紀元前410年代(紀元前419〜前410年)の出来事年表

WORLD HISTORY · 紀元前500〜前1年

紀元前410年代の出来事紀元前419〜前410年

42件出来事
紀元前〜2026年の、1年ごと・10年ごとのページがあります

紀元前410年代に起きた主な出来事は?

紀元前410年代(紀元前419〜前410年)は、ペロポネソス戦争最大の地上戦であるマンティネイアの戦いが起こり、アテナイはシチリア遠征に乗り出したもののシュラクサイの戦いで敗れました。アテナイでは四百人寡頭政権が建てられ、中国では中山国が成立しました。

  1. マンティネイアの戦いが起こる世界
  2. アテナイが中立のメロス島に侵攻世界
  3. アテナイがシチリア遠征軍を派遣世界
  4. 白狄による中山国が成立世界
  5. アリストパネスの喜劇『鳥』上演世界
  6. シュラクサイの戦いでアテナイ敗北世界
  7. スパルタとペルシアがミレトス条約世界
  8. アテナイで四百人寡頭政権が成立世界

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紀元前410年代の出来事(年表・42件)

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日本アジア中東オセアニア北米中南米ヨーロッパアフリカ
紀元前420年代から続く
紀元前410年代

紀元前419年

ニキアスの和約が依然として有効であったにもかかわらず、スパルタ王アギス2世は、ピロスに強力な兵力を集め、北側から夜間に行軍し、アルゴスへと向かった。同盟していたボイオーティア勢は、アギス2世の動きについていけなかったが、アギス2世は単独で、アルゴスと新たな条約を結ぶことに成功した。

ヨーロッパ

紀元前419年

エウリピデスの悲劇『アンドロマケ (Andromache)』が上演された。

ヨーロッパ

紀元前419年

ソポクレスの悲劇『エレクトラ』が上演された。この作品はアイスキュロスの悲劇『オレステイア』の「供養する女たち」から主題を採ったものであった。

ヨーロッパ

紀元前418年

アルキビアデスは、アテナイ市民にシュラクサイ(シラクサ)を征服して、シケリア(シチリア)とカルタゴを服従させ、スパルタとの戦争を終わらせることができるだけの加勢を得よう,と訴えかけた。アルキビアデスの大胆な攻撃的計画は、アテナイ市民たちの支持を獲得した。

ヨーロッパ

紀元前418年

スパルタの勝利に影響を受けたアルゴスの住民たちは、統治形態を民主政から寡頭政へ変更し、アテナイへの支援をやめて、スパルタと同盟を結んだ。アルゴスの同盟者の多くが、同じようにスパルタ側についた。アテナイは、いよいよ孤立化の度を深めた。

ヨーロッパ

紀元前418年

スパルタ王アギス2世は、アルゴスとの戦いで有利な状況であったにもかかわらず休戦に応じたことを告発され、家を壊された上で、1万ドラクマの罰金を課されそうになったが、将来、より大きな成果を勝ち取ると約束して難を逃れた。

ヨーロッパ

紀元前418年

マンティネイアの戦い (紀元前418年)は、両軍がそれぞれ1万人の兵力を動員し、ペロポネソス戦争最大の地上戦となった。

ヨーロッパ

紀元前417年

前年のマンティネイアの戦い (紀元前418年)におけるアテナイとその同盟者たちの敗北の後、アテナイでは政治的な綱引きが行なわれていた。

ヨーロッパ

紀元前416年

アルキビアデスの勧めを受け、アテナイ軍は、ペロポネソス戦争中も中立を保っていたメロス島(Μῆλος、Melos、現在のミロス島)に侵攻した。アテナイ軍は島民に残虐行為を加え、武器を持てる男子は皆殺しにされ、女子供は奴隷とされた。(メロス包囲戦)

ヨーロッパ

紀元前416年

シケリア(シチリア)のイオニア系植民都市エゲスタ(Ἕγεστα、Egesta:現在のセジェスタ)が、(シケリアの強力な都市シュラクサイ(シラクサ)から支援を受けていた)ドーリア系植民都市セリノス(Σελινοῦς、Selinus:現在のセリヌンテ (Selinunte)) に対抗するため、アテナイに支援を求めてきた。

ヨーロッパ

紀元前415年

将軍ニキアス (Nicias)、ラマコス、アルキビアデスが率いる、アテナイのシケリア遠征軍が出港した。艦隊の出発後、アルキビアデスは神を冒涜したとして訴えられ、アテナイに戻って裁判を受けるため帰還を命じられた。

ヨーロッパ

紀元前415年

アルキビアデスは、自分が欠席裁判で死刑となったことを知ると、軍から離脱してスパルタへ逃れ、シケリア遠征の責任者はニキアスになった。アテナイ軍は、シュラクサイ(シラクサ)に近いダスコン (Dascon) に上陸したが、ほとんど何も得るものはなかった。シュラクサイの防衛軍を率いていたのは、ヘルモクラテスであった。

ヨーロッパ

紀元前415年

アルキビアデスは、公然とスパルタ軍に参加し、シュラクサイ支援のためにギュリッポス (Γύλιππος、Gylippus) を派遣すること、アッティケー(アッティカ)のデケレイア (Δεκέλεια、Decelea) の城塞化を説いた。

ヨーロッパ

紀元前415年

アテナイがシチリア遠征軍を派遣する。 アテナイでヘルメース像破壊事件、遠征途上で総指揮官アルキビアデスがスパルタに亡命。

ヨーロッパ

紀元前415年

アテナイの雄弁家、政治家アンドキデスが、シケリア(シチリア)へのアテナイの遠征軍が出発する直前に起きた「ヘルマ」(ヘルメース柱像)破壊事件に関与した嫌疑で投獄された。この破壊事件は広く大騒ぎを起こしていたが、アンドキデスは誘導されるままに証言をした。

ヨーロッパ

紀元前415年

エウリピデスの悲劇『トロイアの女 (The Trojan Women)』が、アテナイ軍によるメロス(Μῆλος、Melos、現在のミロス島)男性住民の虐殺(メロス包囲戦、紀元前416年)の直後に上演された。

ヨーロッパ

紀元前414年

白狄による中山国が成立する。

アジア

紀元前414年

アリストパネスの喜劇『鳥 (The Birds)』が上演された。

ヨーロッパ

紀元前414年

将軍ニキアス (Nicias) の求めに応じ、アテナイはデモステネス率いる73隻の艦隊を、ニキアス率いるシケリア遠征軍の支援のためにシケリア(シチリア)へ増派した。

ヨーロッパ

紀元前414年

アテナイの陸上部隊はシュラクサイ(シラクサ)奪取を目指して展開し、増強されたアテナイの艦隊は海上封鎖をしてシュラクサイへの海からの連絡を封じた。

ヨーロッパ

紀元前413年

アケメネス朝ペルシア帝国のリュディアとカリアの太守ティッサフェルネスがスパルタと同盟を結んだ。アルキビアデスからの戦略的助言と、ペルシアの太守ファルナバゾスからの限定的な支援を受けたスパルタ勢は、アテナイの城門近くまで侵攻した。

ヨーロッパ

紀元前413年

シチリアのシュラクサイの戦いでアテナイ軍が敗北し、アテナイ軍のニキアスやデモステネスが処刑される。

ヨーロッパ

紀元前413年

マケドニア王アルケラオス1世 (Archelaus I) が、父ペルディッカス2世の死後、後を継いで即位した。王座をつかむまでに、アルケラオスは、伯父、いとこ、正当な王位継承者であった幼い異母弟を殺害した。

ヨーロッパ

紀元前413年

エウリピデスの悲劇『エレクトラ (Electra)』が上演された。

ヨーロッパ

紀元前412年

ダレイオス2世治下のアケメネス朝ペルシア帝国は、紀元前449年以来アテナイの支配下にあった小アジア各地のギリシア植民都市に、都市間の紛争を起こさせ、支配権を奪還することを画策した。小アジアのサトラップ(太守)であったティッサフェルネスとファルナバゾスは、通常以上の朝貢を集めるよう命じられた。

中東ヨーロッパ

紀元前412年

クラゾメナイがアテナイに反旗を翻した。しかし、短い抵抗の後、クラゾメナイは再びアテナイの軍門に下った。

ヨーロッパ

紀元前412年

スパルタは、低地アジア(Lower Asia、小アジア西部)のペルシア帝国の太守(サルディス太守)であったファルナバゾスと相互援助協定を結んだ。このミレトス条約によってペルシアは、ペロポネソス同盟艦隊の船員への賃金支払いを条件に、小アジア西部における完全な自由を手にした。

中東ヨーロッパ

紀元前412年

アルキビアデスは、小アジア西部沿岸のイオニアにおけるアテナイの同盟者たちの間に反乱を煽動していた。しかし、アルキビアデスはスパルタ側の信頼を失い、スパルタ王アギス2世の不興を買った。このため、アルキビアデスはアケメネス朝ペルシア帝国の太守ティッサフェルネスの下へと逃れた。

ヨーロッパ

紀元前412年

アテナイ市民たちは投票により、最後の準備資金を使って艦隊を編成することを承認した。

ヨーロッパ

紀元前411年

トラシュブロスに率いられたアテナイの艦隊は、サルディスにいたアルキビアデスを呼び返した。アルキビアデスの選出は、テラメネスの求めにより、アテナイの民会でも追認された。

ヨーロッパ

紀元前411年

アテナイの民主主義体制が、アンティポン、テラメネス (Theramenes)、ペイサンドロス 、プリュニコス (Phrynichos) といった、 スパルタやその同盟国に対する戦争に力を注ぐことを求める極端寡頭派によって倒され、いわゆる「四百人寡頭政」が成立した。

ヨーロッパ

紀元前411年

エウリピデスの悲劇『タウリケのイピゲネイア (Iphigenia in Tauris)』が上演された。

ヨーロッパ

紀元前411年頃

アテナイの外港であるペイライエウス(現在のピレウス)の城塞化に従事していた軍部隊で反乱が発生した際、寡頭政権は鎮圧にあたるべくテラメネスを派遣した。ところが、テラメネスは自らが反乱者側に就いてその指導者となった。

ヨーロッパ

紀元前411年

アンティポンは、死刑を求刑された男による弁明としては史上最高の演説であったとトゥキディデスが評した自己弁護を行なった。しかし、告訴したものたちを説得することはできず、反逆罪で処刑された。

ヨーロッパ

紀元前411年

アンティポンらによりアテナイに四百人寡頭政権が建てられるが、民主派に打倒される。 アリストパネスの喜劇『女の平和(リューシストラテー)』が上演される。

ヨーロッパ

紀元前410年

エウアゴラスが、長年続いたフェニキア人支配を打倒し、サラミス王家としての地位を確立する。

中東

紀元前410年

イベリア半島のカルタゴ植民都市が反乱を起こして、カルタゴの支配から離脱し、カルタゴは銀と銅の重要な供給元を失った。(紀元前480年にシケリア(シチリア)への侵攻に失敗した)ハミルカルの孫にあたる、カルタゴの将軍ハンニバル・マゴが、シケリア再征服の準備を始めた。

ヨーロッパアフリカ

紀元前410年

アテナイのアクロポリスで、アテーナー・ニーケー神殿のパラペット(手すり壁) (parapet) の装飾(現在は失われている)の一部に、「サンダルを履き直す勝利の女神ニーケー」が作られ始め、後に紀元前407年に完成する。この作品は、現在はアテネのアクロポリス博物館に収められている。

ヨーロッパ

紀元前410年頃

ヘゲソ (Hegeso) という人物の墓の石碑の制作が始まり、およそ十年後に完成した。現在はアテネ国立考古学博物館に収められている。

ヨーロッパ

紀元前410年

アルキビアデスは、クルソポリス(Χρυσόπολις、Chrysopolis:現在のユスキュダル)にテラメネスが率いる守備隊を置き、黒海方面から来るすべての船に十分の一税を課した。この税収によってアテナイは「五千人の政治」体制から脱し、伝統的な統治制度を全面的に再構築することができた。アテナイでは民主主義が復活した。

ヨーロッパ

紀元前410年

20隻の艦隊を率いたアテナイの将軍テラメネス (Theramenes) とトラシュブロスは、アルキビアデス率いるアテナイの主力艦隊に協力し、ミンダロス (Mindarus) 率いるスパルタ艦隊と、それを支援していたキュジコス近郊のアケメネス朝ペルシア帝国の地上軍キュジコスの海戦 (Battle of…

ヨーロッパ

紀元前410年

寡頭制支持派が、コルキュラ(Κόρκυρα、Corcyra:現在のケルキラ島)で起こした反乱は失敗に帰した。

ヨーロッパ

紀元前400年代へ続く
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よくある質問

紀元前410年代は何年から何年まで?

紀元前410年代は紀元前419〜前410年です。

紀元前410年代に起きた主な出来事は?

紀元前410年代(紀元前419〜前410年)は、ペロポネソス戦争最大の地上戦であるマンティネイアの戦いが起こり、アテナイはシチリア遠征に乗り出したもののシュラクサイの戦いで敗れました。アテナイでは四百人寡頭政権が建てられ、中国では中山国が成立しました。

参考にした Wikipedia の記事(11 件・CC BY-SA 4.0)

Wikipedia 日本語版の記事。文章は CC BY-SA 4.0 で提供されています。

各行の要約は inv-world による独自の文章です。Wikipedia 以外の出典は各行に、参考にした Wikipedia の記事はページの下にまとめて載せています(Wikipedia の記事は CC BY-SA 4.0)。日付は資料の表記を優先し、ユリウス暦・旧暦の日付にはグレゴリオ暦の換算日を併記しています。このページには広告(アフィリエイトリンク・Google AdSense)を含みます。広告には「PR」または「スポンサーリンク」と表示しています。

執筆者: 瀬尾