紀元前330年代(紀元前339〜前330年)の出来事年表

WORLD HISTORY · 紀元前500〜前1年

紀元前330年代の出来事紀元前339〜前330年

66件出来事
紀元前〜2026年の、1年ごと・10年ごとのページがあります

紀元前330年代に起きた主な出来事は?

紀元前330年代(紀元前339〜前330年)は、マケドニアがカイロネイアの戦いでアテネとテーバイの連合を破り、ピリッポス2世の暗殺後に即位したアレクサンドロス3世が東方遠征を始めました。アケメネス朝は滅亡し、ヘレニズム世界の形成が進みました。

  1. 秦の商鞅が讒言により殺害される世界
  2. カイロネイアの戦いでマケドニア勝利世界
  3. ピリッポス2世暗殺、アレクサンドロス即位世界
  4. アレクサンドロス大王が東方遠征開始世界
  5. ヘレニズム世界の形成世界
  6. エジプトにアレクサンドリア市を建設世界
  7. ガウガメラの戦いでペルシアを破る世界
  8. ダレイオス3世が殺害されアケメネス朝滅亡世界

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紀元前330年代の出来事(年表・66件)

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日本アジア中東オセアニア北米中南米ヨーロッパアフリカ
紀元前340年代から続く
紀元前330年代

紀元前339年

隣保同盟の会合中、ピリッポス2世は、神聖な土地に押し入ったとしてロクリスにあるアンフィサの町の市民を告発する。隣保同盟の議会は、アテネ代表アイスキネスの最初の支持の元、厳しい制裁をロクリスに課すことを決定する。

ヨーロッパ

紀元前339年

マケドニア王ピリッポス2世は、ドナウ川の三角州にヘラクレス像をピリッポス2世が寄進することの許可をためらった事を口実にして、スキタイ人へ攻撃することを決意する。両軍は現在のドブロジャ平原で衝突し、90歳のスキタイ王アテアスは戦いの最中に殺され、彼の軍は潰走した。

ヨーロッパ

紀元前339年

ローマ執政官ティトゥス・マンリウス・トルクァトゥスがトリファヌムの戦いでラテン人を破る。

ヨーロッパ

紀元前339年

クセノクラテスが、スペウシッポスに代わり、ギリシアのアカデメイアの学頭に選ばれる。

ヨーロッパ

紀元前338年

カルタゴは全シチリアを征服するために違う取り組みを始める。カルタゴはティモレオンとシチリアの僭主の間の戦闘を広げるため何人かの傭兵を派遣するが、これはレンティーニに圧政を敷いたヒケタスを打ち負かす結果に終わった。彼は囚えられ、死刑となった。

ヨーロッパアフリカ

紀元前338年

アケメネス朝のワズィール(宦官のバゴアス)がアルタクセルクセス3世の寵愛を失う。バゴアスはアルタクセルクセスを彼の若い息子であるアルセスと交代させることにより、その地位にとどまろうとした。アルセスのほうがコントロールが容易だと考えたのである。

中東

紀元前338年

優れた政治家で雄弁家のアテナイのリュクルゴスは、国家財政の管理権限を与えられ、そして年間歳入が倍になるよう動いた。

ヨーロッパ

紀元前338年

ピリッポス2世はロクリスにてカイロネイアの戦いにおける大きな意味のある勝利を収め、すぐさまフォキスに入った。そして南東のケフィッスス谷へ折り返し、町の要塞を奪取し復元させた。

ヨーロッパ

紀元前338年

アテナイはエウボイア島、メガラ、アカイア、コリントス、アカルナニア、そしてペロポネソス半島にあるいくつかの都市国家と同盟関係を結んでいた。しかし、アテナイにとって最も同盟を結ぶのが望ましいのは、歴史的に敵対してきたテーバイであった。

ヨーロッパ

紀元前338年

ラティウム戦争はラティウム同盟の解体と、個別のラティウム国家が共和政ローマの影響下に置かれることになるという結末をもたらした。多くの都市がローマに組み込まれた。敗北したラティウム同盟との和解を実現するため、ローマは寛大な関係を申し出た。

ヨーロッパ

紀元前338年

ピリッポス2世はペロポネソスに進出。テッサリアを破り、スパルタを制圧し、コリントスにて全ギリシャを招集させる(コリントス同盟)。これにより、マケドニアはアテナイを含む中央ギリシャにおいて覇権を持つこととなった。

ヨーロッパ

紀元前338年

スパルタ王のアルキダモス3世の後継には彼の息子アギス3世がついた。

ヨーロッパ

紀元前338年

秦の公子虔らが商鞅が謀反を讒言し、役人に逮捕を命じた。商鞅は魏に逃れようとしたが、魏は受け入れなかったため、秦の国内に戻った。商鞅は封地の商で兵を集めたが、秦の討伐軍に攻められて殺害された。

アジア

紀元前338年

秦の孝公が死去し、恵文王が即位した。

アジア

紀元前338年

スパルタ王のアルキダモス3世は南イタリアに5年間遠征したが何ら決定的な結果を得ることができなかった。ルカニア人と敵対するターラントに加勢するために傭兵の軍隊を導いて戦い、カラブリアのマンドゥーリアにて彼の部隊の大半と共に戦死した。

ヨーロッパ

紀元前338年

カルタゴとの和平が達成され、シュラクサイのティモレオンはシチリアの2人の圧政者を取り除くことが可能となり、自身は引退した。

ヨーロッパ

紀元前338年

主要都市アンツィオをローマによって陥落されたことにより、ウォルスキ族はローマに対する抵抗を放棄し、ローマとの同盟を受け入れた。

ヨーロッパ

紀元前338年8月2日グレゴリオ暦 7月28日

マケドニア王フィリッポス2世がカイロネイアの戦いでアテネとテーバイの連合を破る。

中東ヨーロッパ

紀元前337年

プレブスが初めてローマのプラエトルに選ばれる。

ヨーロッパ

紀元前337年

オリュンピアスは、夫のピリッポス2世がクレオパトラ(後にエウリュディケと改名)という少女と結婚した後、ないがしろにされるようになる。2人の息子のアレクサンドロスはピリッポスの行動により、実質的には勘当された。ピリッポス2世はプトレマイオス1世を、他の彼の息子の学友と一緒に追放した。

ヨーロッパ

紀元前337年

コリントスでの全ギリシア人 会議で、マケドニア王ピリッポス2世は、小アジアのギリシャ人諸都市をペルシアの支配から解放するため、コリントス同盟の結成を公表する。

ヨーロッパ

紀元前336年

宋の太丘社が滅び、九鼎が彭城泗水の下に没した。

アジア

紀元前336年

孟子が魏の恵王と会談した。

アジア

紀元前336年

アケメネス朝ペルシアにおいて、第9代国王アルセスが毒殺され、ダレイオス3世が第10代国王として即位した。

中東

紀元前336年

アイガイにてピリッポス2世が暗殺され、息子のアレクサンドロス3世(大王)がマケドニア王に即位。 アイガイと推定されるヴェルギナ遺跡にピリッポス2世らマケドニア王族の墳墓が造営される。

ヨーロッパ

紀元前336年

2年前の紀元前338年にカイロネイアの戦いにおいてギリシア軍を撃破し、紀元前337年にヘラス同盟の結成によってギリシアを統一したマケドニア王ピリッポス2世がオレスティスのパウサニアスによって暗殺され、その子であるアレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)が即位した。

ヨーロッパ

紀元前335年

アレクサンドロス3世がテーバイの反乱を鎮圧し、テーバイ市街を破壊。 アリストテレスがアテナイにリュケイオン学園を創設。

ヨーロッパ

紀元前335年

アレクサンドロス3世がイリュリア人に殺されたとの噂が流れ、テーバイ人やアテネ人が再び武器を取る。アレクサンドロスはこのギリシア人を破り、テーバイを破壊する。テーバイでは6000人が殺され、生き残りはすべて奴隷として売られた。

ヨーロッパ

紀元前335年

デルポイ(ピューティアーと呼ばれる巫女たちが彼に「不敗」と告げた場所)を通ってマケドニアへと戻り、マケドニア王アレクサンドロス3世は、マケドニア王国の北の国境線としてドナウ川を確保するために、トラキアへと進撃する。シプカ峠へと突き進み、トリバッリを粉砕したあと、彼はドナウ川を渡ってゲタイを散り散りにする。

ヨーロッパ

紀元前335年

斉の威王が田嬰を彭城に封じた。

アジア

紀元前335年

カンパニアのカレス市(現在のカルヴィ)をローマが取り、そこにローマの植民市を建立する。

ヨーロッパ

紀元前335年

テーバイを征服したあと、アレクサンドロスは傭兵隊長のカレスとカリデモスなどの引渡しを求める。カレスはトローアスへと逃亡し、カリデモスは失踪してペルシアへ避難した。

ヨーロッパ

紀元前335年

マルクス・ウァレリウス・コルウスが4度目に共和政ローマの執政官に選ばれる。

ヨーロッパ

紀元前335年

秦が韓を攻撃し、宜陽を奪った。

アジア

紀元前335年

アレクサンドロスはアテネの雄弁家で外交官であるデマデスを尊敬していたので、反乱に関与していたにもかかわらず、アテネ人を寛大に扱った。フォキオン率いるアテネの特別外交団は、反マケドニア派と対立していたが、アレクサンドロスを説得して、反マケドニア党、特にデモステネスの追放の要請を断念させた。

ヨーロッパ

紀元前335年

アリストテレスがマケドニアからアテネへと戻り、古いギムナシウムにリュケイオンという逍遥学派の学園を開く。ここには自然史の博物館や動物園や図書館が付属していた。

ヨーロッパ

紀元前334〜前30年

転換点ヘレニズム世界の形成

中東ヨーロッパアフリカ

アレクサンドロス大王の東方遠征で、ギリシアからインド北西部まで一つの世界が結ばれた。大王の死後に分かれた王国のもとで、ギリシアとオリエントの文化が混じり合った。

出典:コトバンク:ヘレニズム(事典)

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紀元前334年

★主な出来事アレクサンドロス大王が東方遠征を始める

中東ヨーロッパアフリカ

マケドニアのアレクサンドロス大王が小アジアへ渡り、ペルシア帝国への遠征を始めた。のちにエジプトからインド北西部までを支配下に入れた。

出典:コトバンク:アレクサンドロス大王(改訂新版 世界大百科事典)(事典)

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紀元前334年

田嬰が斉の宰相となった。

アジア

紀元前334年

斉の威王と魏の恵王が徐州で会合し、互いを王と認め合った。

アジア

紀元前334年

越王無彊が斉を攻撃した。斉の威王は人を派遣して、斉を攻撃するより楚を攻撃する利益が大きいことを越王に説かせると、越王は楚を攻撃した。楚軍は越軍に大勝し、勝利に乗じて呉の故地を奪い、東は浙江まで領土を拡大した。

アジア

紀元前334年5月22日グレゴリオ暦 5月17日

アレクサンドロス3世のマケドニア王国軍がグラニコス川の戦いでペルシア軍を破る。

中東ヨーロッパ

紀元前333年

イッソスの戦いでアレクサンドロス3世がペルシア王ダレイオス3世の軍に勝利。

中東

紀元前333年

楚が斉を攻撃し、斉軍を破り、徐州を包囲した。斉の田嬰が張丑を派遣して楚の威王を説得すると、楚は軍を返した。

アジア

紀元前333年

アレクサンドロス3世は、ペルシア軍を拠点から孤立させるため、イッソスから南のシリアとフェニキアまで進軍した。

中東ヨーロッパ

紀元前333年

アケメネス朝ペルシアの王ダレイオス3世は、ペルシアに亡命していたギリシア人傭兵隊長カリデーモスを、イッソスの戦いへの準備をしたとして処刑した。

中東

紀元前333年

ビブロスとサイダを得ると、アレクサンドロス3世はティルスを包囲攻撃した。

中東

紀元前333年

マケドニア王国のアレクサンドロス3世は、小アジア西部を攻め、リュキアとピシディアを征服した。

中東ヨーロッパ

紀元前333年

アレクサンドロス3世は、将軍ネアルコスを新しく得たリュキアとパンフィリアのサトラップに、将軍アンティゴノス1世をフリギアのサトラップにした。

中東

紀元前333年

ダレイオス3世からの和平を求める手紙の返事として、アレクサンドロス3世はダレイオス3世の無条件降伏を要求した。

中東ヨーロッパ

紀元前332年

前年のイッソスの戦いにおいて勝利したマケドニア王国国王アレクサンドロス3世のペルシア遠征は続いており、レバノンのティルス包囲戦(:w:Siege_of_Tyre_(332_BC))で全フェニキアを征服し、ガザ包囲戦でガザを攻略した後、エジプトに入った。

中東

紀元前332年

斉軍が燕を攻撃して10城を奪ったが、蘇秦が斉の威王を説得すると、これらの城を燕に返還した。

アジア

紀元前332年

魏は陰晋をもって秦と講和した。

アジア

紀元前332年

アレクサンドロス3世によるティルス包囲戦とガザ包囲戦。 アレクサンドロス3世はエジプトに進軍し、シワ・オアシスのアメン神殿に詣でる。 ナイル川河口デルタのトニス・ヘラクレイオンの西方にアレクサンドリア市を建設。

中東アフリカ

紀元前332年

秦の恵文君が公孫衍を派遣して斉と魏を説得し、連合して趙を攻撃して、合従の約を破らせた。趙の粛侯がこのことで蘇秦を責めた。蘇秦が使者として燕に赴くと申し出て出国すると、合従の約は解体してしまった。趙軍が黄河を決壊させて斉と魏の陣にそそがせると、斉と魏の軍は撤退した。

アジア

紀元前331年

ガリア人のセノネス族とローマ人が平和条約を結び、友好関係は紀元前4世紀末まで継続した。

ヨーロッパ

紀元前331年

アレクサンダー大王がエジプトを発ち、軍をフェニキアに向けた。彼はナウクラティスのクレオメネスにエジプトの統治をゆだねた。

中東

紀元前331年

アレクサンダー大王がアジアで戦っている間、スパルタ王アギス3世はその不在に乗じてギリシャのいくつかの都市をマケドニアに対する反乱へと導いた。彼は軍資金と8,000名のギリシャ人傭兵を援助し、自ら最高司令官としてマケドニア軍に宣戦を布告した(メガロポリスの戦い)。ペロポネソスでコラゴス麾下のマケドニア軍を破る。

ヨーロッパ

紀元前331年

アレクサンダー大王は初めて戦象に遭遇した。戦闘の後ダレイオス3世の軍の野営地で15頭のペルシア戦象を捕獲した。

中東

紀元前331年

アレクサンダー大王はアケメネス朝を滅亡させた。バビロンとスーサは門を開けて降伏した。彼は首都のスーサで5万タレントの金を発見した。

中東

紀元前331年

エピロス王アレクサンドロス1世はルカニア人からヘラクレア・ルカニアを奪い取り、ブルッティからはテリナとシポンタム (Sipontum) を奪い取った。タレントゥムは南イタリアに自らの王国を建設しようとし、アレクサンドロス1世に対峙した。アレクサンドロス1世はパンドシアの戦いにおいてアケローン川のほとりで殺害された。

ヨーロッパ

紀元前331年10月1日グレゴリオ暦 9月26日

ガウガメラの戦い。アレクサンダー大王がペルシア帝国を破る。

中東

紀元前330年

前年にスーサや首都ペルセポリスを占領し、アケメネス朝ペルシアの中枢を占領したマケドニア王国国王アレクサンドロス3世の東征は未だ続行中である。

中東

紀元前330年

秦が魏を攻撃し、焦と曲沃を包囲した。魏は少梁と河西の地を秦に割譲した。

アジア

紀元前330年頃

サマリア人がゲリジム山に神殿を建てる。

中東

紀元前330年

ダレイオス3世が逃走中にバクトリア・サトラップのベッソスに殺害され、アケメネス朝は滅亡。 アレクサンドロス3世の命でマケドニア軍副総司令官のパルメニオンがメディアで処刑される。

中東

紀元前320年代へ続く
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よくある質問

紀元前330年代は何年から何年まで?

紀元前330年代は紀元前339〜前330年です。

紀元前330年代に起きた主な出来事は?

紀元前330年代(紀元前339〜前330年)は、マケドニアがカイロネイアの戦いでアテネとテーバイの連合を破り、ピリッポス2世の暗殺後に即位したアレクサンドロス3世が東方遠征を始めました。アケメネス朝は滅亡し、ヘレニズム世界の形成が進みました。

参考にした Wikipedia の記事(14 件・CC BY-SA 4.0)

Wikipedia 日本語版の記事。文章は CC BY-SA 4.0 で提供されています。

各行の要約は inv-world による独自の文章です。Wikipedia 以外の出典は各行に、参考にした Wikipedia の記事はページの下にまとめて載せています(Wikipedia の記事は CC BY-SA 4.0)。日付は資料の表記を優先し、ユリウス暦・旧暦の日付にはグレゴリオ暦の換算日を併記しています。このページには広告(アフィリエイトリンク・Google AdSense)を含みます。広告には「PR」または「スポンサーリンク」と表示しています。

執筆者: 瀬尾