紀元前190年代(紀元前199〜前190年)の出来事年表

WORLD HISTORY · 紀元前500〜前1年

紀元前190年代の出来事紀元前199〜前190年

86件出来事
紀元前〜2026年の、1年ごと・10年ごとのページがあります

紀元前190年代に起きた主な出来事は?

紀元前190年代(紀元前199〜前190年)は、ローマがキュノスケファライの戦いでマケドニアを、マグネシアの戦いでセレウコス朝を破り、エジプトではロゼッタ・ストーンが建立されました。東アジアでは漢が匈奴と和親を結び、朝鮮半島北部に衛氏朝鮮が建国されました。

  1. 漢と匈奴が和親の条約を結ぶ世界
  2. キュノスケファライの戦いでローマ勝利世界
  3. ロゼッタ・ストーンが建立される世界
  4. ペルガモンに図書館、羊皮紙の発明へ世界
  5. 劉邦が死去し恵帝が即位世界
  6. 衛満が衛氏朝鮮を建国世界
  7. サモトラキ島のニーケー像が作られる世界
  8. マグネシアの戦いでローマが勝利世界

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紀元前190年代の出来事(年表・86件)

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日本アジア中東オセアニア北米中南米ヨーロッパアフリカ
紀元前200年代から続く
紀元前190年代

紀元前199年

プラエトル(法務官)のグナエウス・バエビウス・タンピルスがガリア人のインスブレス族に敗北した。

ヨーロッパ

紀元前199年

ナルニアに移住者が追加された。

ヨーロッパ

紀元前199年

護民官プブリウス・ポルキウス・ラエカが、ポルキウス法を成立させたと考えられている。プロウォカティオ(上訴)に関する法で、紀元前195年とする説もある。

ヨーロッパ

紀元前199年

スキピオ・アフリカヌスがプブリウス・アエリウス・パエトゥスと共にケンソル(監察官)に選出され、プリンケプス・セナトゥス(元老院第一人者)に指名された。

ヨーロッパ

紀元前199年

コンスル(執政官)のタップルスが第二次マケドニア戦争を担当した。

ヨーロッパ

紀元前198年

執政官フラミニヌスはプブリウス・ウィッリウス・タップルスの後任としてマケドニア担当となった。その後、アオウスの戦いでピリッポス5世を破った。彼はアカイア同盟を味方に引き入れ、ロクリスのニカイアでピリッポスと交渉した。ローマ元老院に和平の提案がなされたものの、交渉は決裂し、戦闘が再開した。

ヨーロッパ

紀元前198年

漢帝国が紀元前200年に匈奴に敗北すると、高祖は廷臣の劉敬を交渉に送り、漢の公主を和親として結婚させる、絹、酒、米等を定期的に献上する、国として対等の立場を認める、万里の長城を国境とする等の内容で合意に達した。この条約は、漢と匈奴の間で60年間続いた。

アジア

紀元前198年

平和が訪れた結果、アンティオコス3世は娘のクレオパトラ1世とプトレマイオス5世の結婚を認めた。

中東

紀元前198年

アンティオコス3世に率いられたセレウコス朝の軍とアエトリアのスコパスに率いられたプトレマイオス朝の軍によって、パニウムの戦いが行われた。セレウコス朝は戦争に勝利し、アンティオコス3世はエジプトのプトレマイオス5世からパレスチナとコイレ・シリアを手に入れた。

中東ヨーロッパ

紀元前197年

テッサリアで行われたキュノスケファライの戦いで、前執政官ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌスに率いられたローマ軍はピリッポス5世に対して決定的な勝利を収めた。

ヨーロッパ

紀元前197年

アンティオコス3世はペルガモン王国の一部と、アナトリアにある多くのギリシアの都市を占領した。

中東

紀元前197年

属州が増えたため、この年から法務官が6人に増えた。

ヨーロッパ

紀元前197年

父アッタロス1世の死去に伴ってエウメネス2世がペルガモン王国の王になった。

中東

紀元前197年

マケドニア王国への協力の見返りとして、スパルタ王ナビスは、ピリッポス5世から重要な都市アルゴスを獲得した。ナビスはその後占領の継続を期待して、ローマ帝国に鞍替えした。

ヨーロッパ

紀元前196年

プトレマイオス5世の「メンフィス勅令(Decree of Memphis)」が刻まれた「ロゼッタ・ストーン」が建立される。 共和政ローマの前執政官フラミニヌスが「ギリシアの自由」を宣言。

中東アフリカ

紀元前196年

漢の高祖(劉邦)が陸賈を南越国の趙佗の元へ和睦の使者として派遣し、趙佗は南越王として正式に印綬を受け取った。

アジア

紀元前196年

前漢王朝功臣のひとり韓信が謀反を計画するも露見し、蕭何の計略により捕らえられ処刑された。

アジア

紀元前196年頃

共和政ローマの学者、作家であるマルクス・テレンティウス・ウァッロによると、この頃エウメネス2世によってペルガモン王国に図書館が作られた。プトレマイオス5世からパピルスを禁輸し、羊皮紙の発明につながった。

中東

紀元前196年

護民官ガイウス・リキニウス・ルクッルスが、祝宴を担当する三人官の設置を法整備した。

ヨーロッパ

紀元前196年

淮陰侯韓信・梁王彭越・淮南王英布が処刑される。

アジア

紀元前196年

エトルリアで奴隷の反乱が起った。

ヨーロッパ

紀元前196年

フラミニヌスはスパルタ王ナビスを僭主として非難し、ナビスにアルゴスを明け渡させた。

ヨーロッパ

紀元前196年

プロコンスル(前執政官)のティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌスは、10人の補佐を受けてピリッポス5世と和平を結び、コリントスで行われたイストミア大祭で、ギリシア人の自由を宣言した。この行為によって、彼は多くのギリシアの都市で救済者として歓迎され、神と同等の尊敬を与えられた。

ヨーロッパ

紀元前196年

両コンスル(執政官)はガリア人と戦い、ボイイ族に勝利したマルケッルスは凱旋式を挙行した。

ヨーロッパ

紀元前196年

ロゼッタ・ストーンが作られた。これはプトレマイオス朝時代の石碑で、ヒエログリフとデモティックという2種類の古代エジプト文字及び古代ギリシア文字で書かれた。古代ギリシア文字を翻訳することで、碑文はプトレマイオス5世の戴冠式の時の王の命令を記録したものであることが解読された。

中東

紀元前195年

オッピウス法の廃止が護民官によって提案されたが、同僚護民官の反対にあった。紀元前215年に成立した、女性に高価な金の所持や紫の服の着用、市内での馬車の利用を禁止した法で、カトも廃止に反対したが、女性が反対派護民官を取り囲む騒動に発展して結局廃止された

ヨーロッパ

紀元前195年

プロコンスル(前執政官)クィントゥス・ミヌキウス・テルムスが帰国し、ヒスパニア・キテリオルでの成功を凱旋式で祝った。

ヨーロッパ

紀元前195年

ギリシアの批評家、文法学者であるビザンティオンのアリストパネスがアレクサンドリアの司書長になった。

中東アフリカ

紀元前195年

カルタゴの行政と立法を改革したため、ハンニバルはカルタゴの一部の貴族の不興を買い、また共和政ローマからもセレウコス朝の王アンティオコス3世を扇動してローマに反抗させたと非難された。ローマはカルタゴにハンニバルの引き渡しを要求したが、ハンニバルは自ら国外に亡命した。

アフリカ

紀元前195年

グナエウス・セルウィリウス・カエピオ (紀元前203年の執政官)、マルクス・クラウディウス・マルケッルス (紀元前196年の執政官)らからなるレガトゥス(使節)がカルタゴへ送られた。

ヨーロッパ

紀元前195年

ナビス戦争 ナビスが支配するスパルタが、ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌスなどが指揮するローマ、アカイア同盟、アッタロス朝、ロドスなどの連合軍に敗北。 同年に開催された「ネメア競技祭」においてフラミニヌスはナビスと講和を結んだ。

ヨーロッパ

紀元前195年

カトがヒスパニアで決定的勝利を収めた。ヒスパニアの原住民の反乱を屈服させ、グアダルキビール川まで勢力を広げた。

ヨーロッパ

紀元前195年

ハンニバルがアンティオコス3世によってエフェソスに匿われ、その相談相手になると、アンティオコス3世とローマの間の緊張が高まった。

中東

紀元前195年

前漢の首都長安が、マウリヤ朝の首都パータリプトラを抜いて、当時世界最大の都市になった。

アジア

紀元前195年

ローマの外交官が干渉すると、アンティオコス3世はプトレマイオス朝との戦争を中断した。平和条約によって、アンティオコス3世は公式にシリア南部の領有を認められ、アナトリアのエジプト領土も手に入れた。

中東

紀元前195年

前漢で高祖劉邦が死去、恵帝が即位(〜紀元前188年)。呂后の専横が始まる。 燕の衛満が箕子朝鮮を滅ぼし、衛氏朝鮮を建てる(〜紀元前108年)。

アジア

紀元前194年

フラミニヌスはマケドニア王国、アイトーリア、アカイア同盟、スパルタから勢力を撤退し、ギリシアは一時的に主権を回復した。ローマのギリシアへの介入に反対していたアイトーリアの人々は、スパルタ王のネビスを煽動し、以前の領土と権力を奪還させた。

ヨーロッパ

紀元前194年

燕の亡命者である衛満が朝鮮半島北部に衛氏朝鮮を建国した。

アジア

紀元前194年

ピリッポス5世は、ロドス島、ペルガモンとともに、アンティオコス3世に対抗するため、ローマ側についた。

中東ヨーロッパ

紀元前194年

セクストゥス・アエリウス・パエトゥス・カトゥスとガイウス・コルネリウス・ケテグスがケンソル(監察官)に就任、競技場に元老院議員専用席が初めて作られ、スキピオ・アフリカヌスが2度目のプリンケプス・セナトゥス(元老院第一人者)に指名された。

ヨーロッパ

紀元前194年

メガレシア祭で初めて舞台芸術が披露された。

ヨーロッパ

紀元前194年

プロコンスル(前執政官)ルキウス・ウァレリウス・フラックス (紀元前195年の執政官)が、メディオラヌムでインスブレス族に勝利した。

ヨーロッパ

紀元前194年

両執政官はボイイ族とリグリア人に対する作戦を行った。

ヨーロッパ

紀元前194年

テンプサ、シポントゥム、クロトン、ブルッティウムなどに入植が行われた。

ヨーロッパ

紀元前194年

エジプトと平和条約を結ぶと、アンティオコス3世は西方に注目した。彼は、ギリシアを保護するローマに挑戦するよう以前のカルタゴの将軍ハンニバルに促された。

中東

紀元前194年

スパルタ王ナビスの野望を確かめた後、前執政官ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌスはついにギリシアから軍を引き揚げた。

ヨーロッパ

紀元前194年

長安に最初の街壁が作られた。

アジア

紀元前194年

ヒスパニアから帰国したマルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウスと、ギリシアから帰国したフラミニヌスが凱旋式を挙行した。

ヨーロッパ

紀元前193年

カルタゴとマシニッサの国境紛争解決のため、スキピオ・アフリカヌス、ガイウス・コルネリウス・ケテグスらが派遣された。

アフリカ

紀元前193年

両執政官はボイイ族、リグリア人に対する作戦を行った。

ヨーロッパ

紀元前193年

ムティナの戦いで共和政ローマがガリア人に勝利し、ローマ・ガリア戦争が終結する。

ヨーロッパ

紀元前193年

フラミニヌスはアンティオコス3世に対抗するためにギリシアの軍を再構築した。アエトリアがアンティオコス3世に支援を求めると、フラミニヌスはアカイア同盟を説得し、両者に対して宣戦布告した。彼はまたメガロポリスのフィロポイメンがスパルタから戻るのを防いだ。

ヨーロッパ

紀元前193年

アンティオコス3世の元にプブリウス・スルピキウス・ガルバ・マクシムス、プブリウス・ウィッリウス・タップルス、プブリウス・アエリウス・パエトゥス (紀元前201年の執政官)が派遣され、後に彼らに加わったスキピオ・アフリカヌスは、エペススでハンニバルと会話したとされる。

中東ヨーロッパ

紀元前193年

アンティオコス3世とラオディケ3世の娘クレオパトラ1世は、エジプトのファラオプトレマイオス5世と結婚した。

中東アフリカ

紀元前193年

護民官マルクス・センプロニウス・トゥディタヌス (紀元前185年の執政官)が、同盟市市民とラテン人の貸し付けの利息にローマ市民と同じ法を適用する法案を成立させた。

ヨーロッパ

紀元前193年

フラミニヌスはアンティオコス3世と交渉し、ギリシアを侵略しないよう警告するために派遣された。アンティオコス3世はフラミニヌスの言葉を受け入れず、ローマがギリシアから去った場合にのみギリシアから出て行くことを約束しただけだった。

ヨーロッパ

紀元前192年

共和政ローマとセレウコス朝のアンティオコス3世が戦争(〜紀元前188年)。

中東ヨーロッパ

紀元前192年

ナビス戦争 スパルタの僭主ナビスは失った領土を取り戻すために動き出した。 ローマ軍が到着するのを待たずにフィロポイメーンの指揮するアカイア同盟の陸海軍はギュティオンに侵攻した。アカイア同盟軍はスパルタ軍に敗北し、フィロポイメンはTegeaに撤退した。

ヨーロッパ

紀元前192年

アンティオコス3世と戦争に突入した場合はアヘノバルブスが担当することになっていたが、結局両執政官ともボイイ族とリグリア人相手の作戦を展開した。

ヨーロッパ

紀元前192年

プロコンスル(前執政官)マルクス・フルウィウス・ノビリオル (紀元前189年の執政官)がヒスパニア・ウルテリオルでオレタニ族らに勝利し、クィントゥス・ミヌキウス・テルムスがピサエ周辺でリグリア人に勝利した。

ヨーロッパ

紀元前192年

アンティオコスに率いられたセレウコス朝の軍は、ローマに反抗したアイトリア同盟の導きでギリシアに侵攻した。アエトリア同盟はアンティオコスを指揮官に指名した。アンティオコスはわずか10500人を率いてテッサリアに上陸し、エウボイア島を占拠した。

ヨーロッパ

紀元前192年

ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌス、グナエウス・セルウィリウス・カエピオ (紀元前203年の執政官)、タップルスらがアエトリア同盟とアンティオコスに対抗するためギリシアに送られた。

ヨーロッパ

紀元前192年

前年のアンティオコスに対するレガトゥス(使節)プブリウス・スルピキウス・ガルバ・マクシムス、プブリウス・ウィッリウス・タップルス、プブリウス・アエリウス・パエトゥス (紀元前201年の執政官)が帰国し、状況を報告した。

中東ヨーロッパ

紀元前192年

プラエトル(法務官)アウルス・アティリウス・セッラヌスは、スパルタのナビスに対する作戦を展開した。

ヨーロッパ

紀元前191年

グラブリオはセレウコス朝の王アンティオコス3世とアエトリア同盟に対するインペリウム(指揮権)を与えられ、テルモピュライの戦いに勝利してアンティオコスをギリシアから追い出し、マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウスがそのことを本国に報告した。

中東ヨーロッパ

紀元前191年

キルクス・マクシムスにユウェントゥス神殿が奉献された。 <!-- 賠償金前倒しの申し出は前187年=== カルタゴ ===

ヨーロッパ

紀元前191年

平和条約は10年前に結ばれていたが、カルタゴはローマからようやく補償金を回収したが、50年かかっても全額を払いきれなかった。ローマはカルタゴを確保しておくため、補償金の即時の支払いは拒否した。-->

アフリカ

紀元前191年

グラブリオはその後、アエトリア同盟と和平交渉を行ったが決裂し、ナウパクトゥスを包囲した。アエトリア同盟はティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌスに助けを求めたため、彼が仲裁に入った。

ヨーロッパ

紀元前191年

ヒスパニア・ウルテリオル担当プロコンスル(前執政官)マルクス・フルウィウス・ノビリオル (紀元前189年の執政官)が帰国し、小凱旋式を挙行した。

ヨーロッパ

紀元前191年

ナシカはボイイ族に勝利して凱旋式を挙行した。

ヨーロッパ

紀元前191年

パルティア王アルサケス2世がアンティオコス3世の命令で暗殺されたと考えられている。従兄弟のフリアパティウスがアルサケスの後を継いだ。

中東

紀元前191年

マグナ・マーテル神殿奉献のための艦隊が編制された。

ヨーロッパ

紀元前191年

恵帝は紀元前213年から続いていた儒教の書物の禁止を解除した。

アジア

紀元前191年

グラブリオは、神祇官の権限で閏日の挿入を決定するアキリウス法を制定した(Lex Acilia de intercalatione)。

ヨーロッパ

紀元前190年

マケドニア王国のピリッポス5世がバルカン半島の敵に対抗するためローマを支援し、貢ぎ物を送ったため、長年ローマに人質として囚われていた息子のデメトリオスを返してもらうことができた。

ヨーロッパ

紀元前190年

アンティオコス3世が敗北すると、アルメニアのサトラップであるアルタクセス1世とザリアドレスは、セレウコス朝からの独立を宣言した。ローマの承認を経て、彼らはそれぞれアルメニア王国と小アルメニア王国の王になった。アルタクセス1世はセヴァン湖のそばに首都アルタシャトを建設した。

中東

紀元前190年

ローマ軍に加勢した見返りに、エウメネス2世ソテルは大きな領土を与えられた。エウメネス2世はゲリボル半島とセレウコス朝が支配していたアナトリアの大部分の支配権を得た。

中東

紀元前190年

サモトラキ島のニーケー像が作られた。これは1863年に発見され、現在はパリのルーブル美術館に収蔵されている。

ヨーロッパ

紀元前190年

プロコンスルのルキウス・アエミリウス・パウッルス・マケドニクスがルシタニア人に敗北した。

ヨーロッパ

紀元前190年

プロコンスル(前執政官)マニウス・アキリウス・グラブリオは、スキピオ・アシアティクスの到着を待って帰国し、凱旋式を挙行した。

ヨーロッパ

紀元前190年

執政官スキピオ・アシアティクスは、ギリシアでアンティオコス3世 (セレウコス朝)と戦うインペリウム(指揮権)を得て、マグネシアの戦いに勝利した。兄のスキピオ・アフリカヌスがレガトゥス(副官)として、外交・軍事面でサポートした。

中東ヨーロッパ

紀元前190年

グレコ・バクトリア王国のデメトリオス1世が西北インドに進出しタキシラを占領。 マグネシアの戦いで共和政ローマがセレウコス朝に勝利。 ペルガモン王エウメネス2世によりヒエラポリスが建設される。

アジア中東

紀元前190年

プラケンティアとクレモナに入植者が追加された。

ヨーロッパ

紀元前190年

共和政ローマからの脅威が増し、アンティオコス3世はローマの要求に基づいて交渉をしようとした。ローマ側はトロス山脈の西側を手放すように要求したが、アンティオコス3世が拒否すると、リディアの平原でマグネシアの戦いが勃発した。ローマ側が勝利し、セレウコス朝はギリシアの支配権を失った。

中東

紀元前190年

共和政ローマと同盟したロドス島及びペルガモン艦隊と、セレウコス朝の艦隊との間でエウリュメドン川の戦いが勃発した。セレウコス朝の軍はカルタゴのハンニバルに率いられていたが、ロドス島の同盟軍が勝利し、ハンニバルは敗走した。

ヨーロッパ

紀元前190年

プラエトル(法務官)ルキウス・アエミリウス・レギッルスは、ミョンネッススの戦いでアンティオコスの艦隊を撃破した。

ヨーロッパ

紀元前180年代へ続く
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よくある質問

紀元前190年代は何年から何年まで?

紀元前190年代は紀元前199〜前190年です。

紀元前190年代に起きた主な出来事は?

紀元前190年代(紀元前199〜前190年)は、ローマがキュノスケファライの戦いでマケドニアを、マグネシアの戦いでセレウコス朝を破り、エジプトではロゼッタ・ストーンが建立されました。東アジアでは漢が匈奴と和親を結び、朝鮮半島北部に衛氏朝鮮が建国されました。

参考にした Wikipedia の記事(11 件・CC BY-SA 4.0)

Wikipedia 日本語版の記事。文章は CC BY-SA 4.0 で提供されています。

各行の要約は inv-world による独自の文章です。Wikipedia 以外の出典は各行に、参考にした Wikipedia の記事はページの下にまとめて載せています(Wikipedia の記事は CC BY-SA 4.0)。日付は資料の表記を優先し、ユリウス暦・旧暦の日付にはグレゴリオ暦の換算日を併記しています。このページには広告(アフィリエイトリンク・Google AdSense)を含みます。広告には「PR」または「スポンサーリンク」と表示しています。

執筆者: 瀬尾