

紀元前225年

この侵攻を受け、ローマはウェネティ族、パドヴァ族、ケノマニ族等に動員を呼びかけ、すぐに防衛軍を結成した。この軍は、執政官ルキウス・アエミリウス・パプスの指揮下に置かれた。

ヨーロッパ

紀元前225年

秦の李信が楚の平輿を攻め、蒙恬が寝を攻めて、楚軍を撃破した。さらに李信は鄢郢を攻撃して破った。そこで兵を西に引き返し、蒙恬と城父で合流したが、楚軍はこれについてきており、三日三晩休まず連戦して、李信を大敗させた。楚軍は秦のふたつの城壁に侵入し、7人の都尉を殺した。李信は逃げ帰った。

アジア

紀元前225年

ガリア・キサルピナ族の連合は、ガリア・ナルボネンシスからの大量の援軍によって強化され、ローマに反旗を翻した。アリミヌムでローマ軍を回避したガリア軍は、アペニン山脈を越えてエトルリアへ侵攻した。

ヨーロッパ

紀元前225年

秦が魏を滅ぼす。

アジア

紀元前225年

テラモンの戦いで、ローマ軍がガリア連合軍団に勝利する。

ヨーロッパ

紀元前225年

秦の王賁が魏を攻撃し、黄河の水を引いて都の大梁にそそがせ、水攻めにした。3月、大梁の城を破壊した。魏王假を降伏させ、魏の全土を占領した。

アジア

紀元前225年

セレウコス3世は、アナトリアのペルガモンをアッタロス1世から奪い返す戦いを再開した。しかし、最初に派遣した将軍のアンドロマコスはアッタロス1世に完敗し、捕らえられた。

中東

紀元前224年

秦の王翦が60万の大軍を率いて淮水を渡り、楚の都寿春を包囲した。

アジア

紀元前224年

スパルタ王クレオメネス3世がペレネ、プリウス、アルゴスを手に入れると、シキュオンのアラトスはマケドニア王国のアンティゴノス3世に支援を求めた。アンティゴノス3世の軍はクレオメネス3世の軍を撃退することはできなかったが、アルゴスで反乱が起こってスパルタ軍を守勢に追い込んだ。

ヨーロッパ

紀元前224年

執政官ティトゥス・マンリウス・トルクァトゥスとクィントゥス・フルウィウス・フラックスに率いられたローマ軍はガリア・キサルピナのボイイ族領へと侵攻し、更にローマの執政官としては初めてポー川を越えてインスブレス族と戦った。

ヨーロッパ

紀元前223年

秦の王翦と蒙武が楚王負芻を捕らえた。

アジア

紀元前223年

秦が楚を滅ぼす。

アジア

紀元前223年

セレウコス朝の王セレウコス3世は、ペルガモン王国のアッタロス3世討伐の遠征の際、フリギアで自軍の兵士に暗殺された。

中東

紀元前223年

楚の項燕が昌平君を立てて楚王としたが、蘄南で敗れた。昌平君は戦死し、項燕は自殺した。

アジア

紀元前223年

セレウコス3世の後を弟のアンティオコス3世が継いだ。

中東

紀元前223年

執政官ガイウス・フラミニウスとプブリウス・フリウス・ピルスは、ガリア・キサルピナのガリア人インスブレス族に勝利し凱旋式を挙行した。

ヨーロッパ

紀元前222年

秦の王翦が楚の江南の地を平定し、百越の君を降伏させ、会稽郡を置いた。

アジア

紀元前222年

秦の王賁が遼東に逃亡した燕軍を殲滅し、燕王喜を捕虜にした。ここに秦は燕を征服した。

アジア

紀元前222年

秦が燕を滅ぼす。

アジア

紀元前222年

メディオラヌムがローマに征服される。

ヨーロッパ

紀元前222年

王賁が代(趙の亡命政権)を攻め、代王嘉を捕虜とし、代郡(現在の河北省蔚県西南)と遼東郡(現在の遼寧省遼陽市老城区)を置いた。

アジア

紀元前222年

ギリシアのほぼ全土がマケドニア王国の宗主権の下に置かれ、アンティゴノス3世は自身を首長としてヘレニズム同盟を再建した。

ヨーロッパ

紀元前222年

将軍アカエウスの率いるセレウコス朝の軍は、6年前に奪われたアナトリアの領土をペルガモン王国から取り返した。

中東

紀元前222年

スパルタのクレオメネス3世はセラシアの戦いでアンティゴノス3世とアカイア同盟、パロスのデメトリオス率いるイリュリア、プトレマイオス3世率いるエジプトからなる同盟軍に敗れた。アンティゴノス3世の軍は他国の軍として史上初めてスパルタを占領した。

ヨーロッパ

紀元前222年

ポントス王ミトリダテス2世は、娘のラオディケ3世をセレウコス朝の王アンティオコス3世に嫁がせた。また、別の娘を同時にアンティオコス3世の従兄弟アカエウスに嫁がせた。

中東

紀元前222年

ウィリドマルスに率いられたガリア人のガエサタエとインスブレス族に、執政官マルクス・クラウディウス・マルケッルスの率いるローマ軍がクラスティディウムの戦いで勝利し、マルケッルスは自身の手でウィリドマルスを殺害した。この勝利によってマルケッルスは、ローマ史上3人目の、そして最後のスポリア・オピーマとなった。

ヨーロッパ

紀元前221年

★主な出来事秦が中国を統一

アジア

秦王の政が戦国時代の諸国を滅ぼして中国を統一し、始皇帝と名乗った。文字・度量衡・貨幣をそろえ、皇帝が治める国の形をつくった。

出典:コトバンク:秦(山川 世界史小辞典)(事典)

PR本で読むAmazon楽天ブックスゆかりの地:西安中国のホテル楽天トラベル

紀元前221年頃

政が中国史上初めて皇帝を名乗り、約2000年続く中国の絶対君主制を開始する。政は後世に始皇帝と称される。

アジア

紀元前221年

アンティゴノス3世がイリュリアの諸都市との戦闘中に死に、若き従兄弟のピリッポス5世がマケドニア王位を継ぐ。

ヨーロッパ

紀元前221年

ガイウス・フラミニウスが、ローマの2番目の競馬場であるフラミニウス競技場を建設する。

ヨーロッパ

紀元前221年

メディア総督(サトラップ)のモロンと兄弟でペルシス総督のアレクサンドロスは、主に宰相ヘルメイアスへの憎しみを理由に、アンティオコス3世に反乱を起こす。モロンはチグリス川東部にあるセレウキアの領地の支配者になることが可能になる。アンティオコス3世の軍は、彼が川を越えようとする試みを防ぐ。

中東

紀元前221年

始皇帝は中央集権を採用して郡県制を全国に施行する。天下を三十六の郡に分け、郡に守、尉、監を置く。

アジア

紀元前221年

ハンニバルはカルタゴのヒスパニアの支配を強固にするため、直ちに動き始める。彼はヒスパニアの王女Imilceと結婚すると、ヒスパニアの様々な部族の征服を始める。オルカデス族と戦い、その首都アルタイアを占領する。

ヨーロッパアフリカ

紀元前221年

エジプト・プトレマイオス朝では、プトレマイオス3世が死に、プトレマイオス4世が即位する。ソシビオスがプトレマイオス4世によって大宰相となり、全ての国務を指示して、瞬く間に若き王に大きな影響を持つようになった。

中東アフリカ

紀元前221年

カルタゴの将軍ハスドルバルが、ヒスパニアの植民地を増やすための遠征中に、ケルト人によって暗殺される。ハスドルバルの暗殺の後、カルタゴの将軍ハミルカル・バルカの息子ハンニバルは、司令官として軍に推挙され、カルタゴ政府から承認を受ける。

ヨーロッパ

紀元前221年

スパルタ王クレオメネス3世は、エジプトに亡命していたが、プトレマイオス4世は陰謀を疑い彼を軟禁する。

中東アフリカ

紀元前221年

秦の将軍王賁は李信・蒙恬と共に斉を攻め、斉都の臨淄を包囲する。斉王建は后勝の言に従い無抵抗なまま降服する。秦は斉を滅ぼし秦王政は中国統一を果たす。戦国時代が終焉する。秦魏の戦い

アジア

紀元前221年

秦は天下の武器を咸陽に集め、溶かして鐘と十二金人を作る。重さはそれぞれ千石あり、宮廷の中に置く。度量衡を統一する。天下の富豪十二万戸を咸陽に移住させる。

アジア

紀元前221年頃

中国の青銅器時代が終わる(おおよその年代)。

アジア

紀元前221年

ソシビオスの讒言により、 プトレマイオス4世は次々におじのリュシマコスや弟のマガスや母のベレニケ2世を殺害する。

中東アフリカ

紀元前220年

味方のイリュリア人であるスケルディライダスと共に、ファロスのデメトリウスは、ローマの保護下にあるイリュリアの諸都市を攻撃し、ギリシアの海域に海賊小艦隊を進めた。ペロポネソス半島にあるメッセニア海岸のアカイア人の都市ピュロスを攻撃したが、成功しなかった。

ヨーロッパ

紀元前220年

デメトリウスは、ローマの影響に憤慨しているマケドニア王ピリッポス5世からの逃げ場を探す。ローマはデメトリウスの主要な港であるファロスとDimillosを占領する。

ヨーロッパ

紀元前220年

モロンがセレウコス朝王国の主要部を占領し王を称したことにより、宰相ヘルメイアスの助言により、アンティオコスはシリア北部からのエジプト遠征を断念する。アンティオコスは代わりにモロンに進軍し、アポロニアの戦いで、ティグリス川の土手でモロンとその兄弟のアレクサンドロスを打ち破り、殺害する。

中東

紀元前220年

始皇帝は、隴西と北地を巡り、鶏頭山に至り、回中をまわる。信宮を渭南に作り、極廟と改名する。極廟から驪山に道は通じさせ、甘泉前殿を作り、甬道を作って咸陽と連絡させた。馳道を作って天下をつなげた。

アジア

紀元前220年

シキュオンのアトラスが、ピリッポス5世が主導権を握るヘラス同盟の支援を得て、アエトリア人の侵略に反撃する。同盟市戦争の結果、ピリッポス5世の煽動の元、ヘラス同盟のギリシアの国々はコリントスに招集された。彼はアイトリア、スパルタ、エリスとの戦いへとヘラス同盟を導いた。

ヨーロッパ

紀元前220年

始皇帝が中国全土を結ぶ樹状道路システムを開始し、地域ごとの防壁を繋げて万里の長城の原型を作る。

アジア

紀元前220年

アンティオコス3世の司令官のアケウスが、ペルガモンのアッタロス1世が獲得した全ての領地を回復するが、宰相ヘルメイアスが反乱を企んでいるという讒言をする。自衛のため、アケウスは王を称しセレウコス朝の領地のアナトリアを支配する。

中東

紀元前220年

クレタ島で、ゴルテュン人がマラタを占領する。

ヨーロッパ

紀元前220年

アンティオコス3世とラオディケ2世(ポントス王ミトリダテス2世の娘)の間に息子が誕生する。ヘルメイアスは、王を除けば幼い息子の名目で王国を支配できると考えるようになる。アンティオコス3世は、計画を発見し、ヘルメイアスの暗殺を手配する。

中東

紀元前220年

ケンソルのガイウス・フラミニウスの任期中、カンプス・マルティウスにフラミニウス競技場が建築され、ローマからアリミヌム(リミニ)に至るフラミニウス街道が敷設された。

ヨーロッパ

紀元前220年

ローマは第二次イリュリア戦争に参加し、イリュリア海賊に再び打撃を与える。

ヨーロッパ

紀元前220年

ガリア・キサルピナに植民市クレモナとプラケンティアが造られた。

ヨーロッパ

紀元前220年

アルシノエ3世が兄弟のプトレマイオス4世と結婚する。

中東アフリカ

紀元前220年

スケルディライダスとアイトーリア人がアカイアに進攻する。キュナイタ人の裏切り者の助けを借り、アルカディア北部の町キュナイタを攻撃し奪った。

ヨーロッパ

紀元前210年代へ続く
スポンサーリンク
出来事人物名人物の誕生(地域の色)転換点(時代の大きな流れ)複数地域にまたがる出来事

PR紀元前220年代をもっと楽しむ

紀元前500〜前1年を本で読む

リンク先は Amazon・楽天などの検索結果や提携先のページです。

よくある質問

紀元前220年代は何年から何年まで?

紀元前220年代は紀元前229〜前220年です。

紀元前220年代に起きた主な出来事は?

紀元前220年代(紀元前229〜前220年)は、秦が戦国時代の諸国を滅ぼし、秦王政が中国を統一して始皇帝と名乗り、郡県制を全国に施行しました。地中海ではローマがテラモンの戦いでガリア連合軍に勝ち、カルタゴではハンニバルが軍の司令官となりました。

参考にした Wikipedia の記事(11 件・CC BY-SA 4.0)

Wikipedia 日本語版の記事。文章は CC BY-SA 4.0 で提供されています。

各行の要約は inv-world による独自の文章です。Wikipedia 以外の出典は各行に、参考にした Wikipedia の記事はページの下にまとめて載せています(Wikipedia の記事は CC BY-SA 4.0)。日付は資料の表記を優先し、ユリウス暦・旧暦の日付にはグレゴリオ暦の換算日を併記しています。このページには広告(アフィリエイトリンク・Google AdSense)を含みます。広告には「PR」または「スポンサーリンク」と表示しています。

執筆者: 瀬尾