WORLD HISTORY · 紀元前500〜前1年
紀元前370年代の出来事紀元前379〜前370年
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紀元前370年代に起きた主な出来事は?
紀元前370年代(紀元前379〜前370年)は、テーバイがレウクトラの戦いでスパルタに勝ってギリシアの覇権を握り、メッセニア人を解放しました。中国では韓と魏が晋を攻め滅ぼし、秦では現存最古の中国の石刻文字資料である石鼓文が刻まれました。
- アテナイが第二次アテナイ帝国を構築世界
- ナクソスの海戦でアテナイが勝利世界
- 韓と魏が晋を攻め滅ぼす世界
- 秦で石鼓文が刻まれる世界
- ヘリケが地震と津波で壊滅世界
- レウクトラの戦いでテーバイが勝利世界
- テーバイがメッセニア人を解放世界
- エウドクソスが取り尽くし法を開発世界
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紀元前370年代の出来事(年表・59件)
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ペロピダスを中心としたテーバイからの亡命者たちの小集団が、テーバイに潜入し、親スパルタ政権の指導者たちを暗殺した。
テーバイは、かつてのボイオーティア同盟を、新たに、民主政の下で再構築することになった。ボイオーティアの諸都市は、ボイオーティアの7地域から選ばれる7人の将軍(ボエオタルク、Boeotarch)が執行機関を構成する同盟として団結した。
スパルタはカルキディア同盟 (Chalkidian League) に圧力を加え、マケドニア王アミュンタス3世に有利な条件を呑ませた。
趙が衛を襲撃したが、敗北した。
魏・韓・趙が斉を攻撃し、霊丘に達した。
ディオニュシオス1世 (Dionysius I of Syracuse) の3度目の対カルタゴ戦争は、悲惨な成り行きとなった。
アテナイはテーバイと同盟し、いわゆる「第二次アテナイ帝国 (Second Athenian Empire)」を構築した。この同盟には、ボイオーティアの大部分と、イオニアの島々の一部が加わっていた。
テーバイの将軍で政治家のエパメイノンダスが、テーバイ軍の指揮者となった。ペロピダスがボエオタルク (Boeotarch) と呼ばれるテーバイの最高執政官となった
狄が魏軍を澮で撃破した。
スパルタが(アテナイの外港である)ペイライエウス(現在のピレウス)を奪取しようと試みたことから、アテナイはテーバイに接近した。アテナイの傭兵隊長カブリアスはテーバイ近郊で、数に優ったアゲシラオス2世率いる軍勢と対峙した。
アテナイの将軍コノンの息子ティモテオス (Timotheus) が、将軍職に選ばれた。
最後の君主静公が退位を迫られ、晋が滅亡する。 テーバイの将軍ゴルギダスが「神聖隊(ヒエロス・ロコス)」を組織する。
スパルタとテーバイの紛争に介入する準備に入ったアテナイは、財政と税制を再編し、裕福な市民が、さほど裕福でもない市民からの徴税に責任をもつ制度が導入された。
ティモテオス (Timotheus) が、アカルナニア人とモロシア人 (Molossians) のもとに送られ、アテナイとの友好関係を確保した。
マウソロスが、アケメネス朝ペルシア帝国のカリアのサトラップ(太守)に任じられた。
紀元前387年のアンタルキダスの和約に定められた条項により、ギリシア諸都市の独立は保証されていた。スパルタ王アゲシラオス2世はこの条項を盾にとり、テーバイを盟主とするボイオーティア同盟の解体を迫る根拠とした。2度に及ぶ攻城戦によって、テーバイは飢餓状態寸前まで追い込まれた。
蜀が楚を攻撃し、茲方を奪った。
周の安王が死去し、烈王が即位した。
ナクソス島の近くで起きたナクソスの海戦 (Battle of Naxos) で、提督チャブリアスが指揮したアテナイ艦隊が、スパルタ艦隊に勝った。この戦いの結果、黒海方面からアテナイへ穀物を運ぶ船に対するスパルタの海上封鎖が崩された。
春秋時代の有力諸侯であった晋は、紀元前403年に有力家臣であった韓・趙・魏の三家によって国土を分割されたものの、晋公はわずかな領土を与えられて存続していた。だが、この年になって韓と魏が連合して晋を攻め滅ぼした。
トラキアの都市アブデラがトリバロイ人 (Triballi) に襲撃される。
ボイオーティアのオルコメノスにいたスパルタの部隊がロクリスへの遠征に赴くことを知ったペロピダスは、神聖隊と小規模な騎兵隊を率いて、無防備となったオルコメノスを奪取しようとした。しかし、テーバイ勢が町に近づくと、既に相当の兵力がスパルタ本国からオルコメノスへ増派されていることが分かってきた。
韓が鄭を滅ぼす。
テーバイの将軍ペロピダスが、300人の精鋭歩兵部隊神聖隊の指揮者となる。
アテナイは、テーバイとスパルタの戦争から手を引こうと、スパルタと和平を結んだ。しかし、和平は長続きしなかった。
スパルタは、シュラクサイからも徴兵して、コルキュラを攻撃した。アテナイはコルキュラの支援に向かった。アテナイの将軍ティモテオス (Timotheus) はコルキュラを確保し、アリュゼイア(アカルナニアの都市)沖の海戦でスパルタを破った。
韓の厳遂が哀侯を殺害した。韓の国人たちは懿侯を擁立した。
サラミス (Salamis) の王エウアゴラスが暗殺された。息子ニコクレスが後を継ぎ、『ニコクレスに与う (Exhortation to Nicocles)』を著したイソクラテスの励ましを受けながら、父に倣って自由主義的、ギリシア的政策を進めた。
秦の献公の巡狩を記念して石鼓文が刻まれる(現存する中国の石刻文字資料としては最古のもの)。
燕が斉軍を林狐で破った。
アケメネス朝ペルシア王アルタクセルクセス2世が、エジプトにおける支配権の奪還を目指して再征服に乗り出す。遠征の指揮はファルナバゾスが執った。当初、侵攻は順調に進み、ペルシア側のギリシア人傭兵隊は、メンフィスへと攻め寄せた。しかし、エジプト王ネクタネボ1世は、軍勢を集め、ペルシア勢の侵攻に反撃することができた。
魯が斉を攻撃し、陽関に入った。
デルポイのアポローン神殿が地震で破壊された。
魏が斉を攻撃し、博陵に達した。
イピクラテスが率いたアテナイ軍は、スパルタに攻城戦を仕掛けられていたコルキュラを救った。
古代ギリシアの都市ヘリケ (Helike) が、大地震と津波によって壊滅した。
趙が衛を攻撃し、73城を奪った。
古代オリンピックで、自身が審判を務めていたエリスのトロイロスが、2つの馬術競技で優勝し、審判の競技参加が禁止されるきっかけを作った。
魏が趙軍を北藺で破った。
テッサリアの支配者フェライのイアソン (Jason of Pherae) が、アテナイと同盟し、さらにマケドニア王国と同盟した。
魏が楚を攻撃し、魯陽を奪った。
テーバイがより攻撃的になることを恐れていたアテナイは、テーバイの勝利を歓迎しなかった。スパルタに対する勝利の後、テーバイはペルシア帝国との同盟関係を復活させた。
新たな和平会談がスパルタで開催された。その席で、スパルタ王アゲシラオス2世は(アテナイの支援を受けて)、テーバイがボイオーティア全域を代表して署名することを認めなかった。
レウクトラの戦いでテーバイがスパルタに勝利しギリシアの覇権を握る。
アゲシポリス2世が、父クレオンブロトス1世の後を継いでスパルタ王となった。
この年には、クロイツ群の彗星が近点を通過したとされている。このとき、アリストテレスやエポロスは、彗星の観測を行ったと考えられている。
スパルタがテーバイに予想外の敗北を喫したことで、アルカディアは再び独立した。アルカディア人たちはマンティネイア (Mantineia) を再建し、アルカディア同盟 (Arcadian League) を結んで、新たな連邦都市としてメガロポリス (Megalopolis) を建設した。
和平会談の場におけるテーバイの振る舞いは、スパルタとテーバイの間で戦いを引き起こすことになった。スパルタは、テーバイの西部境界に軍を展開し、外交的勝利を確保するため、軍事的攻撃を潰そうと手ぐすねを引いていた。
テッサリアをギリシア有数の勢力に押し上げたタゴス(支配者) (tagus) であったフェライのイアソン (Jason of Pherae) が死去した。
趙が斉を攻撃し、鄄に達した。
テーバイ軍がペロポネソス半島に侵攻し、スパルタ支配下にあったメッセニア人を解放。
魏が趙軍を懐で破った。
テーバイの支援を得て、アルカディアは中心都市メガロポリス (Megalopolis) を完成させ、1万人の市民総会と、50人の評議会を設けて民主政が確立された。
クニドスのエウドクソスが、曲線を含む図形の面積を数学的に導く取り尽くし法を開発した。
魏の武侯が死去したが、太子を立てていなかったため、子の罃(恵王)と公子中緩が即位を争い、国内は混乱した。
斉の桓公が周に来朝した。
彫刻家プラクシテレスが、アテナイで活発な制作活動をはじめた。(おおよその年代)
楚の粛王が死去したが、子がなかったため、弟の宣王が即位した。
アゲシラオス2世に率いられたスパルタ軍が、アルカディアに侵攻。アルカディアは、当初アテナイを頼ろうとしたが聞き入れられず、テーバイに助けを求めた。テーバイのエパメイノンダスが援軍を率いて到着し、スパルタ軍が既に撤退し始めているのを見て取ると、追撃を行なった。
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よくある質問
紀元前370年代は何年から何年まで?
紀元前370年代は紀元前379〜前370年です。
紀元前370年代に起きた主な出来事は?
紀元前370年代(紀元前379〜前370年)は、テーバイがレウクトラの戦いでスパルタに勝ってギリシアの覇権を握り、メッセニア人を解放しました。中国では韓と魏が晋を攻め滅ぼし、秦では現存最古の中国の石刻文字資料である石鼓文が刻まれました。
参考にした Wikipedia の記事(11 件・CC BY-SA 4.0)
Wikipedia 日本語版の記事。文章は CC BY-SA 4.0 で提供されています。
各行の要約は inv-world による独自の文章です。Wikipedia 以外の出典は各行に、参考にした Wikipedia の記事はページの下にまとめて載せています(Wikipedia の記事は CC BY-SA 4.0)。日付は資料の表記を優先し、ユリウス暦・旧暦の日付にはグレゴリオ暦の換算日を併記しています。このページには広告(アフィリエイトリンク・Google AdSense)を含みます。広告には「PR」または「スポンサーリンク」と表示しています。